馬車道の由来

 岳温泉からの安達太良登山道、くろがね小屋迄の「馬車道」、
いつからのものか調べて見た。
実は二本松市には「福島中央新報」という新聞があり(平成30年廃刊)、
投稿させて頂いたりしていた。
創刊は昭和231218日。
安達太良登山の記事もあるので、以前から目を通していた。
昭和24526日の山開きの記事に、以下の記述があった。
『新しい登山道路/安達太良-嶽温泉/あすから測量開始』、
『二十四日の安達太良山開きはあいにく雨降りとなったため登山客の多くは
行列をなして湯元から岳温泉湯樋の敷いてある登山道を通って下山を急いだ。
ところが此の登山道がどろんこと化して転倒者が続出、
あげくに湯樋をピッケルなどで突き壊すものがいたために泥が湯樋に流れ込んで、
この日温泉はかっ色ににごり湯治客はブーブーだった。
/このため二本松土木事務ではこの岳湯泉登山道路を
湯樋から離して新設する計画を早くから進めていたが、漸く今年度
登山道路費として百五十万円の予算内示があったので、
二十七日から温泉地元民の協力で新しい登山道路の測量に入る。
/計画によると安達太良山腹のくろがね小屋まで約八キロ間を
温泉湯樋の敷いてあるところは一切避けスキー場を回って登るが
今秋中迄に工事を完成させたいといい、
さらに近い将来新設登山道路を林道に編入して
路幅の広い立派な道路に仕上げる計画でいる』。
 同じく63日の記事。
『また現在の登山道路は勾配二十五度ものところが多くあるが、
新登山道路の最高勾配は十度、従って湯川渓谷登山道路同様に
子供や年寄りも楽に登ることが出来るといい…』、
 10度の勾配、どのくらいなのかお城山で調べて見た。
戒石銘から入り本丸下の乙森までの自動車道路、10度以上の勾配はなかった。
一般車は入れないが他の城内の管理用道路、急と思われるところ測って見た、
10度だった。
道路作るとき10度以上の勾配は「何処でも」作らないのかも知れないね。
昭和24年に出来た「馬車道」にも10度以上の勾配は無い!。

 馬車道、正式な名前ではないが、この時にできた新登山道、
くろがね小屋への荷運びに馬車が使われたので「馬車道」と呼ばれた。
それが今まで残っている、ということだ。

関係地図

◎「文政八酉年四月嶽湯御再興に付湯樋筋見分繪図」今泉文書 郡山市歴史資料館
「横道」「猿鼻」「大徳坊」「烏川」「重石」等
現在でも通じる地名が記載されている。
「シテウサカ」は四丁坂、「セ?イシンサカ」は故二瓶義松さんは
「ショウジンサカ・精進坂」だろうと言っていた。
「岫下」は「深堀ニテ見立候新湯場」、 
「十文字」は「塩沢地面新湯見立場」、

◎昭和8430日発行 大日本帝国陸地測量部 五万分の一地図 二本松
馬車道や奧岳の記載がない一番古い5万分の1地形図。

◎安達太良山遭難救助マップ 平成10年 北海道地図(株)福島支店
馬車道や湯川渓谷遊歩道などと共に、余り利用されない古道まで記載された地図。

地図上で馬車道

 この地図は「平成10年 安達太良山遭難救助マップ」で、

古い道も記入されているのでとても便利。

 登山道を色別で表示した。

黒丸が「烏川橋」、赤色は「近道(旧道とも)」、青が「馬車道」、緑が「湯樋道」、

黄色は「あだたら渓谷自然遊歩道、『五葉松平コース』と

余り使われないが『大徳望コース』」、

橙色丸は「八之字の頭」。

 昭和24年に計画された、岳温泉登山道路「嶽温泉-くろがね小屋」は

「烏川橋」から、「八之字の頭」間は 急勾配だったので、

勾配10度維持できるよう、新しく道を造った。ここだけ複線になったのだ。

 

(終)