【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
チェルノブイリ事故 爆発し炉上に火の玉 放射線計器振り切れ
プラウダが生々しい手記
【モスクワ26日=共同】
「突然、蒸気の漏れる音がし、爆発が起きた。窓に駆け寄ると、さらに続いて何度か爆発があり、4号炉の上に黒っぽい火の玉が見えた」-。26日付のソ連共産党機関紙プラウダは、1カ月前チェルノブイリで起きた史上最悪の原発事故を間近で経験した人たちの生々しい手記を紹介した。このうち何人かは既に死亡したという。
「プリピャチに小鳥のさえずり-事故から1カ月」と題するこの記事は、消火作業に当たった人たちが病院で書いた手記などの抜粋の形で、初めて事故当時の模様を詳しく伝えるとともに、計測器の針が振り切れるほど強い放射能の中で、文字通り決死の作業が続けられたことを、生々しく再現している。
手記は言う。「コントロールセンターから火の手が上がったのが見えた。みんなで原子炉の火災以外にないと結論、キエフに連絡した」
「困難な状況にもかかわらず、だれも恐れなかった。それどころか、団結と組織力が発揮され、知恵と勇気は時として、危険な決定を自発的に行った」
「3号炉の方に水が押し寄せようとしていた。これを防止しなければならないが、その場にはわれわれしかおらず、放射能が高いことは知っていたが、とどまった。測定器の針は振り切れており、検査係にも、どのくらいの放射能があるか分からなかった」
記事はまた、政府事故対策委員会の責任者として現場で指揮を執っているウォローニン副首相の話として、現場処理の進み具合を伝えている。
それによると、4号炉は依然危険な状態にあるため、人間は近付けず、無線操縦の機械で作業が行われている。また現在、炉の下では、8つの作業隊が3時間交代24時間態勢で、地中に穴を掘りコンクリートで固める作業をしているほか、建屋の周辺にもコンクリートの壁を築き、放射能を遮断する作業が近く行われるという。
さらに同副首相は、これと並行して、1、2号炉の操業再開の準備に着手する方針を明らかにし、「数カ月は必要だが、今年中には操業を再開したい」としている。
また、近く避難している農民の一部を帰宅させることを明らかにした。
(朝日新聞 1986/05/27)