自分の中には、もう一人の自分が生きている。なんて、よく物語というか小説の中にも比較的出てくるもの。出やすい、出しやすいものだと思う。私もそのうちの一人だ。これだけは誰に何と言われようと(まあ言われる言われない以前に気付かないとは思うが)やめるとか譲るとか、変えるつもりは全くない。なぜそこまで言い切れるのかは自分でも分からない。分からないけど、もしかしたらこれが理由なのかもしれないと思うものはある。可能性として限りなく、これが理由かもしれないと思うものが。
私は一人っ子で、兄弟がおらずいつも友達の兄弟の話や見掛ける度に、少しではあったが羨ましいと感じていた。もし私に兄弟がいたら、あんな風に喋ったりするのかなといつも頭の中で思っていた。兄弟がいない分、家族からはたくさんの愛情を注がれていた。ヒシヒシととても強く感じていた。それは一人っ子であるが故の特権とも言えるが、逆に言えば、過保護過ぎてしまうという点も同時に発生する。均等に分け隔てなく、注がれる愛情。一人っ子でも兄弟がいてもそれは変わらないだろう。そうであっても、そうでなくても、やはり兄弟はいたほうがいいと思う。よく一人っ子って何でもしてもらえるし、いいよね。って言われるけど、私は兄弟欲しかったなぁと返している。兄弟がいても大変だよ、面倒くさいしとか、たまにいなくてもいいと言う人もたまにいるが、それは言葉の文だ。本心はそんなこと全く思っていない。
兄弟のいない一人っ子の私としては、時々気に入って買ってくる可愛いぬいぐるみたちが、私の兄弟。だからといって面と向かってお喋りしたり、なんてことはしない。天気の良い日に新聞をひいて、日向ぼっこはさせるけど。気に入ったのが一匹、また一匹と増えていき、今ではもう一体何が何匹いるか分からない。と言っても、正確な数を把握していないだけで、そこまでたくさんいるわけではない。自分から見ればこんなもんかなと思っているが、人から見たら果たして多いと思うか普通と思うかは分からない。
と、そのぬいぐるみ兄弟のことは置いといて、最初に戻そうかな。始めに書いた通り、私の中にはもう一人の私が生きている。何時から居るのかは分からないが、物心着くころには居たかなと思う。正確には分からない。ただ、そう書くと多重人格なのか?と思うこともあるかもしれないが、それは全くない。ただ、うすーいベールに包まれたような、もう一人の私が居るという感じ。例えば、何か不安になって怖いと感じたとする。そしてもし周りに誰もいない一人の状況のとき、一人二役で、もう一人の私を意識的に出してくる。そうすると、全く違う別の誰かが傍にいてくれているような感じがして、とても落ち着き、安心する。つまり、和らげてくれる。もう一人の私とは、そういった役割をする者なのだ。意図的に、自分が作り出した謂わば分身のようなものであり、何かに迷ったときは二人で悩んで考える、それがとても落ち着くこと。安定させるための行為。それはまるで、赤ちゃんが親指をくわえて落ち着くのと同じようなもの。言葉でハッキリとは現せない、ぼんやりとしたもの。そういう存在。もう一人の私は今も私の中で生き続けている。/