●天声人語の「漢字」
たまたま昨日(12/13)の朝日新聞「天声人語」のテーマが「漢字」だった。
漢字の発明者は中国の伝説によると、蒼頡(そうけつ、 BC2667年 - BC2596年、画像)という聖人だったという。驚くのは後の時代に描かれた肖像画である。何と目が四つある。
その前日、京都の清水寺で「今年の漢字」が墨書きされたことにも触れている。2025年は「熊」(23,346票)が応募による第1位となったが、大方の人はうなずくことだろう。全国各地で「熊」の被害が相次ぎ、市街地にまで「熊」が出没するなど、生活や経済活動にも深刻な影響を及ぼした。 2位は僅差で「米」(23,166票) 3位:「高」(18,300票) 4位:「脈」(6,418票) 5位:「万」(5,656票)。ちなみに、過去の「今年の漢字」は、 2024年:「金」、 2023年:「税」、 2022年:「戦」、 2021年:「金」: 2020年「密」だった。
「漢字とは思想である。遠く西方の「バベルの塔」の神話によれば、人間は元々同じ言葉を話したが、神の怒りでバラバラにされた。かたや東方には、異なる言葉の人間同士が、文字の統一によって対話可能になったとの話が伝わる。漢字のない文化とある文化、その視点の違い私たちはたった一つの漢字を見るだけで、思いを同じくできる、見知らぬ人とも、ああ、今年はそんな年だったねと感慨を共有できる。四つ目の聖人の発明には、なんとも不思議な力がある」。と結ぶ。
●「漢字文化圏」と日本
■漢字文化圏
漢字文化圏とは、中国と中国皇帝からの冊封を受けた周辺諸民族のうち、漢文(特に中古漢語)を媒体として、中国王朝の国家制度や政治思想をはじめとする文化、価値観を自ら移入し、発展させ、これを中国王朝と緩やかに共有しながら政治的には自立を確保した地域を指す。
現在の地域区分でいうと「東アジア」と重なる部分が大きく、現在の中国大陸、台湾、ベトナム、朝鮮半島、日本列島、琉球諸島に代表される地域がここに含まれる。(図)
ところが、漢民族を主要な民族とする国以外で、現在まで漢字を日常的に使用している国家は日本だけである。ベトナムでは識字率向上の観点から、義務教育で完全に漢字教育を廃止した。朝鮮半島では、北朝鮮は公式に漢字を廃止して、国民には漢文教育のみ行っている。韓国では、独立と同時にハングル専用法が制定され、漢字は括弧書きでの扱いとなった。さらに漢字教育は重要視されず、1970年代以降必修教科でなくなったことから、漢字を読めない世代が増加している。
■日本語の歴史
漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にかけてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。
「漢字」は黄河下流地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆかりもない全く異質な言語である。しかし、歴史的には日本はずっと偉大なる中華文明の周辺にに位置してその恩恵をあずかってきた。
漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面していた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言霊」を失うかも知れない、という恐れだった。こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。歴史上、そういう例は少なくない。しかし、古代日本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表そうと苦闘を続けた。
日本は表音文字であるカタカナとひらがなを発明した上で表意文字である漢語も併用することにした。巧妙な文字使いであり、賢明な選択だった。お陰で中国から儒教や仏教の抽象語を移入するときも概念が掴みやすかった。
日本語には大きく分けて3種類ある。(図)
日本語では和語(大和言葉)を固有語といい、借用語(漢語と外来語)でない当該言語に固有の語または語彙に該当する。日本語の文例では、「わたくしは学校にいく」のうち、借用語は名詞の「学校」だけで、他の「わたくし」(代名詞)「いく」(動詞)「は」「に」(助詞)はいずれも固有語である和語である。そして、カタカナがあったために我々は西洋の言葉を自在に入れることもできた。
外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をいくら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はない。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた文明を吸収できる。これこそが古代では漢文明を積極的に導入し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的活力の源泉である。
多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあっていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれた「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知的財産なのである。(Wikipedia 、池澤夏樹「終わりと始まり」参照)
■漢字の難しさ
日本語は難しい。アメリカ国務省・外交官養成局(FSI)では、言語ごとに習得難易度をランクしていて、他国では半年とか長くて1年なのに、日本語は超難易度で、最低でも2年かかるそうだ。その例でも分かるように、世界でも最も難しい言語と言われる日本語だが、「習うより慣れろ」(Custom makes all things easy)で、生粋の日本人である自分でさえ、一生かかっても日本語のマスターは難しいと感じている。難しい理由はいくつもあるが、中でも「漢字」が挙げられるだろう。
室町時代、日本に初めてやって来たキリスト教の宣教師たちは、「漢字は布教を妨害するために悪魔が作った文字だ」と思ったそうだ。それくらい、訳の分からない、覚えられるはずのない文字に見えたのだろう。
非漢字圏の人たちに漢字の第一印象について尋ねたアンケートでも、「どこから書き始めるのかも分からない」「覚えるのは不可能」「意味のあるのが信じられない」「見るだけでパニックになる」という、ネガティブなものが多くあったそうだ。
実は子供のころ漢字が大好きだった。まだ「遊び」の少ない貧しい時代、自分は末っ子だったが、兄や姉と漢字の競争が「遊び」の一つだった。例えばしりとりのように、にんべんやごんべんの漢字を知っているだけ書いて行く。
「任→儀→価→侍→化→伯→件→健→仕→伊→作→偏→何→但→個→係→伝→代→伏→休…」続けて漢字が書けなくなればそのときが負けだ。知識欲と競争意識が強く、年上の相手を負かすことが面白く、おかげで当時、国語は成績が良かった。
小学校6年生のとき、先生から、「工場」は「こうじょう」と読むという話があった。思わず手を挙げた。「言葉の読み方には重箱読みとか湯桶読み*というのがあって、「こうば」という言い方もあるのではないでしょうか」。
*「重箱」の「重=ジュウ」は音読み、「箱=はこ(ばこ)」は訓読み。このように、音読み・訓読みの順で漢字を読む熟語のことを、重箱読みといい、逆に、訓読み・音読みの順番で漢字を読む熟語が、湯桶読みという。
こんなことを発言する生徒がいるとは想像していなかったようで、とても驚いた先生の顔を見て自分は内心「鼻高々」だった。ますます漢字が好きになったことは言うまでもない。(★第339話:重箱読みと湯桶読み参照)
それから、40年後、会社の教育研修の一環だった「日本漢字能力検定」(通称:漢検)の準2級に挑戦したことがある。2006年、57歳のとき。もはや、最盛期の面影はなし。答えが喉に出かかっているのに出てこない。このもどかしさ。それでも150点/200点で合格。調べてみると高校在学程度だとか。まずまずではないか。いい思い出にはなった。(写真は自分のものではありません)
●漢字の数の多さ
それにしても漢字の数は多い。漢字辞典によると、現在の漢字の字数は10万字を超えるそうで、大修館書店で出版されている大漢和辞典では、約5万字が記載されているという。この湯飲みの魚漢字を全て読むことが出来る人はどれだけいるだろうか。
日本で一般的に用いられる漢字は、常用漢字と人名用漢字の合わせて約3千字程度。常用漢字は、小学校の六年間で1,026字、中学校の三年間で1,110字の計2,136字を義務教育の間に習う。なお、漢検1級の対象漢字であるJIS第一・第二水準は約6千字で、これらの漢字を理解していれば、漢字に十分詳しいといえるそうだ。
漢字の難しさは数の多さだけではない。漢字本家の中国は、原則として一字一音なので、日本のようなたくさんの読み方はないことも挙げられる。
●師走
いよいよ「師走(しわす)」。年の瀬が迫ってきた。師走の語源にはいくつかの説があるが、中でも最も広く知られているのが「僧侶(師)が走る説」である。ふと、なぜ「走」を「わす」と読むのだろうかと思った。どの辞典を見ても「走」を「わす」と読むとは書かれていないだろう。読み方がいくつもあることが漢字が難しいという謂れの一つだ。書き方もそうだ。個人的には漢字の読み方や書き方には制限を認めるべきだという考えだ。
例えば、さいとうは斎藤、斉藤、齋藤、齊藤は「斉藤」一つに統一、「わたなべ」も渡辺、渡邊、渡邉を「渡辺」の一つに統一して欲しいと思うのは横暴な考えだろうか。
名前ランキング2025によると、自分たちの若い時とは隔世の感がある。これはまだ「キラキラネーム」とは言わないのかもしれないが、俄かに読めない名前が大勢を占める。(★第338話:みゆ&みゆう参照)
これが「教師泣かせ」であるのは言うまでもないが、それにしても最近は「当て字」の名前が多すぎて、覚えるのをあきらめた有名人がたくさんいる。
●漢字の奥深さ
漢字は現代の象形文字である。一文字に言葉の意味が凝縮している。その漢字について印象的な話を二つ。
■私が日本に住む理由
BSテレビ東京土曜21時からの「ワタシが日本に住む理由」(写真左)。司会・高橋克典、アシスタント・繁田美貴アナウンサーの人気番組。そのコーナーの一つに、ゲストに対して「好きな漢字を一文字書いてください」と毛筆を渡される場面があり、選んだ理由に興味が尽きない。
■命の授業
ゴルゴ松本(現在58歳、写真)は、お笑いコンビ「TIM」のメンバーで、ボケ担当。

2011年からボランティアで少年院での「命の授業」と題した活動を始め、メディアにもたびたび取り上げられるようになる。2015年にはこの活動をまとめた著書『あっ!命の授業』を出版。2018年11月、法務省より、法務省矯正支援官を委嘱される。漢字研究家として漢字の奥の深さを伝える様に感動を覚える。
偏(へん)と旁(つくり)を分けると、含蓄のある言葉に変貌する。例えば「儲ける」は信者。(儲けるには信者を作ること) 「恋」と「愛」(恋は下心、愛は真心)。ゴルゴ松本の得意とする解析の一つだ。
(Wikipedia参照)







