地面に空いている無数の穴があるエロス。
つまり、アヌスのことなのか。否、穴と言えどアヌスだけに限ったことではない。
そもそもマンホールとは何かから知る必要がある。
マンホール(Wikipedia)
マンホール・・・・それは地面にあけられた穴である・・・穴である・・・穴である・・・あなる。やはり、アナルなのだろうか。
「また、日本では女性器を示す隠語として用いられる。」
!?
やはり、マンホールは、まんまんでもあったのだ。
まんまんほーる。うん、しっくりくる言い方になった。
渋谷で見かけたマンホール、いや、まんまんホールにどことなくエロスを感じたのは気のせいではなかった。
東京都の昔のシンボルマークが書いてあったからだ。
よくよく見てみると今のマークもハイレグに見えてくる。
都の紋章
何か特別な意図を感じるのは私だけだろうか。
おしりは両手で触るために二つに割れているというエロス。
目や耳は、音や物を立体的に認識するために二つあるという。
また、進化の過程で、そうなったとも言われている。
では、おっぱいやおしりが、なぜ、二つあるのか。
おっぱいは、両手で弄られるためにあるのではないのか。
おしりは、両手で弄られるためにあるのではないのか。
または、挟んでも、よし、叩いても、よし。
人間の体は非常によく出来ていると、ただただ驚くばかりだ。
エロ本とエロ本の隠し場所とエロス。
男なら、一度や二度くらいエロ本の隠し場所に苦労した
経験はあるものの、完璧な隠蔽場所が見つからず、
挙動不審になったり、心配で眠れなかった夜もあると思う。
「見つかってはいけない」
「見つかると怒られる」
「見つかることは恥ずかしい」
という普遍的で絶対的な掟がこの世の中を凌駕し支配している。
その掟は、思春期を経て大人に近づくにつれ緩くなってゆくが、
だからと言って大広げに出して置くのもややデリカシーとデモクラシーに欠ける。
神秘的で且つ美しくなければエロスではない。
ここは敢えて、見つかることを前提に考えて、
見つけられる興奮と見つける行為
に快感を感じることが出来るのならば、
それはこの上ないエロスになると考えた。
とはいえ、
ベットの下、机の引き出し、本棚の奥の方、などは、王道過ぎて面白くない。
しかも、そのような場所は、掃除していたらとか少し開いていたからなど、
偶発的に発見されてしまうような場所だ。
たまたま見つかってしまった感はあってはいけない。
びっくりすると熊も襲ってくるのと同じで、
突然発見されたエロ本は、びっくりして本来の力を発揮することが出来なくなってしまう。
それはエロスではない。
100%のエロスと引き出してこそ、最高のエロ本となる。
たとえばの話をすると、
オヤジの鞄の中にあった女の人の写真。それはオカンではなかった。
寝室のタンスの奥にあった紙袋。その中にはコンドームが入っていた。
そんな、ちょっと切なく胸がキューとなる感覚。
ちょっとしまったぁとなるような背筋がゾクッとなる感覚。
怪しいと思ったけど、やっぱりエロ本があった。
まさかとは思ったけど、こんなところにエロ本があったとは。
探そうと思って探したくなるような、
怪しいなと思わせる場所(敢えて分かるように臭わせる)
に隠すのが最高のエロエンターテイメントだ。
エロ本探し、それは人生と同様、夢と希望に満ち溢れた
最高のトレジャーハンティングと呼べるかもしれない。
そして、今日も、僕は、エロ本を買い、またどこに隠すのか考えている。
買う前に、今度はどこに隠そうか考えるのも、また一興。
僕と勃起と勃起の生きる道とエロス。
ちんこがなくなっても、死ぬ。
すなわち、ちんこは命、人生そのもの。
ふと思った。
一日に何回勃起をするのだろう。
一日に何回海綿体に血が注がれるのだろう。
正確にではないが、
昨日の勃起回数を数えてみたところ。
【午前】
朝立ち×1
電車の中で寝て起きたとき×1
仕事中にグラビアアイドルの写真を見て×1
【午後】
エロイblogを読んで×2
眠くなるたびに×3
【夜】
ネットでエロ画像×3
ネットでエロ動画×3
夜寝る前×1
寝るとき×1
合計、約16回。
多いか、少ないのか、分からないが、
少なからず、私の血潮は確実に海綿体に行き届いていることが
分かって非常に嬉しい。
ただ、勃起回数=エロイことを考えていた回数
ではないということ。
ときとして、勃起という現象は、
生物学的に、生理学的に、そしてイッツオートマティックに、
本人の意思とは違う何かの制御によって発生するものであることは
男であるならば、周知の事実。
つまり、エロイことを考えて、勃起しなくなってしまったとしたら。
それはEDか、または仙人になってしまったということ。
ED、それは、
<Entrance of another Dimension>
異次元への入り口なのかもしれない。
毎日、勃起、してますか?
おっぱいに名前をつけるエロス。
私は、おっぱいに執着する。
幼いとき、2歳半までおっぱいを飲んでいたと聞いた。
乳幼児のとき、おっぱいを飲んでいた期間が長いと、
執着心も強くなる、という話は本当なのかもしれない。
それから、二十年以上の時が経て、心と身体も大人になった。
だけど、おっぱいに対する気持ちは、変わらない。
おっぱいは、美しい。
おっぱいは、偉大だ。
おっぱいは、すばらしい。
止め処無く溢れるこの狂喜な悦びと攻め立てる猛りを、
どのようにして、伝えたらようのだろうか。このおっぱいたちに。
優しく愛で愛撫するのは、もちろんのこと、
おっぱいに名前をつけ、その名前をもって呼ぶ事が、
敬意と尊敬と愛着の念を表現する、一番の方法ではないかと思う。
「綺麗だね」と毎日声をかけられて育てられた植物は、
普通に育てるより、ほんとうに綺麗に育つらしい。
たとえば、
右のおっぱいは「太郎」、左のおっぱいは「花子」
と名前をつけたとする。
「ただいま、太郎。元気してた?
なんだか今日は元気ないみたいだね、どうしたの?
あらあら、花子はちょっとすねちゃったみたいだね。
大丈夫、花子とも、ちゃんと遊んであげるからね」
名前をつけられ、会話で名前を呼ばれることによって、
自覚が芽生え、責任感を持つようになる。
おっぱいとして、一人前になって欲しい。
堂々と胸を張って生きてゆく、そんなおっぱいになって欲しいのです。
そんな願いを込めて、今夜も名前を呼んでいるのです。
人間とおっぱいとの共存、
それは人類が直面した、最高で最大に高貴なエロスに違いない。
ちなみに、ちんこに名前をつけて愛情を注いでも、一人前にデカくなりません。
検証済みですので。
ノーパン健康法とエロス。
いやらしい薄着の季節が過ぎ、
見えそうで、見えない、そのチラリズムと
もしかしたら万が一の確立のポロリズムを期待してやまない
私の心も、すっかり秋が来てしまったようです。
背中からうっすらと透けるブラリズム。
ショーツの線が写るパンチズム。
これから来年まで、巷で目につくのが難しくなるのは、正直さびしい。
だからと言って、こっそり手鏡で覗いたり、
魔がさしてお触りしてまう行為は犯罪であり、最低のエロスだ。
そんなときには、ノーパン健康法がいいのでは、と思いついた。
広く知られているとおり、ノーパン健康法とは、
おパンツを履かないで生活することによって
締め付けられることからの開放感が生まれ
健康を促進する、というなかなかナイスエロスな健康法だ。
それを応用し、自分がノーパンであることに加え、
他の人もノーパンだ、という想像をすれば、もっと健康になれるかもしれない。
たとえば、
前を歩いている白いスカートのキレイなお姉さん。
厚着で、ボディーラインも分からず下着が透けたりはしていない。
だけど、ノーパンだとしたら?
スタスタと歩いている、その足の付け根には、
お股の大事なところを隠す布が、ない。
さらに、歩いている床が、ピカピカツルツルした場所だったら、
具がチラリ一人旅をするかもしれない。
そんなことを、考えるだけで、ワクワクすること間違いなし。
もしも、そのお姉さんと触れ合っただけで、もう、気分はペッティング。
だって、自分も、下はノーパンツだからね。
だから、私は、今日も、いやらしい目で世間を見つめてます。
ノーパン is フリーダム!
はじめに。
有名な訓示に「我以外皆教師」という言葉があります。
自分の周りのすべての人から学ぼうとする意欲を示す、
大変心に訴えかける言葉です。
私は、この言葉に大変感化され、一つの考えが浮かびました。
自分以外の身の周りにあるすべてものから学ぼうとする性欲もあるのではないか。
つまり、この世の中に存在するすべてのものや事象は、
エロス(性愛)に繋がるのでは、と思いました。
そんな、日々考えたことや感じたエロスを、つらつらを書き綴りたいと思っております。
