【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ被ばく者 初の全ソ大会 60万人が除染作業
5万人に重度障害 死者は「200人に1人」

【キエフ(ウクライナ共和国)17日=松本記者】

1986年4月26日、ソ連のチェノブイリ原子力発電所の史上最悪の爆発事故から4年が過ぎ17日まで3日間、ウクライナ共和国の首都キエフでチェルノブイリ被ばく者第1回全ソ大会が開かれた。大会での報告によると、

(1)事故の後、原発施設の放射能汚染の除去に参加した人たちは、合計60万人に上る

(2)その大部分が、兵役の再訓練を理由に徴用された2、30歳代の若い民間人だった

(3)約5万人がいま、重い放射能障害による病気に侵され、すでに200人、300人に1人の割合で死んでおり、残された人たちも病気の恐怖と闘っている──などが明らかになり、事故による放射能汚染がこれまでの公式発表以上に深刻な人体への影響を起こしていることが、わかった。
大会を主催したチェルノブイリ同盟は、事故のあと原発施設などの除染作業に参加した人たちが重い障害に苦しんでいるのを支援するためにつくられた、民間団体。昨年暮れから、モスクワやキエフを中心に各地で活発な活動が始まっている。これまでバラバラだった組織を統一しようと15日から第1回大会が開かれ、各地から1000人を超す代表が集まった。
大会が開かれたウクライナ共和国の首都キエフは、チェルノブイリ原発から南へ約90キロ。現在でも東京やモスクワでの自然の放射能に比べて、2倍の放射能の高さを示す。会場の一角に事故の写裏とともに、人名を連ねた黒い布が垂れている。名前が連なったその上に「次に死ぬのはどなたですか」と書かれている。事故処理に参加した仲間の名前を書いたものだった。
「私の命はあと1、2年しかないだろう。残された期間を仲間のためにささげたい」。ラトビア共和国の代表、テルゲイ・ビルコフさん(28)は、右足をひきずりながら報告した。爆発した第4号機に隣接する第3号機の運転を再開するため、原子炉から飛び散って屋根にたまった黒鉛を取り除く作業に加わった。右足に放射能によるやけどを負ったほか、今は中枢神経が侵されひどい頭痛に悩まされているという。昨日も失神して倒れた。
ビルコフさんらラトビアの同盟支部の調査によると、除染作業に加わったラトビア人は5500人。そのうち9人が自殺、26人ががんや白血症などで死亡した。さらに、1000人が頭や血のがん、免疫低下、白血症で苦しんでいるという。
地元のウクライナ共和国にあるドニエプロペトロフスキー市のロズモフ・ミハイル副支部長(42)も、「支部の管内では2万2000人が除染に駆り出され、現在77人が病気で死亡、11人が病気の回復がないため自殺した」と報告した。さらに、「今回の大会では全ソ的な死亡者の数はつかまれていないが、うちの支部では処理作業参加者の8割が体の不調を訴えている。この死亡の数学はまだ始まりであって、これから2-3年たつとピークになるだろう」と不安を訴えた。
これまで除染作業の実態は、ソ連国防省が担当していたため明らかにされていなかった。しかし、今回の大会で、こうした参加者は60万人に達するとされた。うち4分の1が正規の軍人兵士で、残りのほとんどは「ズボレ」と呼ばれる民間人だ。最初の2カ月間ほどは国防軍の化学的兵器防御部隊の兵士たちだったが、その後は、45歳までの民間人に義務づけられている再訓練を名目に、ソビエト全土から招集されていたという。
会議最終日の17日夜、統一組織「全ソ・チェルノブイリ同盟評議会」が正式に発足した。ソ連最高会議が各共和国などに対して被ばく者への十分な社会・医療保障を求めるアピールを採択するとともに、世界の各国に対しても支援を求める大会宣言を出した。

(毎日新聞 1990/06/18)