【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
ソ連の核兵器工場 労働者も大量被ばく
白血病やがんを多発
ソ連・南ウラルの核兵器用のプルトニウム生産工場の労働者に、大量の放射線を浴びたのが原因で白血病やがんが多発していることが、ソ連の研究者の調査で分かった。この核兵器工場は1949年から約2年間放射性廃液の垂れ流し事故を、1957年には「ウラルの核惨事」を起こし、多数の住民が被ばくしているが、労働者の健康被害が明らかにされたのは初めて。原爆開発を急いだことが関係しているらしい。
東京で開かれた日ソ専門家会議におけるN・コシュルニコワ・ソ連生物物理研究所主席研究員の講演や、ソ連の科学雑誌「自然」によると、このキシュチュム核兵器工場では、48年6月から12月にかけて、ウランを燃やす原子炉施設と、燃やしたウランからプルトニウムを取り出す再処理工場が操業を開始、49年8月にソ連最初の原爆を造った。
72年までに働き始めた労働者約1万2000人の追跡調査では、年間平均被ばく線量が最も高かったのは、原子炉施設で49年の0.93シーベルト、再処理工場で51年の1.13シーベルトだった。当時のソ連の被ばく線量限度年間0.3シーベルト、日本の現行限度0.05シーベルトに比べかなり高いが、これは初期のトラブル修理などのためという。
また、48年から53年の間に再処理工場で働いた男性約1800人についてみると、がんで197人が、白血病で25人がそれぞれ死亡した。ソ連の成人平均に比べて明らかな差があり、白血病では3.5倍、がんでは1.28倍も高い。しかし広島、長崎の被爆者と比較すると、線量当たりの死亡率は、2分の1から4分の1だった。
一方原子炉施設でのがん死亡率は今のところ差は見られない。ただ全死亡率では、初期に働き始めたグループは、54年から58年に働き始めたグループと比ベ、2倍近く高くなっているという。
核兵器工場で働く労働者の被ばくは米国、英国、フランスでも問題になり、追跡調査が行われた。しかし多発性骨髄腫という特殊ながんを除いて、がんが多発しているといえるはっきりした結果は出ていない。
(朝日新聞 1991/02/16)