【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
「私たちも被ばく者」原爆製造した米都市の男女 核廃絶を訴え
長崎市に投下された原爆のプルトニウムを製造したハンフォード核施設がある米国ワシントン州リッチランド市から、男女2人の米国人が、初めて長崎にやってきた。「私たちも核施設から漏れた放射能で被ばくした核の被害者。長崎の被爆者の思いと、私たちの気持ちは同じだ」といい、8日、長崎大学医学部で診察を受けたり、他の被爆者養護老人ホームを訪れたりして、核廃絶を訴えた。今も核施設のすぐ隣に農場を持つトム・ベイリーさん(41)と、風下に住んでいたミリー・スミスさん(40)の2人。原水禁(社会党、総評系)の原水爆禁止世界大会に海外代表として参加した。
ベイリーさんは祖父母と両親、姉妹らをがんで亡くし、自分もツメの奇形などの障害を持って生まれた。これまで3回、髪の毛や歯が抜けたほか、背中にしゅようができたり、両足がしびれたりの苦しみにつきまとわれている、という。スミスさんは高校時代に体調が悪化、慢性疲労で働けなくなった。1年半前には甲状せんがんと診断されたという。
スミスさんは「罪滅ぼしのため長崎に来ました。まだ声が出るうちに、核は地球上の生命を破壊するだけであることを訴えたい」と話している。
(朝日新聞 1988/08/09)