「 私は囚人。 私の仕事は
耐え得る限り、服役を続ける事。
ここでは 鉄の様な者以外、生きていけない。 」
ルービン・カーター
23歳になった僕は
どうしてか まだ 足掻き続けていて、
パソコンで 僕の障害を治せるかもしれない、
日本中の名医を 検索して 探していました。
この慢性の痛みは 普通の治療法では
駄目だと考え、まぶたを 上方に、
激しく 引っ張られる様な 痛みなら、
糸で 縫い合わせてある部分の 癒着を剥がし、
まぶたを ちょっとだけ 下せば、
少しは 和らぐのではないか、と 思ったのです。
鏡の前で 指で まぶたを下に、
軽く伸ばすと 確かに ほんの少しですが 和らいだのです。
姉は たまに 自宅を訪れたかと思えば、
血走った目つきで 必死に
パソコンのキーボードを叩いている 僕を見て、
「 どうせ 何をしたって やるだけ無駄なんだから、
さっさと 人生を諦めろよ、 」と あざ笑っていました。
冬の季節が巡ってくる度に 身も凍る寒さが
身体中にまとわりつき、顔の皮膚や
筋肉の痙攣が止まらなくなり 必死に
頬っぺたを 引っぱたいたり、温めたタオルで
顔を包み込んでも 収まる気配がない。
それどころか、気温が下がるほど、疼痛は激しさを増していく。
時間の経過とともに まるで 未知のウイルスが
身体中を 侵食していくかの様に、
じわじわと 目元だけでなく、おでこから頭の方へ
頬っぺたや口のあたりまで 広がっていく。
顔全体が 得体の知れない何かに
乗っ取られていく みたいだった…。
「頼む…。頼むから治まってくれ…。」
両手で ぎゅっと 顔全体を抑えながら
声にならない叫びをあげて、
ベッドの上で 何時間も 悶え苦しんでいた。
数時間後、ようやく治まると 疲労のあまり
そのまま朝が来るまで ベッドから 起き上がれなかった。
通い慣れた小学校まで 散歩すると、
あの頃 友達の笑い声や
ボールの弾む音が 絶えなかった校舎を
夕日が沈んで、どこからか やってきた暗闇が
獲物を 両腕で捕まえようと するかの様に、
ゆっくりと 飲み込んでいく…。
ここも もう 僕の居場所ではない…。
ひと月に 一回、発売される、映画雑誌を購入するのが
何よりも 心の支えになっていましたが、
小学生の頃から愛読していた 映画雑誌、ロードショーも
ついに 廃刊になってしまいました。
映画雑誌まで なくなってしまった。
みんな、みんな、僕の前から いなくなっていく…。
これからは 来月までの 一ヶ月間、
何を楽しみに 生きていけばいいのだろう…。
隣町の 精神科病院で 医師に相談すると、
いつもの お決まりのように、薬さえ 飲んでいれば
いつか治ると 言うだけでした。そもそも 医学的に、
精神の薬を飲んで 障害の痛みが取れる訳がない。
「 もうすぐ24歳だ、12歳から あと 何年、
僕の人生を奪うのか、」と 怒りのあまり 叫ぶと、
集まってきた、職員達に取り押さえられ、
「 わめかないで 大人しくしろ、 」 と、
地面に 顔を押し付けられたまま、
注射を打たれて 意識を失っていきました。
病室に運ばれて、ベッドに寝かされると
スキンヘッドの強面の院長が 僕を 見下していました。
「 病院の中で、感情的に 怒ったりしないでね。
もし 暴れたりしたら 精神病棟に強制入院させて、
毎日、精神薬を 飲ませるからね。 」
と 脅迫する様な態度で 言いました。
「 …違うんです。 僕は精神病でも、
気が狂った 囚人でもないんです…。
お願いします、信じて下さい…。 」と 震える声で 伝えました。
「 精神病の患者は みんな、そう言うんだよ。
自分が おかしいと 自覚してないからね。 」 と
突き放す様な、冷徹な 看守みたいな
口調で答えて、病室を出ていきました。
僕の頭の中で、14歳の頃の トラウマが
昨日の事の様に 駆け巡っていた…。
札幌中の精神科を たらい回しにされ、
大量の薬を飲まされて 精神病だ、頭がおかしい…
と 言われ続けた、あの おぞましい記憶…。
病室のベッドで 薄れゆく意識の中、
「 誰にも 理解してもらえない、僕は 一人で
この訳の分からない闘いを、終わらせるしかない…。 」
と 覚悟を決めました。
帰り道の途中に 本屋に 立ち寄って、
あまり 読んだことのなかった、映画雑誌
スクリーンを 手に取ると、女優の
ナタリーポートマンが無事に 子供を出産した、と
大きく 見出しに書かれていました。
僕が 小学生の時に、映画 「 レオン 」で デビューして
こんなに かわいい女の子が存在するんだ… と
ドキドキしながら 映画雑誌に 写っている写真を
切り抜いて 集めていたものでした。
「 そうか…。この女の子も もう お母さんになるのか…。 」
僕だけを この場所に 置き去りにして、
みんな 大人になっていく。
また 心の中に、冷たい秋風が 吹き荒れてきました。
北広島市の、小さな頃から 何一つ 変わらない景色に
「 僕は まだ、この街に いていいのかな。 」
と 慰められていました。
「 二人の囚人が 鉄格子から、外を眺めていた。
一人の囚人は 泥を見ていた。
もう一人の囚人は 鉄格子から 覗く、星を見ていた。 」
「 不滅の詩 」 引用
あまり 前例が ないのですが
日本中の 名医のいる病院を 検索して調べたり、
医療相談に 問い合わせてみたりして
苦労しましたが、この難易度の高い、
大きな手術が できる医者を 東京で見つけました。
ほとんど 症例もなく、特殊な施術を行うため
保険も効かず、手術費用は
20~30万円も かかってしまいました。
「まぶたを下げて、眼の形を 変える事
引きちぎられる様な 皮膚の痛みを取る事、
線維筋痛症の痛みを取る事…。」
いくつもの難解な作業が 必要となり、
日本で トップレベルの形成外科医と
言われる医師も さすがに 頭を抱えていました。
形成外科の手術と、美容整形の手術の中間のような、
複雑な 手術内容になりました。
その形成外科医は とても 有名な医者でしたが
診察の最中も、まったく 表情がない、
無機質な 感じの医者だったので 怖くて 震えていました。
難易度の高い手術を 好んで 次から次へと、
こなしていたので、まるで
ブラックジャックの様な 医師だと思っていました。
線維筋痛症の事など、痛みについては
伝わる様に、上手く説明するのが 大変でしたが、
なんとか説得できて、品川の病院で 手術が決まりました。
疲労や ストレスは もう とっくに 限界を超えていましたが、
弱音を吐いても 誰かが助けてくれるわけでは ありません。
何よりも 一番 大変だったのは、
痛みを こらえたまま、飛行機で
一時間以上かけて、東京まで 向かう事でした。
新千歳空港から 飛び立った後、
狭い飛行機内で 椅子に腰かけたまま
身動きができず、気圧の変化で 痛みが
更に、倍近く 膨れ上がり
着陸するまで、顔を 両手で 抑えたまま、
絶叫するのを ひたすら我慢し続けていました。
ようやく 羽田空港を出ると、今度は
平日なのに、異常なほど 行き交う人の波で
混雑している都内の中を、人混みを くぐり抜けながら
品川まで 向かいました。
途中で 迷わずに たどり着けたのは、
15歳の頃、東京で 半年間 暮らしていて、
土地勘が あったからでした。
15歳の頃、じめじめした 真夏の東京の中を
どこにも 行く当てがなく 彷徨っていた経験が、
皮肉にも こんな形で 役に立ったのでした…。
品川から、銀座に近い場所にある 形成外科の
クリニックで 2時間ほどの 大きな手術になりました。
手術時間が長いため、途中で 何度も
追加の麻酔注射を メスで傷付いて
血だらけの まぶたに 打たれましたが、
これが 悲鳴を上げるくらい痛かった。
6度目の顔の手術を 闘い抜き、
終わった時は、夕方から 手術が始まったため、
もう 真夜中に なっていました。
疲労で くたくただったので、
品川のホテルに 一泊してから 帰りました。
顔が 真っ赤に腫れ上がっていたので、
たくさんの人がいる 満員電車に乗って
じろじろ 顔を見られながら ホテルに
向かうのは 嫌だと思い、タクシーに 乗りました。
車内の窓から、通り過ぎていく
東京のネオン街の灯りを 眺めながら
15歳の時、市立札幌病院で
3度目の手術を 終えた時は、帰りの車内の窓から
粉雪が舞っている、札幌の冬景色を
眺めていたな…と ふと 思い返していました。
僕は あの頃から、一歩でも 前に進んだのだろうか…。
翌朝、睡眠も とれずに
疲れ切ったまま、羽田空港へと 向かいました。
「 そういえば、東京には 嫌な思い出があったな、 」 と
15歳の頃を うっすらと回想していました。
あの 母親気取りだった女性は、今 どうしているだろうか…。
北海道に 無事に戻ってからは、
3日ほど、疲労で ベッドに横になったままでした。
鏡を見ると、まぶたは 最初の頃の様に 下がり、
元のつぶれたような 三白眼の鋭い目の形に
すっかり戻っていました。
一瞬で 中学生の頃の 苦い記憶が、
まるで 昨日の事の様に 何もかも、蘇ってきた。
今までの努力は 何だったのだろう…。
痛みは わずかですが 和らいだ気がしましたが、
すぐに 何も変わっていない事が 感覚で分かりました。
しかし、その一瞬に 希望を見出したと
期待した僕は、その後、4ヶ月ほど間を 空けて、
東京に 何度も 渡り、同じ内容の
まぶたを下げる手術を 短期間で 繰り返し受けました。
この方法に賭けるしか なかったのです。
実は 市立札幌病院の女医さんに、
4回目の手術が終わった後、
「 これ以上、まぶたを メスで傷つけるのは
危険すぎる。神経が 傷だらけになってしまっているよ、 」と
言われていました。
ですが 他に道はなく、繰り返す 拷問のような、
顔を 鋭い刃物で 切り刻まれる日々に、
どこから これだけの闘う力が 湧いてくるのか、
自分でも 不思議でした。
気が遠くなる様な 一時間半の飛行機の旅を終えて、
自宅にたどり着き、ベッドに倒れこんでも
誰も 看病してくれる人は いません。
翌日から、真っ赤に腫れた顔で
スーパーに 買い物に行き、掃除、家事、洗濯もして、
冬の季節は 吐く息が白くなり、凍えながら
家の前に 溜まった雪を、
朝 早くから 除雪していました。
恵まれた子供たちは、たった一日
風邪を引いて 学校を 休んだだけで
親や周りの人に 寝たきりで 看病してもらえるんだ…
と ぼんやりと、思っていました。
あまりの辛さに、テレビを見る事も、
音楽を聴く事も、読書すら できずに
常に 意識が朦朧としていて、
ただ 「早く この地獄が 終わらないかな…。」
と だけ、思い続けていました。
僕が14歳の頃に 映画
「 ゴッドファーザー パート2 」 を観賞してから、
憑りつかれたかのように、何度も 繰り返し、
見続けていた シーンがありました。
それは ラストシーンで アルパチーノ 演じる、
主人公の マイケル・コルレオーネが
紅葉に染まった、人気のない 公園のベンチに
腰掛けて、冷たい秋風に 落ち葉が舞う中、
廃人の様に 虚ろな 眼差しで、
どこかを 見つめたまま、画面が暗くなり
エンドロールが流れていく… という シーンでした。
亡くなった 父親の跡を継ぎ、
コルレオーネ・ファミリーのボスになった マイケルでしたが
時代の流れは 急速に 変化していきました。
ユダヤ系 マフィアの大ボスとの 血で血を洗う 抗争…
信じていた兄弟たちの 次々の裏切り…
ケネディが 取り仕切る、
犯罪調査委員会からの召喚状…。
もはや 彼一人の力では、
とても治めきれない 時代の波の中で
思い起こされるのは、父親の若き日の姿でした。
幼い頃 イタリアを離れて、移民団と共に
アメリカに 渡ってきた父親は 野心を隠す事なく
一歩ずつ、ゴッドファーザーの地位を
築き上げていけば 良かった。
だが その地位を 受け継いだ
マイケルが 手に入れたものは 身内すら
信じられない孤独感と 虚無感だけだった…。
監督の フランシス・フォード・コッポラは
インタビューの中で
「 私は マイケルを死なせたり 刑務所に
入れるのではなく、別の意味で 彼を破壊したかった。
どんな敵も 困難も 打ち負かしてきたマイケルが
ラストで 生ける屍の様に、一人で
じっと 座り込んでいる姿が それだ。
アメリカは滅びないが、マイケルは
滅びる運命にあるのだ…。 」 と 語っていました。
あの ラストシーンの、死人の様に 虚ろな眼差しは
本当の孤独感を 味わったものだけが 表現できる、
悲哀に あふれた眼差しでした。
ファミリーや 仲間の為に 自分の人生を
犠牲にして 戦い続けてきた末路に
孤独だけしか 得られなかった、マイケルの
寂しい姿は、まるで 僕自身を見ている様でした。
廃人の様に 虚ろな 眼差しは
12歳から 痛みと孤独だけを 抱えてきた、
僕自身の 眼差しだったのです…。
何度も 無理な手術を 繰り返していくうちに
極端に まぶたが下がりすぎて、
ケンカで 顔を殴られて、腫れ上がった様な、
つぶれた眼に なってしまいました。
少しだけ 上げないと、目の形が
不自然すぎる…と 思い、医者に お願いをして、
更に 危険を冒して 長年の手術で ボロボロの
まぶたに、数ミリだけ 上げる手術を 行いました。
一回、手術を受けると、傷口が塞がるまで
最低でも 半年間は、間を
空けなければ いけませんでした。
ですが 一秒でも 早く、
この痛みと 孤独だけの日々から
解放されたかった 僕は、4ヶ月後に
繰り返し、再手術を お願いしていきました。
わずか数ミリしかない、薄っぺらい
まぶたの皮膚を 約2時間も かけて、
切り刻まれていった後、4ヶ月が経過すると、
まだ ちゃんと 塞がり切っていない傷口に
再び、メスを入れて 同じ箇所を
何度も、何度も 切り裂いていきました…。
薄いまぶたから 溢れる、真っ赤な血は
拭っても 拭っても、ダラダラと 流れ続けていきました。
真っ赤に まぶたが腫れ上がった顔を
鏡で見る度に まるで、試合を終えたばかりの
ボクサーの様だ、と 思っていました。
15歳の頃、眼科で受けた、3回もの手術で
真っ白に 燃え尽きたはずなのに…。
一体、僕は あと 何ラウンド、
観客のいない、声援も聞こえない、リングに上がって
闘い続けなければ ならないのだろうか…
麻酔が 切れると、処方された、
痛み止めの薬を 飲みながら
朝の6時から 自宅前の 溜まった積雪を
道路わきに はねていき、ご飯を炊いて
幼稚園の頃から 通っている、馴染みの
スーパーに 買い物に 出かけていきました。
真っ赤に 腫れ上がった顔で
車も持っていないので 両手に
ビニール袋を抱えて、ふらふらと 家路を
歩いてる僕は、近所の人達には
どこか、滑稽な姿に見えていたのでは ないでしょうか…。
上げたり 下げたり…、
一体 僕は、何をやっているんだろう…。
大都会の ど真ん中で、
一体、僕は、何と 闘っているのだろう…。
戦争で 自分の祖国を守るために
武器を持って 勇敢に戦ったとか、
アメコミ ヒーローの様に、世界征服を企む、
最強の悪役と戦って 人類の平和を守るとか…
どうせ 何かと闘うのなら、そんな目的の方が 良かった…。
痛みと孤独だけが 友達で、
誰にも 理解されず、誰からも 非難されて、
忌み嫌われるだけの 闘いなんて、
こんなに 辛いことはない…。
心が死んでいく 日々に、
いつも 「 ニュー・シネマ・パラダイス 」 の、
あの ラストシーンを 思い浮かべていました。
薄暗くした 試写室で、大きなスクリーンに
次々に映し出される、様々な 愛の形を描いた
キスシーンに トトの様に、誰かを 愛する喜び、
人生そのものを 愛する喜びを 思い出して、
明日への糧に していました。
空想の中で、たくさんの女性と キスを交わして
お互いの顔を 見つめ合い、
心に ぽっかり空いて、広がっていくだけの
大きな空洞を 埋めていました。
7、8、9、10回…。そして、合計で 11回も、
地獄のような 顔 ( 目の形 ) の手術に 耐え抜いたのでした。
11回目の手術を 終えると
両目とも 細い線のような 一重の眼に戻り
痛みは 治まるどころか、5回目の手術をした時よりも
更に、3倍近く 膨れ上がっていました。
痛みのあまり、椅子に座って じっとしていられず、
一日中、家の中を 徘徊していました。
親戚が 様子を見に 訪ねてきた時も
休むことなく ずっと室内を ぐるぐる 歩き回っていました。
まるで ホラー映画の様な 気味の悪い光景だった。
一日中、激痛のあまりに、頭が真っ白な状態で
思考回路も まったく 働かなくなっていました。
よだれを 垂れ流しながら 「うー、うー、」 と
声にならない叫びを、口元も 引きつっているので
言葉の発音も 上手くできず、
オオカミの様に 唸り続けていました。
壁に 頭を激しく たたきつけて、
夜中も、狂ったように 泣き叫んでいました。
二階のベランダから、一日に 何度も
発作的に 手すりを乗り越え、飛び降りようとしました。
まるで 知性を失った 獣の様になり、
僕は 何も 考えられずに
ただ、本能だけで 日々を送っていました。
痛みを ごまかす為に 甘いものを ひたすら食べる、
2階の窓から、見慣れた 外の景色を眺める、
一日に 2~3時間だけ、睡眠を とる。
できる事は それくらいでした…。
姉は そんな状態の 僕を見ては、
「お前を、好きになる人間なんか この世には
一人もいないんだよ、ペットのネコも お前に、
エサを貰うために 仕方なく なついてたんだよ、」 と
よく これだけの悪口が 思いつくものだ…、と
感心するくらい、言葉の毒を 吐き続けるのでした…。
僕は 何も抵抗することが できずに、
左右のバランスが ひどく崩れた 表情で
うつむいたまま、「うー、うー、」 と 唸り続けていました。
その眼には 言葉も 失ってしまった、
人間の姿をした獣の 涙が浮かんでいました…。
3月になると、東北で 東日本大震災が起き、
福島、岩手県や宮城県で 海辺に近い街や 人々が、
次々と 襲い来る 津波に飲まれていった…。
僕は 痛みで、テレビのニュースを見る事も できず
北国から 遠く 離れた場所で、
一体 何が起きているのか、
一体 どれだけの人が 亡くなったのか、
震災の詳しい情報も 分からずに、
耳を塞いで 自分の無力さを 呪い続けていました。
父さんが亡くなる 少し前に、僕は
なんとなく、日本地図を ペラペラめくりながら
「宮城県は 東北だけど 雪が ほとんど
降らず、海風が吹いてくるから 真夏でも
涼しいらしいよ。」 と 興味深く 話してみました。
それまで しばらくの間、口を きいていなかった 父さんが
「それなら 顔の障害が治ったら、
仙台の大学に 行けばいいんじゃないか?」 と
突然 ひらめいた様な 口調で言いました。
「東北なら 比較的、北海道に近いから
安心だし、暮らしやすいと思うぞ。
父さんも いつでも、会いに行けるしな。」
と 久々に 笑っていました。
「杜の都か…。きっと 暮らすには、良いところなんだろうな。」
好奇心に駆られて 父さんが 亡くなった後も、
仙台の大学や 専門学校の資料を、取り寄せて
ページを めくりながら、叶わなかった
キャンパスライフを 思い描いていました。
…顔の痛みが治ったら、
いつか 暮らしてみたいと 思い続けていた場所が、
津波によって 破壊されて、何もかも 流されていく…。
人の生命も あざ笑うかの様に、
大人も 子供も 関係なく
黒く 濁った高波に 飲み込まれてゆく…。
あの時、僕の身体の 痛みの障害が治っていたら…。
僕の人生に、何事も 起きていなかったら…。
宮城県の大学に 通っていて
あの日、僕も 津波に飲まれていたかも しれなかった。
僕の様な 死に憑りつかれた人間が 生き延びてしまって、
何の落ち度もない、善良な人達が 命を落としていく…。
人生とは、どうして こんなにも 理不尽なのだろうか。
どうして こんなにも 無情なのだろうか…。
スーパーの レジで 受け答えも まともにできず、
「お箸を つけますか?」 の返事も
歪んだ表情で うなずくのが やっとでした。
一瞬でも 気を抜くと 激痛で、意識が飛んでしまう。
正気を保てないほどの 痛みが、
たった一秒も 解放される事がなく
無間地獄の様に 絶え間なく 続いていく…。
辛いとか、苦しいとか、そんなものは
とっくの昔に 超えてしまっていた。
自分は 人間じゃない、獣だ…。
途切れ途切れの 意識の中で、そう 言い聞かせていました。
感情を捨てろ、人生に 何も望むな、僕は 獣なんだ。
獣は 「 寂しい 」 や 「 悲しい 」 なんて
感情は 持っていないんだ
僕は 獣なんだ…。
…ある日、前触れもなく 姉が現れ、
僕に向かって、ゴミを見る様な 濁った眼で
「お前にやる 金なんか 一円も ねえんだよ、
お前が、どこで 野垂れ死のうが、
どうでも いいんだよ、」 と 吐き捨てて、帰っていきました。
「もう 僕を 人ではなく、ゴミとしか思ってないんだな」 と
解釈するしか ありませんでした。
いつまで経っても 死なない僕に、
明らかに 苛立っている様でした…。
自分の境遇を どんなに 呪い続けても、
それでも 変わらずに 春の季節を 思い続けていました。
小鳥のさえずりと 朝方に 窓を開けると
優しく 頬をなでる 爽やかな風が、
春の訪れを 教えてくれる…。
一階から、透明感のある、心優しい
姉さんが弾いている、ショパンの
ノクターン第二番の 心地よい音色が聴こえてくる…。
上品で、いつも微笑んでいる 弟思いの 優しい姉さん…。
家の庭では 赤レンガを 敷き詰めた、
小路と 花壇の中で、母さんが
趣味のガーデニングを 楽しんでいました。
20歳の頃に 亡くなったはずの ハスキー犬も、
庭の中を 元気に走り回っています。
ジブリアニメ 「 耳をすませば 」 の舞台になった
「 多摩ニュータウン 」 の様な
街中に 緑が溢れて、
きれいに整備された 暮らしやすい町並み。
街全体を 一望できる 高台には、
斜面に沿って どこか、昭和の頃の
懐かしい造りの団地が、連なっています。
団地の中には 小さな公園や ベンチがあり
学校帰りの子供達が、夕ご飯の時間になるまで
友達と 無邪気に遊んでいます。
どの部屋の窓からも 炊き立ての 美味しい
ご飯の匂いが漂っています。
駅前の メイン通りは 花屋さんや
北欧ヴィンテージ食器の雑貨店、テラス席のある
おしゃれな カフェが 建ち並んでいました。
ビジネスマンや 大人びた服装の 大学生達が、
愛読書を 片手に 紅茶を飲んで
緩やかな 午後のひと時を 過ごしています。
店内から 聴こえてくる、クラシック音楽のメロディーが
夕方になり、学校の部活動や 慌ただしい
仕事を終えて 灯りのついた 家路へと
通りを 行き交う人達を、
「 おかえりなさい。 」 と 語りかける様に、
優しく包み込んで くれていました。
ペットを散歩している おじいちゃん、おばあちゃん、
小さな子供と 手を繋いで 歩いている、
スーパーの買い物帰りの お母さん、
幼稚園の頃から ずっと いっしょに、
この町で 育ってきた友達…。
顔馴染みの住人たちが、すれ違う度に
みんな 笑顔で 「おはよう。」 「こんにちは。」
「こんばんは。」 と 挨拶をしてくれます。
ほんのりと 色づき始めた、
薄桃色の桜並木が 校門まで 続いている、
少し曲がりくねった 滑らかな 坂道の通学路。
いじめも 不良もいない、のどかな
中学校の 教室の中に たくさんの、
心許せる 友人達に囲まれて 笑顔でいる、
大きくて きれいな瞳の 僕がいました。
遠い昔に置き忘れてきたはずの、懐かしい 僕の姿…。
この世界では 痛みも苦しみもなく
身体も健康なまま、12歳から 送るはずだった、
本当の人生を 歩んでいました。
病院なんか、たったの 一回も 行く事はなかった…。
休み時間の 他愛のない世間話。
生徒想いの先生と、普段は 眠たそうなのに、
行事になると 張り切る クラスメイト達。
退屈な 午後の授業中には
クスクス笑いが 教室の至る所から 聴こえてくる。
一生の 思い出になる 文化祭や 修学旅行…。
みんなと 一緒に 同じ月日の流れの中で
かけがえのない 宝物の様な時間を 過ごしていきました。
放課後、人気の少ない 校内に
下校チャイムの メロディーが響き渡り、
熱気が冷めていく様に
細長い廊下が 静けさに包まれていく。
野球部の掛け声が 誰もいない教室の
窓の隙間から 小さく 漏れていました。
部活動で残っている 生徒たちを
横目に眺めながら 教科書を リュックに入れて、
ほのかな日差しが射している、教室中を見渡しました。
落書きだらけの机、せっかく きれいに片づけたのに、
また誰かが座って 位置のずれたイス。
黒板の隅に わずかに残った、使った チョークの粉。
クラスメイト達と 共に過ごした、
ぬくもりの余韻を 感じながら
「また 明日も みんなと 会えるんだ…。」 と
心躍らせて、校舎を 後にしました。
校門をくぐり、待ち合わせ場所の公園に行くと、
ベンチに 腰掛けていた すみれが
透き通るような 大きな瞳で
僕の方を見て、手を振っていました。
駅前の メイン通りにある 喫茶店で、
図書館に 立ち寄って 借りた本の
感想を、語り合いました。
お互いの趣味や 幼い頃の思い出など
会話の話題は 尽きる事なく 時間が 許す限り
楽しいひと時を 過ごしていました。
毎日、桜並木と ツツジの街路樹に 彩られた、
夕暮れの帰り道を ふたりで 手を繋いで
とりとめのない会話を しながら
並んで 歩いて帰りました。
「 卒業してからも、ずっと 一緒にいようね。 」
舞い散る 花びらを 見つめて、
そんな言葉を 交わしながら…。
目を覚ますと、いつも 窓の外は
モノクロ映画の様な、真っ白な世界でした。
猛吹雪が 悲しげな 轟音をたてて
いつまでも いつまでも、吹き荒れていました…。