人に親切にしたとき、
見返りを求めるのであれば
親切にしない方がマシかもしれません。

命を助けるくらいのことをしたら
ちょっとは見返りを求めるしれませんが...

そもそも、親切や気遣いというのは
見返りを求めてするものじゃないんですね。

〜してほしい、と言われたら、気が向いたらしてあげて、
それに対して何もなければ、それはそれです。

子育てに見返り求める人なんて論外ですよね。
だから毒親とか言われるんですよ赤薔薇

言われてもないことをして、勝手に見返りを求めてプンプンする醜さを知ってほしいです。

気遣いができる、というところまでは素敵です。
そこは誇ってよいのですが、
相手に見返りを求めてしているのであれば
それは気遣いじゃなくなってしまいます。

ただの、ありがた迷惑です。花束

恋愛もそうです。
夫婦仲もそうです。
見返りを求めるからお互いに鬱憤が貯まります。


夫はまったく見返りを求めてこないです。
正直、親切じゃない時も気が利かない時もあります。
でも、爽やかなんですよね。
気づいた時だけ、自分の精神や感情をコントロールできる範囲だけで親切をやってくれるというのは
簡単そうですが、かなり精神的に自律していないと難しいことだと思います。
そういう夫の「純粋な優しさ」が私は好きです。



優しい人は、なんでも相手のためにと思ってしてしまいがちなことがあります。
それは心からやってあげたいと思うからやっていることだし、素晴らしいことです。
でも、自分のことを蔑ろにして抑え続けて
相手のためにと何かしてあげていると
いつかパンクします。

...痛いところを付くと
心の奥底、自分でも自覚できているかいないか分からないような、腹の奥のどす黒い所では、
相手のためという便利な言葉を使いながら

自分の優しさに酔ってませんか?
人に優しい自分が誰よりも偉いって


...私は、昔から
プロフィール帳の長所には
「優しい、おもしろい、明るい」
と色んな人に書かれていました。

でも、短所の欄にも99%くらい
「優しすぎる」
と、書かれていました。

15年くらい、ずーっと謎でした。
優しすぎることは、何故短所なのだろう、と。

学生ながらに出した当時の結論は
「社交辞令で書いてくれてるんだ」でした。
強いて言うなら短所にならなくもないから、欄を埋めるために書いてくれていると思っていました。

今でも、それも半分正解だと思っています。
ただ、歳を重ねて、月日が経つにつれて
優しすぎることは、いけなかったんだと思います。
学生の語彙力で、端的な言葉を使った結果
「優しすぎる」という言葉で表してくれましたが

・他人に優しすぎることで自分自身を大切にできていないところ
・ありがた迷惑なところ
・優しすぎる自分に酔いしれている腹黒さ
・優劣思想   etc.....

自分でも気づいていない愚かさを
見透かされていたんだと思いました。

自分の親がそうですから
余計にストンと落ちました。


長年考えて得たこと
・優しいことが偉いわけではない
・優しくしなくてもいい
・そもそも偉くなくていい
・言わないことやしないことに品性が出る
・見返りを求めることは、親切にしないことよりも相手にとって害を成すことがある

ということでした。

子育てしていると、親としては
やっぱり優しい子になってほしいと思うし
人に優しくできたらつい褒めます。

でも、優しくできないあなたでもお母さんは好きだよって包み込めたら
私みたいな大人にならずに済むと思うから。。

見返りを求めてしまう人は
自分自身に「優しくないあなたもすき」と言葉をかけてあげてくださいね。

見返りを求める優しさは醜いだけですから赤薔薇