枯葉が舞う季節になってきました。
それは同時に、外の掃除が、掃いても掃いても枯葉が減らない、むなしい作業になってしまう季節でもあります。
朝、車で環八を走ると枯葉がきれいに舞っている通りがあります。
そして、そこでは従業員が総出で、店の前の枯葉を掃いています。
それは、枯葉の舞う中で繰り返されています。
掃いても掃いても無くならない枯葉をチリ取りに入れています。
そんな姿は、仕事に対する姿勢を感じさせ、好印象を持たせます。
浅田次郎の「蒼穹の昴」にも、枯葉を1日中掃いている仕事が描かれていました。
門の前を端から端まで掃除していくと、掃いた後にまた枯葉が舞い落ち、それをまた掃除していく仕事です。
つまり、1日中、枯葉を往復して掃除している仕事ということになります。
掃いても掃いても枯葉が落ちてくるのだから、掃除をするのは無駄なことだ、と考えてしまうかもしれません。
しかし、無駄なことは必要なことでもあります。
そして、行為が重要になります。
無駄なことができるということは、余裕があるということです。
無駄なことができる余裕がほしいものです。
やはり、枯葉舞う道で、レレレのおじさんのように黙々と枯葉の掃除をする姿は素晴らしい。