★第183話:ミュージシャンの名前が題名または歌詞にある曲 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

 今回は、「ミュージシャンの名前が題名または歌詞にある曲」の特集を。写真の左が歌っている歌手で、右が題名または歌詞で紹介されているミュージシャンだ。順に紹介してみよう。

杏里…オリビア・ニュートン・ジョン

杏里/オリビアを聴きながら(1978年)

〇シンガーソングライターで、松田聖子「天使のウィンク」など他のアーティストにも多くの楽曲を提供している尾崎亜美64歳、写真)が作詞・作曲をして、杏里(59歳)に提供された。

「オリビアを聴きながら」の「オリビア」とは、オーストラリアが生んだ歌姫・オリビア・ニュートン・ジョン(現在72歳)のこと。彼女は、1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気を博した。(拙ブログ「第472話:オリビア・ニュートン・ジョンその1」参照) 
 この曲は、直接的にオリビア自身について歌ったわけではなく、女性目線で恋の終幕が歌われた "失恋ソング" の類であり、主人公の女性の「お気に入り」として名前が登場する。尾崎亜美が、杏里の楽曲制作を担当することになり、その当時の新居に越したばかりの尾崎の自宅へ杏里が訪れて、尾崎といろいろな会話をしたところ杏里がオリビア・ニュートン・ジョンが好きという話になりこの楽曲を制作したという逸話がある。

 なお、サビの箇所で「making good things better」というフレーズが登場するが、これはオリビアが1977年に発表した楽曲「MAKING A GOOD THING BETTER」(邦題:きらめく光のように)から由来しており、ここでは、2人の愛をさらに深め、もっと育てようという内容の明るい歌詞だが、「オリビアを聴きながら」では、そうした愛が終ってしまい、「いいえ、済んだこと」と歌われている。(Wikipedia参照)

 

森田童子…チャーリー・パーカー

森田童子/ぼくたちの失敗(1976年)

伝説のシンガーソングライター・森田童子(もりたどうじ)さんが2018年4月24日に死去していることが分かった。享年66歳、心不全だったそうだが、亡くなるにはまだ早い歳だ。

 「謎の人」というイメージが強く、相当美人だったと思われるが、人前ではいつもサングラスで絶対に素顔を見せたことがない。自分は彼女が男性と思っていた時期があるほどだ。森田童子という名も芸名で、本名は非公開だ。また、次の一文が、公表された彼女の実人生の全てである。
 
「1952年東京に生まれる。学園闘争の渦中にあった高校時代、ラジオの深夜放送でサイモン&ガーファンクルを聴いていた。1970年に高校を中退、暇に任せてふらふらと旅に出る。1972年、20歳の夏、友人の死を知らせるはがきが届いたのをきっかけに、めまぐるしく疾風のように通り過ぎていった青春を振り返って歌い始めた
 若さとむなしさが充満する歌詞と、語り掛けるような歌声が特徴で、
「ライブハウスの旗手」とうたわれるようになり、「地下の歌姫」としてカリスマ的な人気を博した。
 デビュー3年目の1977年6月、東京都・豊島公会堂での東京初のコンサート
「童子像」は、定員800人の会場から300人もの観客があふれ出てしまったほどの盛況だったという。ところが、「80年代になると、もう自分の居場所はないと思ったのか、新曲を作らなくなった。その意味では、溶けていくように消えてなくなったというのでしょう」と言うように、1983年に東京・新宿ロフトでの公演後、活動を休止した。明確な引退宣言はなかったが、引退後は主婦として暮らし、表舞台に出ることはなかった。
〇引退した10年後の1993年、TBS系で放映されたドラマ
「高校教師」(画像)が一斉を風靡した。

 東京の女子高に赴任した生物教師で、
真田広之(60歳)演じる羽村隆雄と、今は引退したが、当時19歳だった桜井幸子(47歳)演じる高校2年生の二宮繭が、教師と生徒との恋愛という社会的タブーに真っ向から捉えた演技に挑戦し、空前のヒット。著者、野島伸司(58歳、写真)の名が世に知れ渡った作品でもあった。


 そのテーマソングに森田童子の曲
「ぼくたちの失敗」(1976年)が選ばれ、リバイバルヒットとなった。
 <歌詞>
 
春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね 
 君と話し疲れて いつか黙り込んだ ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた
 地下のジャズ喫茶 変われない僕たちがいた 悪い夢のように時が撫ぜていく
 僕が独りになった部屋に君の好きな 
チャーリー・パーカー見つけたよ僕を忘れたのかな
 ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう あの子はまだ元気かい昔の話だね 

〇この曲の中で歌われている、チャーリー・パーカー(1955年、34歳で没)とは、アメリカ・カンザスシティ出身のジャズミュージシャン。アルトサックス奏者でコンポーザー。1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルの創成に、ディジー・ガレスピーと共に携わった。これにより「モダン・ジャズ(ビバップ)の父」とも言われる。(Wikipedia 参照)
 

荒木一郎…ジャニス・ジョプリン

荒木一郎/ジャニスを聴きながら (1975年)

荒木一郎(77歳)のトレードマークはサングラス。テレビ局にもサングラス着用で出入りする札付きの不良、そしてその佇まいは現在でも変わらないということを、2016年10月3日に開かれた歌手デビュー50周年コンサートの観客たちはしかと目撃した。(拙ブログ「荒木一郎」参照)

 この人のLPレコードは今も持っている。荒木一郎ベスト・ヒット12(写真、1976年)。この、「ジャニスを聴きながら」の他に、「今夜は踊ろう」、「いとしのマックス」、「君に捧げるほろ苦いブルース」などの名曲と、大好きな曲で、カラオケの持ち歌である「空に星があるように」などが収録されている。

〇題名と歌詞の中にある 「ジャニス」とは、アメリカ・テキサス州ポートアーサー出身の女性ロック歌手、ジャニス・リン・ジョプリンのことで、魂のこもった圧倒的な歌唱力と特徴のある歌声により、1960年代を代表する歌手として活躍。1970年にヘロインの過剰摂取により死去。27歳だったが、死してなおロックの歴史を代表するシンガーとして、今日に至るまで人気を博している。彼女をモデルにした映画は、ベット・ミドラー主演の「ローズ 」(写真、1979年)と、「歌え! ジャニス★ジョプリンのように」(2003年)が有名。(Wikipedia参照)


吉幾三…エルビス・プレスリー

吉幾三/俺はぜったい!プレスリー(1977年)

吉幾三(68歳)は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身。現在は青森県在住。今でこそ、演歌界の大御所であるが、アイドル歌手「山岡英二」としてスタートしたがまったく売れなかった。

 「俺はぜったい!プレスリー」は飲み屋を流しとして歌うなどして何とか生活している状況の中で生まれた。歌のコミカルさをレコード会社のスタッフから見出され、レコーディングを行ったが、吉いわく、エルビス・プレスリーの楽曲は全く知らなかったが、この年にエルビスが亡くなったニュースを聞き、彼の名前を冠した歌を作ったという。また、「吉幾三」の名前については、「気が付いたらレコード会社の人に『吉幾三』と付けられていた」とこのことだ。
〇翌年に本作をベースとし映画化された
「俺は田舎のプレスリー」の原案は山田洋次が担当した。舞台は青森県五所川原市で、主人公を勝野洋、性別適合手術により女性となった人物(主人公の兄)をカルーセル麻紀が演じている。吉幾三自身も主人公の友人役でカメオ出演した。

エルビス・プレスリー (1977年、42歳で没)は、アメリカのミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは6億枚以上とされている、「世界史上最も売れたソロアーティスト」の第1位。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。

 

吉田拓郎…南沙織(シンシア)

よしだたくろう/シンシア(1974年)

〇 「シンシア」とは、1971年に「17才」でレコード・デビューを飾り、「元祖アイドル」と語られることもある女性歌手、南沙織(66歳)の愛称で、クリスチャン・ネームでもある。なお、シンシア(Cynthia) は月の女神アルテミスの別名キュンティアーの英語読み。
 彼女の
「早春の港」(1973年)を耳にしたよしだたくろう(注:吉田拓郎の当時の芸名、77歳)が、この曲のアンサーソングとして、かまやつひろし(2017年、78歳で没、写真)と連名で発表した。現役ミュージシャンが同時期に活躍するアイドルに捧げた歌という点が特徴である。
 

 

石野真子…沢田研二(ジュリー)

石野真子/ジュリーがライバル(1979年)

〇私生活では2度の結婚、離婚を経験。その後、交際相手の妻公認の不倫関係が話題になるなど波乱万丈の人生を経験した、元アイドル歌手・石野真子(60歳)だが、彼女の歌う「ジュリーがライバル」にある「ジュリー」とは、言わずと知れた沢田研二(72歳)の愛称であり、振り付けの中でも沢田の振り真似を取り入れている。また、サビ前に「危険なふたり」に似たフレーズを入れてある。カリプソ風味のサウンドと冒頭のライラ・ライラ・・・というコーラスが楽しい曲で、「春ラ!ラ!ラ!」に続くセールスを記録した彼女の代表曲。この曲で発売の年の1979年の「第30回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。その際、同じく出場していた沢田が、「狙いをつけてー、素早くバーン、バババーン!」と石野が歌う最中、振り付けの拳銃から発射された弾丸をおどけて払い落としている様子の沢田がオンエアされるという演出も行われた。また、この紅白歌合戦の一連のシーンが、高倉健主演の映画『駅 STATION』の劇中に使用されている。石野は紅組のトップバッターとなり、この年の紅白歌合戦1曲目を歌った。尚同曲の歌唱中、白組出演で「ジュリー」こと沢田研二の表情が映る場面があった。(Wikipedia参照)
 なお、
平井堅が沢田をモチーフにした「お願いジュリー」というアルバム曲を出している。
沢田研二のニックネームのジュリーの由来は、自身が女優のジュリー・アンドリュース(85歳、写真)のファンだったため。

 1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期からスーパー・スターとして活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録(1982〜1991年の9年間は歴代1位の座を保つ。アルバムも合わせた総売上は約1,572万枚)。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。(拙ブログ「沢田研二」参照)
 2017年7月16日、自身の
芸能生活50周年を記念した全国ツアー「沢田研二 50周年記念LIVE 2017-2018」をNHKホール公演を皮切りにスタート。50周年にちなんで往年のヒット曲から最新の楽曲まで50曲をワンコーラスずつ歌った。また、2018年7月から2019年2月にかけて、アリーナクラス10公演を含む全67公演に及ぶ大規模な古希記念ライブツアー「沢田研二 70YEARS LIVE 『OLD GUYS ROCK』」を開催した[22]。なお、当該ツアー中、10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでの公演が観客が少ないことを理由に開演直前になって急遽中止になるというトラブルが発生した。
 最近では、新型コロナウイルスによる肺炎で死去した
志村けん(2020年、70歳で没、写真)が主演を辞退した映画「キネマの神様」山田洋次監督、8月6日公開、画像)の代役を務めた。「8時だョ!全員集合」で共演するなど約50年、親交のあった志村さんの遺志を継ぐジュリーは「幸福のスイッチ」(2006年)以来、15年ぶりの映画出演となる。

 映画
「キネマの神様」は、松竹映画100周年の記念作で、原作は原田マハ氏の同名小説。沢田はギャンブルに明け暮れ、家族に見放されながらも映画を愛してやまない主人公・ゴウを演じる。若き日のゴウ役を務める俳優の菅田将暉(27歳)と2人1役のダブル主演。山田洋次監督(89歳)が3月29日、都内で行われた映画「キネマの神様」(8月6日公開)完成報告会見で、志村けんの代役を務めた沢田研二に感謝した。山田監督作品は、妻となる田中裕子(65歳)と共演した「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(1982年)以来、39年ぶり。山田監督は「志村さんとは違うゴウちゃん。沢田研二さんならば、別なゴウちゃんの魅力を引き出してくれると確信しています」と信頼を寄せる。
(Wikipedia参照)