●「天秤のような人生」と「禍福は糾える縄の如し」
「人生は天秤(写真左)のようなものだ。不幸なときが続いても、いつか必ず揺り戻しがある。幸福なとき浮かれていると、不幸が近づいて来ていることに気づかない」と、拙ブログで書いたことがある。実際、自分はそういった人生を歩んできた。同様のことわざに「禍福は糾える縄(写真右)の如し」という言葉がある。「人生は、いいことがあると、必ず、そのすぐ後に、よくないことがあって、つまり、幸福の縄と不幸の縄と二本で、ひねってある」という意味だ。
特に50代は転職を繰り返して、不本意ながら短編小説ぐらいは作れるほど、波瀾万丈の人生を歩んだ。それでも何とか生き延びて、60代になりほとんどの期間を1社で勤めたほど、運が上向いてきた。その勢い?で70歳に臨み、今年の3月末に、3年間近く勤めたあるマンションの管理人を終えた。(「第94話:あるマンションの管理人を終えて」(3/31作成)参照)
それが、まだたった半年前のことなのに、もう随分前の出来事のようだ。勤務の最後には、ほぼマンションの皆さま全員にお別れの挨拶をすることが出来た。いいときに辞めたせいだろうか、予想以上のねぎらいの言葉と、たくさんの方からお手紙やお菓子などの餞別をいただいた。特に嬉しかったのは何軒か、お子さんの絵や添え書きがあったことだ。人生でこんなことがあっていいのだろうかとさえ思ったものだ。
次に、71歳になった早々の今年の4月から、会社から紹介されたマンションにその余韻を残したまま、意気揚々と出勤した。「第124話:今の仕事で3ヶ月が経った」(6/30作成)参照)
ところが、そんなに幸せばかりは続かないと危惧はしていたものの、その通りとなった。詳細はここでは語れないが、改めて人間関係の難しさを味わったとだけを言っておこう。
ちょうどコロナ禍の緊急事態宣言と重なり、自宅待機になったマンション管理人も多い中、勤務先まで電車で1時間以上かかるところまで1週間に5日、休んだこともなかったが、やはり老化を感じることも多くなり、もうそこまで頑張る必要もないのではと思うようになっていた。
それでもまた、過去の転職のときの様に、救いの手が差し伸べられた。前からやってみたい仕事があって、それをやってみないかということになり、とんとん拍子にことが運んだ。来月初めからその仕事に就く。もちろん、これも経験したことがないので、上手く行くという保証はないが、「やらないで後悔するより、やって後悔した方がずっといい」
もう残りの人生はそんなに長くはない。精神的ストレスを抱えてグズグズと働いているよりは、その方がはるかにましだ。好くしていただいた方には半年だけの短い勤務で申し訳ないと思う。もっとマンションの運営を良くするためのプランもあったが、提案としての遺言は残すが、後任に託すことで許していただきたい。
「第94話:あるマンションの管理人を終えて」の最後に、ザ・フォーク・クルセダーズの「青年は荒野を目指す」の動画を貼り付け、その言葉をもじって「老年も荒野を目指す」と書いたが、正にその通りになった。チャンスをいただいたからには全力を尽くしたい。
ザ・フォーク・クルセダーズ/青年は荒野を目指す
仕事をしたくても出来ない人もいる。仕事にありつけたところで、不本意な仕事だったり、いくら頑張っても報われない人生もある。自分の場合はまだまだ「運」が味方に付いていてくれた。「人生いたるところに青山あり」である。
今の仕事もあと半月。残りわずかになった。後任には余計な苦労をかけないように、引き継ぎ書を完成させたい。また、会社には業務の改善案を提言することを約束している。
もう一つ。もうその地を訪ねることも少なくなるだろから、休みを使って近くの名所に行ってみたい。
●最後に、曲を。
岡本真夜/TOMORROW(1995年)
Kiroro/未来へ(1998年)
吉永小百合withトニーズ/映画「青春の海」主題曲「勇気あるもの」(1967年)