【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】

ソ連原発事故 核実験では見られぬ新汚染
斑点状に濃い死の灰 ポーランド全土
周辺部の数百倍 直径数十~数百メートル


ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号炉(黒鉛チャンネル型、100万キロワット)から大気中に出た放射性物質(死の灰)で汚染されたポーランド各地に、「放射能が特別に強い地域」が多数生じていたことが、ワルシャワの放射線防護中央研究所(ズビグニエフ・ジャワロウスキ所長)の調査で、このほど明らかになった。


研究者たちはこの汚染の斑点を「ホットスポット」と名づけ、核実験の死の灰による汚染では見られなかった新しい現象と注目、同研究所は近く調査報告書をまとめて公表する方針だが、除染法や被ばく防止策について、専門家の間で新しい議論が起こっている。


ジャワロウスキ所長が朝日新聞記者(吉田文彦前特派員)に明らかにした内容によると、ホットスポットは地上に残った放射能の「足跡」のようなもの。周辺に比べてその部分だけ、汚染がひどい。事故直後に放射能の雲が通過したポーランド北東部を中心に、全国的に点在した。形は円に近く、大きさは直径数十メートルから数百メートルとさまざまだった。ホットスポット同士の距離は、200メートル以上離れたものが多かった。


5月初旬ガイガーカウンターで地上の放射能を測定した際、突然、異常を示すカウント数が汚染の少ないところに比べ数十倍から数百倍にまでハネ上がったことから発見された。スポットの境界は、測定器を持って数歩動いただけで確認できることが多かった。


スポット内の放射性物質は分析の結果、ほとんどすべてが、原子炉から出るホットパーティクル(放射性微粒子)の1つ、ルテニウム微粒子(直径1-2ミクロン)で、それが特定の地域に広がっているとわかった。


同研究所は、放射能の強さについては今のところ公表していないが、ソ連事故による同種のルテニウム微粒子はスウェーデンでも発見され、分析した同国のスタズビック・エネルギー技術公社によると、ルテニウムのホットパーティクルの放射能は、1個当たり1000-10000ベクレルの極めて高い値だった。


ルテニウムはベータ線を出し、体の外からの被ばくはほとんど問題にならないが、ホットパーティクルが、呼吸や食物を通じて体内に取り込まれたときは問題になる。国際放射線防護委員会(ICRP)の基準では、原子力施設の労働者について、1週間に40時間働くとして、空気1立方メートルあたり800ベクレルが許容量。ホットパーティクルが1立方メートル中に1個あるだけで、基準を超えるほどの強さになる。


原発でできる死の灰の種類は、理論的には核爆発によるものと似ており、放射性ルテニウムはいずれにも含まれている。しかし、核爆発は一瞬に反応が起き、温度も原発の炉内よりはるかに高いなどの理由から、飛び散る核種の内容に違いがある。また核爆発はかなり高くまで死の灰が舞い上がるという違いもあることから、核実験の場合ではルテニウム微粒子が今回のようにまとまって観測されたことはなかった。



雨で高汚染物質落下か


<解説> ホットスポットがなぜ巨大な足跡の規模になり、なぜ特定の放射性物質の種類(核種)が集まるのか現在のところ発生のメカニズムはなぞに包まれている。仮説としては、「ポツポツとまとまった形で上空に漂っていたホットパーティクルが雨と一緒に落ちた。つまり雲の配置が決め手になりそう」などが考えられている。今回の発見で、地上の原子炉が破壊し、汚染源からの放出が長期間続くような事故に備えて、新しい局地気象学や対流圏の科学の必要性が認識されつつある。


事故で高温になった炉心からは気体状の四酸化ルテニウムが出る。空中で冷え、粒子状の金属ルテニウムや二酸化ルテニウムに変わり、雲で運ばれる。


ソ連が国際原子力機関(IAEA)に提出した事故報告書によると、環境へ放出された放射性物質の量は希ガスを除くと約5000万キュリー、広島原爆数十発分。このうち、事故炉から半径30キロ以内の危険区域に落ちたのは最高時でも2000万キュリー以下で、残りの多くが、この区域外のソ連内や、ポーランドを始めとする欧州諸国などに降った。


ポーランドは、ホットスポットによる被ばくをどう防護したかを、明らかにしていない。地面に落ちた場合、チリと一緒に吸わないようにするなどの防護策が必要だが、どれだけ吸えば人体に危険かという研究はあまり進んでいない。


(朝日新聞 1986/08/19)