【 耳をすませば に憧れて 】

 

ある日、気分転換に 新宿駅の近くにある 映画館で 

スタジオジブリの「 猫の恩返し 」を 観賞してきました。

 

僕が小学生の頃に 上映された 

「 耳をすませば 」 と 原作者の方も 

同じで 物語が繋がっていたので、

なんだか とても 懐かしい気持ちになりました。

 

 

観終わったあと、学生寮の部屋に 戻ると、

すぐに 中学生の時に 古本屋で買った、

「 耳をすませば 」 の パンフレットの

ページを、めくっていきました。

 

後半のページに 耳をすませば の

舞台になった、多摩ニュータウンの地図が 

手書きで 書かれていました。

 

仙川駅の路線図を見ると、多摩ニュータウンが 

30分ほどの距離にあった事を 思い出し、

翌日、ワクワクしながら 

小さなリュックを背負って 出かけました。

 

 

つじあやのさんが歌う、「 猫の恩返し 」 の

主題歌、「 風になる 」 を、

あの頃は みんなが持っていた、MDで 

イヤホンをして 聴きながら 電車に乗って 

ごちゃごちゃした 都心を離れ、

京王線の端の方にある、

多摩センター駅へと 向かいました。

 

         「 風になる 」

                  作詞作曲 つじあやの   引用

 

「 君の溜息なんて 春風に 変えてやる…。

 

 日の当たる坂道を 自転車で 駆けのぼる。

 君と 失くした思い出 乗せていくよ。 」

 

 

多摩センター駅の 目の前は、

都内とは思えないほど、緑が広がっていて、

赤レンガが 敷き詰められた道に、

おしゃれな デザインのレストランが 並んでいました。

 

東京で暮らしてから 初めて 

きれいな空気を 思いっきり 吸い込みました。

 

まるで 少し遅れて やってきた、

心地良い春風に 包まれている様でした。

 

イタリア映画 「 ニュー・シネマ・パラダイス 」 と 

出会ったのも この頃でした。

 

 

イタリアの シチリア島を舞台に、

映画好きな 主人公の少年の 成長していく姿と 

溢れる映画愛を ノスタルジックに描いた名作です。

 

村の中心にある、教会を改装した、

小さな映画館 「 パラダイス座 」。

 

映写機が回り出すと 黒いカーテンのような 

スクリーンに、めくるめく、夢と 冒険の世界が

映しだされ、主人公の少年 トトは 

我が家のように 毎日、映画館に通い続けます。

 

愛すべき シチリアの人々、ちょっとドジな 

映写技師 アルフレードとの交流が

子供の視点で 描かれていきます。

 

 

高校生になった トトは 兵役のせいで 

最愛の女性 エレナとの恋に破れ

傷心になっている姿を見て、アルフレードは、

「 一度、この場所を出たら 長い年月 帰るな、 」 と

トトに 映画監督になる夢を 叶えるまで、

村に 帰ってきては いけないと告げます。

 

駅のホームで トトを抱きしめて、

「 人生は お前が見てきた 映画とは違う。

人生は もっと 困難なものだ、行くんだ 

お前は若い。帰って来るな、私たちを 忘れろ。

 

ノスタルジーに 惑わされるな、自分の

することを 愛せ。子供の頃 映写室を愛したように。 」

と、父親のような 誰よりも 

厳しい、別れの言葉を かけます。

 

 

それは 父親のいなかった トトへの、

精一杯の愛情を込めた 温かい言葉でした。

 

30年後、ローマで 映画監督として、

名声を得ていた ある日、

シチリアから アルフレードが亡くなった事を

告げる電話が入り、遠い昔に 

置き去りに してきた、ふるさとへ帰郷します。

 

あの頃のまま、時間が止まっているかの様な 

港町で、すっかり 老いた母親や、

地元の人々は 都会で 夢を叶え 成功し、

立派な大人になった トトを歓迎してくれます。

 

 

建物が古く、廃墟になった 

「 パラダイス座 」 を訪れて、埃だらけの

映写室で 幼い頃、アルフレードと 

過ごした思い出に 浸っていました。

 

シチリアを 旅立ってから 

ローマの都会で 洗練された 美しい女性達、

女優、モデル…。数多くの女性と 

関係を持ちましたが 30年間、

トトは 誰も 愛する事ができず

エレナの事を ずっと 思い続けてきました。

 

高校生の時、こっそり エレナの横顔を 

隠れて撮っていた フィルムを見つけて、

あの頃と 変わらずに エレナだけを 愛していたトトは

やるせない悲しみに 包まれていました。

 

 

アルフレードの 葬儀の後、

形見だと言われて 渡された、

一本の ほこりまみれの 古ぼけたフィルム缶。

 

ローマに戻り、試写室で フィルムを 

上映してみると、スクリーンに 

映し出されたのは 幼かった頃、

「 パラダイス座 」 で 公開されていた、

数々の モノクロの名作の、

キスシーンだけを 繋ぎ合わせた映像でした。

 

情熱的な キス、切ない別れの キス、 

愛を確認し合う キス…。

 

 

映画のおかげで 誰かを 愛する喜びを 

思い出し トトは 涙を流しながら、子供の頃の様に、

いつまでも スクリーンを見つめていました…。

 

この 美しいラストシーンを 自分の

12歳からの 愛を知らない半生に 重ねて、

僕も カーテンを閉め切った 部屋の中で、

小さなテレビ画面に 映る、 

最後のキスシーンを見て トトのように 

映画に救われて 泣き続けていました…。

 

8月の終わりに 父さんが 心配して 

弱り切った身体で 北海道から 訪ねてくれました。

 

 

ガンの手術や 抗がん剤治療の副作用で

明らかに 身体は弱って、

目に見える様に やつれていました。

 

狭い学生寮の部屋で、二人で

ニュー・シネマ・パラダイスを 観賞してから 

「 いつか お前の事を 想ってくれる、

女の子ができたら 父さんに見せてほしい。 」 と

僕の頭を 優しく撫でて 言いました。

 

それから 亡くなる直前まで 

いつも 口癖の様に 言っていました。

 

翌日、父さんと、多摩ニュータウンにも 

散歩をしに 出掛けてきました。

 

 

「ここが 「 耳をすませば 」 の 舞台になった街だよ。」 と

遠足に行った、小さな子供の様に 

はしゃいでる 僕の姿を見て、父さんは 

ガンで 弱り切った身体でも 辛そうな表情は 

一切 見せずに、微笑んでいました。

 

スタジオジブリのアニメ作品、

「 耳をすませば 」 は 受験を間近に 控えた、

思春期 真っ只中にいる、中学生の少女の物語です。

 

将来の夢や 初めて 経験する恋に葛藤し、

自分の感情に 戸惑いながら 成長していく姿を

アニメならではの みずみずしいタッチで描いた作品です。

 

 

物語の舞台は 東京郊外にある 新興住宅地で、

「 耳をすませば 」 の世界には 

悪い人が 一人も 出てきません。

 

画面に映る 誰もが 良い人ばかりで、

街中を歩いている 通行人や

背景に見える すべての人達までも

気のせいか、心優しい人に 見えます。

 

中学校では いじめや 陰口は見当たらず、

不良も問題児も どこにも 見当たりません。

 

主人公の悩み事は 将来 小説家に

なりたいけど、上手く 物語を描けない事や 

初恋に夢中になり、高校受験の勉強が 

手につかない事など ありふれたものでした。

 

 

図書室の読書カードから 始まっていく 切ない初恋。

電車の中で出会った、太ったネコを 追いかけたら 

辿り着いた、丘の上にある アンティークショップ。

 

雨上がりの 校舎の屋上で 

雲間に かかった、虹の橋を 眺めながら

好きな人と、まだ道筋が はっきりと定まっていない、

将来の目標や 進路を語り合っていく…。

 

それを見て、はしゃぐ 野次馬のクラスメイト達。

 

放課後、学校帰りに立ち寄った 図書館で、

日が暮れるまで 受験勉強の事を忘れて、

本の物語の世界に 浸っていく…。

 

 

今まで ただの友達だと 思っていた、

野球部の やんちゃな男子に 

神社で 「 ずっと お前が好きだった。 」 と

思わぬ告白を されて 

顔が真っ赤になって、戸惑ってしまう…。

 

誰もが 10代の多感な時期に、

経験した事が あるような、

ささやかな日常の 出来事が描かれて 

丘の町で 時間が緩やかに優しく 流れていく…。

 

「 まだ 何色にも染まっていない、純粋な

10代の頃は、変わり映えのない 日常さえも

一瞬、一瞬が 宝石の様に輝いて見えて、

過ぎていく時間も どんな時でも、君の味方だよ…。 」 と

丘の町が 語りかけている様でした。

 

 

好きな人に 少しでも 追いつきたいと

必死に 小説を書き続ける 女の子の 

夢や恋に 真っ直ぐで、ひたむきな姿は、

12歳までの 僕そのものでした。

 

原作が 少女コミック ならではの、

繊細で ピュアな世界観に 憧れて、僕は 

天気の良い日は、週に何度も 京王線に乗り 

多摩ニュータウンへと 足を運びました。

 

MDで サントラの「 流れる雲、輝く丘 」 に 

耳を傾けながら 高台に立ち並ぶ 団地の中を

歩きながら 自分の人生では 見つからなかった、

大切な何かを 探し続けていました。

 

 

丘の上から 緑に囲まれた街を 

見渡しながら、この街で、これまで 

経験する事が できなかった、中学校生活を

送っている、自分の姿を 空想しながら 

自分には 縁のなかった、「 優しい世界 」に

想いを馳せていました。

 

バロンの置き物がある、アンティークショップや 

丘の町を 案内してくれる、太った野良猫が 

どこかにいないか 夕暮れまで 

探し歩いたのも 懐かしい思い出です。

 

 

映画の中で アンティークショップが あった

場所に建っている、「 洋菓子店 ノア 」 には

多くの 「 耳をすませば 」 ファンが訪れ、

バロンの置き物も レジの となりに置いてありました。

 

トイストーリーの主題歌 

「 ホエン・シー・ラブド・ミー 」 の歌詞は 

これまでの 空白の月日を 

修復ができないほど、バラバラに 

破片が飛び散って 壊れてしまった心で 

それでも 必死に、埋めていこうとする、

僕の心情を そのまま 歌ってくれていました。

 

「 誰かに 愛されていた頃は…。 」

この歌詞が 何度も 繰り返し、流れるのが

とても 印象深い曲です。

 

 

この 「 耳をすませば 」 の街で

冬の世界に いた頃、僕には 叶わないと

気付いていても いつも 思い描いていた、

小さな幸せを 嚙みしめて 歩き続けていました。

 

それは 冬の世界の住人には、

決して 手に入れる事が 出来なかった、

とても 小さな幸せ… ふれるだけで

今にも 消えてしまいそうな、ささやかなものでした。

 

季節の変わり目を 感じる事ができて、

愛する人と 寄り添いながら 

お互いの ぬくもりに そっと 触れて

いつまでも、この街の中で 

変わる事のない、静かな日常を過ごしていく…。

 

 

僕が 夢見ていたのは、ただ それだけの事だった。

ただ、それだけの事だったのに…。

 

            「 ホエン・シー・ラブド・ミー 」

                         作詞作曲 ランディ・ニューマン 引用   

 

「 誰かに 愛されていた頃は、

何もかもが 美しくて、ふたりで 刻んできた時の 

ひとつひとつが 心の中で 生きている。

 

あの娘が 悲しみに暮れていたら 

そばにいて、涙を拭ってあげた。

 

あの娘が幸せなら 私も 幸せを感じていた。

彼女に 愛されていた頃…。

 

 

夏が過ぎ、秋が来ても 私たちは いつも一緒だった。

それだけで 良かった。

 

時が流れていっても、私は 変わらないままだった。

けれど、彼女は 遠ざかっていき、

私は ひとり、残されていった。

 

未だに 私は待ち続けている。彼女が 

「 あなたを ずっと 愛しているよ。 」 と 

言ってくれる 日を…。

 

誰かが 私を愛してくれていた頃は 

すべてが 美しかった。いっしょに 

過ごしてきた月日は、今も 私の 心の中にある。

 

彼女に 愛されていた頃…。 」

 

 

… 多摩ニュータウンは 僕が ようやく見つけた、

本当の自分でいられる 小さな居場所でした。

 

この街に いる間は、春の季節へと 

近づいている様な 温かな気持ちに なっていました。

 

すみれも この街の どこかに暮らしている気がしていた…。

 

この街で 毎日、ふたりで 手を繋いで 

並んで 歩き、そっと 寄り添いながら 

ささやかな幸せを ひとつひとつ 噛みしめて、

ゆっくりと 年齢を重ねていく…。

 

 

 

        【 愛はどこに…。 】

 

父さんが見つけてくれた 教育団体の人が、

たまに 僕と会ってくれる事になりました。

 

50代の 妙に人懐っこい 小太りの女性でした。

いつも 僕に 肩を寄せて くっつき、

「 自分の子供のように かわいい、 」 と 言ってくれました。

 

からかい半分だと 分かっていましたが、

素直に好意として、受け止めて 嬉しかったです。

 

クラシック音楽の話題など 

16歳らしくない 会話をしながら 内心、

「 10代の女の子だったら 良かったのに…。 」 と

むなしさを 覚えていました。

 

 

冷たい秋風が いつも 心の中で 吹いていて、ただ淋しかった。

 

「 悲しくて やりきれない 」 のメロディーが、

常に途切れることなく、頭の中で 

壊れたレコードの様に 繰り返し 流れていました。

 

「 悲しくて 悲しくて とても やりきれない…。

この限りない むなしさの救いはないだろうか…。 」    

 

雪の降らない 関東にも、時折、

冷たい風が吹き始め、コートを 羽織ったり、

手袋をして 肩を震わせながら

歩いてる人も 増えてきました。

 

 

また、あの 思い出したくない季節が 

少しずつ 近づいていました…。

 

ある日、本屋で 一冊の、大切な本と 出会いました。

 

英国の貴族に 生まれた少年が 

原因不明の難病に かかり

治療法も 見つからず 苦しみ続ける中、

 

贅沢な生活しか 知らずに 育ってきた両親は

厄介者払いするかの様に 少年を 

人里離れた、山奥の施設に 置き去りにして

二度と 訪ねる事は ありませんでした。

 

 

真っ暗な病室で 一人 痛みと孤独と 

闘い続ける日々で、幼い少年は 

子供ながらに ようやく 悟っていきました。

 

「 僕は 生まれた時から 一人ぼっちだった…。 」

 

数年後、奇跡的に 回復した少年は

心は 長い年月の間に 怒りと憎しみで 荒れ果て 

愛を知らない青年に 成長していました。
 

ある仕事を依頼され、出かけた先で 

妊娠している、ひとりの女性と 出会います。

 

 

自分を捨てた 母親の事を思い出し、

青年は 危害を加えようと 襲い掛かりますが、

その女性は 身を挺して お腹を守り、

傷付いた身体で 青年を 厳しく叱った後 こう言いました。 

 

「 よかったら、私が あなたの母親に なってあげましょうか? 」

 

膨らんだ お腹を さすり、

「 もう 一人くらい、いつでも 抱きしめられるわ。 」 と

聖母の様に 優しく 微笑みました。

 

誰よりも 母親の愛情に 飢えていた青年は、

自然に溢れる涙を こらえる事が できませんでした…。

 

 

僕は この本を、聖書のように 毎日 読み返していました。

 

もう一つ、心を打たれた 映画の作品がありました。

 

スピルバーグ監督の SF作品 「 A I 」 でした。

 

子供のいない家庭を 慰めるために、

製造された ロボットの少年が、

本当の子供の様に 育ててくれた女性に、

もう 必要なくなったから、と 森に

置き去りにされ 本当の母親に なって欲しくて

長い旅に出る ファンタジーの お話でした。

 

 

ラストシーンで、旅路の果てに 

探し求めていた その女性が 

ロボットの少年に、優しく 語りかけます。

 

「 本当は あなたを ずっと 愛していたのよ…。 」

 

その瞬間、今までの 終わりの見えない、

辛く 孤独な旅路は すべて 終わった事を悟り、

機械仕掛けの 少年の眼から、

一滴の涙が こぼれ落ちました。

 

ベッドで 穏やかに眠っている 母親の横で、

ようやく 長い悪夢から 解放された少年は

生まれて 初めて、安らかな眠りに 落ちていったのでした…。

 

 

無意識のうちに、乳がんで苦しんでいる 母さんから 

目を背けて、暖かく 包み込んでくれる、

理想の母親像を、いつしか 追い求めていきました。

 

僕が 東京に 引っ越した後、 乳がんで 

抗がん剤治療を、受けていた容体が 悪化し

札幌の病院に 入院していた 母さんから、

何度か 僕を心配して 電話がありました。

 

母さんは 自分の体調の事は 何一つ 

話さず、僕が 慣れない都会の中で 

ちゃんと 生活ができているか、

元気に過ごしているか、など

僕を心配している 内容ばかりでした。

 

 

そんな 親心を感じていても 僕は 

内心、早く 電話を切りたいと 

受話器を片手に 思っていました。

 

何を言われても ただ 「うん、うん、」 と 

短く 答えるだけで 入院している 母さんを 

思いやる言葉すら なかった…。

 

あの頃、まだ 16歳の子供だった僕は 

これ以上の 悲しみを背負うことが できなかったのです。

 

3年間の孤独と 精神科を たらい回しにされた事、

姉の 母さんに対する 激しい暴力、

3回も 顔を メスで切り刻まれた、恐怖のトラウマ…。

次第に おかしくなっていった 父さん…。

 

 

弱り切った母さんの か細い、途切れ途切れの声を

聞きながら 受話器を 握りしめて、

「 お願いだ、お願いだから 

これ以上 僕を追い詰めないでくれ… 」 と

心の中で 繰り返し、祈っていました。

 

母さんが もう 長くないことは

受話器の向こうから 聴こえてくる、

喋るのも 辛そうな あまりにも 弱々しい声で、

子供心に 分かっていました。

 

…電話を切った後、学生寮の 狭い部屋の中で

うずくまり、夜明けになるまで 震えていました…。

 

 

10月になり、ついに決心して、

朝早くに 始発の電車に 飛び乗って

静岡県へ 旅をしに 向かいました。

 

中学生の頃から 憧れていた 沼津市…。

 

「 虹色定期便 」 で 見かけてから 

想い続けた、大きな瞳の少女も 空想の中で 

築き上げていった、本当の 僕でいられる

「 春の季節 」 も どこにもなく、

ただ がっかりするだけだと 分かっていても…。

 

 

ようやく ここまで来た、という感動が 

胸に じわじわと こみあげてきて 

走り続ける 電車の 長旅の間、

ずっと 窓の外を 赤い目で 見つめていました。

 

途中で 三島市にも 立ち寄ったので

約2時間の道のりを 終えて、沼津駅に 

到着した時は もう午後に なっていました。

 

伊豆の玄関口に あたる、

沼津市の駅前は 由緒ある 港町らしく、

どこか 懐かしい商店街が 建ち並んでいました。

 

 

ですが、シャッターが降りている お店も多く、

あまり 人気がなくて、買い物をしている 

地元の人を ちらほら 見かけるだけで

なんだか 寂しい想いを抱いたのも、事実でした。

 

街中を 歩いてると、学校帰りの 

10代の女の子達と 何度か すれ違い 

「 すみれ 」 かな、と 思わず 立ち止まりました。

 

振り返って、長い黒髪が まぶしく映る、

制服を着た 後ろ姿を 蜃気楼の様に 

遠ざかり、見えなくなるまで 

切ない目で 追っていました…。

 

 

たったの一度も 僕に 振り返る事は なく

どこか 物悲しい気持ちになる、人影も 

まばらな 街並みに溶け込んで 消えて行き、

「 僕が想い続けてきた あの少女は 

やっぱり 幻だったんだ… 」

と 気付かされて いました。

 

この街のどこかに 僕が想い続けてきた、

あの大きな瞳の少女は 本当にいるのだろうか…。

 

あの少女は テレビの中の世界にしか 存在しない

シナリオに描かれただけの 空想のキャラクターなのに…。

 

分かってる…。分かっているけれど…

それでも 僕は探さなければ ならないんだ。

 

 

この世界のどこにも いないと分かっていても、

僕は あの女の子を 想い続けなければ いけないんだ。

 

今の僕には いつもそばで 寄り添えあえる、

愛する人が 必要なんだ…。

 

いるはずのない少女を 探し続けているうちに、

気が付いたら 千本松原で 有名な 

駿河湾の砂浜まで 辿り着きました。

 

夕陽が沈んでいく中、砂浜から 

静かな波音が聴こえてきて 優しく、囁くように 

「 今まで 頑張ってきたね。

ここが 君の長旅の終着点だよ。 」 と

僕に、昔からの 友人みたいに、

語りかけている様でした。

 

 

これまで 聴いた事のない、とても 心地良い、

優しい波音を そっと 奏でていた…。

 

次第に周囲は 暗闇に 飲み込まれていき

人影も 消えていき、波の音だけが 

いつまでも 囁いていました。

 

空腹と 冷たい海風に耐えながら、ひとつの旅が 

終わった事への 充足感に、ひたっていました。

 

様々な思いに ふけり、また 寂しさが

こみ上げてくる前に、駅に向かい、長い月日、

恋焦がれていた 少女のいた街を 後にしました。

 

 

帰りの 2時間を超える 長旅の間、

乗客の姿も ほとんど見当たらない、電車の窓から

外の景色を眺めても、街灯の灯りさえも 

ちらほらとしか 見えない、

真っ暗闇の風景が 流れていくだけでした。

 

この電車は どこに 向かっているのだろうか。

 

高層ビルに 取り囲まれて、視界を遮られ

自分が どこにいるのかも 分からなくなる、

大都会の ど真ん中にある 学生寮…?

 

今頃、地元の子供達と いっしょに

高校生活を 謳歌しているはずだった、北国のふるさと?

 

 

それとも、這い上がる事が できないほど

深くて 底の見えない 穴の中に 

僕は 落ちていっているのだろうか…。

 

人恋しくなると、自然に足は 

通い慣れた 多摩ニュータウンへと 向かいました。
 

この街で 「 耳をすませば 」 の様な、

思い描いた中学校生活を 過ごしたり

充実した 毎日を送り、勉強、部活動も 

みんなの先頭に立って 輝いている、

自分の姿を 空想しながら 散歩していました。

 

痛みも孤独も 何ひとつ存在しない。

他人を 平気で傷つける人間も 一人もいない。

 

 

僕が創り上げてきた 理想郷には 

ただ 優しさだけが 溢れているんだ…。

 

月日は 瞬く間に 流れていき、

秋の季節が 深まるほどに 

「 悲しくて やりきれない 」 のメロディーが 

僕の 創り上げた世界にも 閉め切ったはずの

窓から すきま風が吹く様に、どこからか 

聴こえてくる様に なっていきました。

 

どれだけ 耳を塞いでも、冬の季節から 

目を背けても 僕の目の前に 

広がる景色を、住み慣れた、

真っ白な 白銀世界へと 塗り替えていった。

 

 

多摩ニュータウンの中に いる間は

僕は すべての悲しみから 

守られている はずだったのに…。

 

北国の 皮膚に突き刺さる様な 凍える冷気が、

どこからか 隙間を 擦り抜けて、

ゆっくりと この世界を 浸食していく様だった。

 

多摩ニュータウンに いても 

北海道にいた頃の 悲しい記憶に覆われていき、

この街に いても 僕は 思い出したくない

過去から、逃げられないんだ、と 悲壮感に 

自分を 見失っていきました。

 

 

東京で 暮らし始めてから 半年が経ち、

身体もやつれ、弱り切っていた僕は

これ以上、慣れない生活を 続けていても 

得るものもなく 疲れるだけかな、と 感じて、

北海道に 帰郷する事に しました。

 

教育団体の女性と 別れる時、

真っ白なマフラーを 僕の首に 巻いてくれました。

 

「 手編みじゃなくて ごめんね。 」 と

いたずらっぽく 笑って、

「 私は、じゃあねって 言葉が 悲しくなって 

嫌いだから またね、で お別れしよう。 」 

と 言われ、お互い笑顔で、

「 またね。」 と 小さく 手を振りました。

 

 

「 私は わたる君の、東京の お母さんだよ、覚えていてね。 」

最後に そう 言ってくれました…。

 

 

      「 さよならも 言えずに…。 」

 

頬がこけた顔で 迎えに来た 父さんは

帰郷する前日に 一泊した、ビジネスホテルの

部屋で 震える声で 僕に告げました。

 

「 … 母さんが 2ヵ月前に 亡くなった…。 」

 

窓の外は、真夜中なのに 

ネオン街の灯りが まぶしくて 

降り注ぐ 大雨の音だけが 

鳴りやむ事なく、聞こえていました。

 

僕は お葬式にも、呼ばれなかった…。

 

 

まるで、安っぽいテレビドラマの ワンシーンを 

演じているみたいで、まったく 実感が沸かなかった。

 

母さんは、

「 … 自分の最期を、子供には 見せないで欲しい。

あの子の心は もう、長い年月で 

壊れて しまっているから、これ以上の

苦しみは 背負わせたくない…。 」

 

と、僕を 亡くなる前だけでなく

お葬式に呼ぶ事すら 拒絶したそうです。

 

父さんは 歯を食いしばり、

母さんの、息子を想う 気持ちを 

最期まで、尊重したのでした。

 

 

親戚達が 僕を連れて来る様に、

どれだけ訴えても 父さんは 誰よりも 

泣きたい感情を押し殺し、決して 譲らなかった。

 

今、思えば 二人のその決断は、正しかったと思う。

数年後には、父さんまでも 亡くなってしまったのだから…。

 

状況が しばらく 呑み込めず、

大雨が激しい雨音を立てて 東京のネオン街に 

いつまでも 降り注いでいく光景を、

窓際で 見つめながら しばらくの間、

何も答える事も できずに 

ぼんやりと 佇んでいました。

 

僕は どこに いるんだろう…。

ここは 寒い、 恐ろしく、寒い…。

 


 

母さんが まだ 薄暗い病室の中で、

弱り切った身体で 人知れずに 

乳がんと闘っていた 7月頃、

僕は レンタルショップで たまたま見つけた、

ジョン・レノンのCDを 借りてみました。

 

ビートルズを解散してからの ソロアルバムで

ジョン・レノンの 自分の生い立ちへの 

想いを歌った曲が、いくつか 収録されていました。

 

その中で、歌詞に 強く 惹かれたのは

「 マザー 」 という曲でした。

 

この しっとりとした バラード曲の演奏の中に、

ジョンの、母親への 愛を渇望する、

悲痛な叫びが 込められていました。

 

 

物心ついた時から、船乗りだった 父親は 

行方を くらませて 母親は 家を出ていき、

他の男と同棲していて 代わりに 

叔母夫婦に 育てられてきた ジョンは 思春期になると、

言いようのない孤独感を 抱え込んでいたそうです…。

 

自分の母親に対する、複雑な気持ちを 

感情のままに 歌い上げた作品でした。

 

                 「 マザー 」

                         作詞作曲 ジョン・レノン 引用

 

「 母さん、僕は あなたのものだったけど、

あなたは 僕のものではなかった…。

 

母さん、僕は あなたが欲しかったけど

あなたは 僕を 欲しがらなかった…。

 

だから お別れを 言わなければならない。

 

 

父さん、あなたは 僕を見捨てたけど、

僕は 一度も あなたの事を 見捨てなかった。

 

子供達よ、決して 僕の過ちを 繰り返してはいけない、

僕は 歩けもしないのに、走ろうとしていた。

 

母さん、行かないで…。 父さん、置いていかないで…。 」

 

僕は 学生寮の 狭い部屋の中で

ただでさえ、傷付きやすい 年頃に、

親に見捨てられた ジョン・レノンの 魂の叫びを 

両目に 涙をにじませながら

何度も 何度も 聴き直していました。

 

どうして、あの頃 この曲を 耳にする度に

心の奥底から 言葉で 言い表せない様な 

悲しみが 込み上げて来たのだろうか。

 

 

まるで、もうすぐ お母さんが どこか遠くへと 

旅立ってしまう事を 無意識のうちに 

感じ取っていたのかも 知れませんでした…。

 

北国に帰って来た時、もう 11月になっており 

また 雪の牢獄に 閉じ込められる季節が

近づいてきました。

 

母さんの遺骨を見せられても、僕は 何も感じなかった。

 

ただ 自分の人生に 何が起きているのか 

さっぱり 理解できず 

窓の外に 無言のまま 降り積もっていく、

雪を眺めて 怯えているだけでした。

 

 

母さんは 乳がんになってから、あっという間に 

衰弱していき 2年も経たないうちに 

死に目にも会えずに 旅立ってしまった…。

 

僕は 母さんが こんなにも 早くに 

亡くなってしまった原因は 

姉の暴力のせいだと 気付いていました。

 

毎日、あんなに激しく 母さんを 蹴り続けたせいで

見る影もないほど 衰弱していき、

真っ暗な病室の中で 別れの言葉も言えずに

人知れず、命を落としてしまった…。

 

きっと 母さんも 最期に 

僕に そばにいて欲しかったはずだ。

母さんの人生は 一体、何だったのでしょうか…。

 

 

微笑んでいる 母さんの遺影を しばらく見つめながら

「 この写真は いつ撮ったのだろう…。

母さんの笑顔なんて、最後に見たのは 

何年前だったかな…。 」 と ぼんやりと思っていました。

 

悪びれる 様子もなく、大あくび している、

下品な表情を見る度に 姉に対する殺意が 

僕の中で 確実に 芽生えていきました。

 

いつか、母さんの 仇を取らなければ…。