自分をわかってくれる人なんていない。
親しい友人も会社の同僚も、家族でさえも、自分が思っていないことを指摘されると嫌な気持ちになる。
嫌な気持ちになるのは、本当のことを言われたから?
いや、そんなことはない、と思うのは自分勝手?人の意見を聞いても答えはあるのか?
自問自答することが優越なのか?
好き勝手に生きることがわがままなことではなく、それが人生を全うすることなんだと、瀬野は自分に言い聞かせた。
周りを見れば知らない人が生きている。周りからすれば自分も知らない人のひとり。自分に正直に生きることが、好き勝手やっていいことの解釈なのか。わかっている答えにまだ解けない(見えない)何かがあるのではないかと思いを寄せていた。
自分が好きな人が、自分のことも好きだったらイイのに…
人と付き合ったことが無いことがまるで罪を犯したような目で見られることに、瀬野は苦痛で仕方なかった。付き合った人の数やその内容の濃さでなく、感情を持った人間は必ず誰かを好きになり、好きという感情は伝わり、そこで可否が判決され、また誰かを好きになっていく。
当たり前のサイクルに入っていけない瀬野は、それが自分のせいだとわかっていながらも、何かにその原因を押しつけていた。
そうでもしないとやってられない。本音だった。
そんな瀬野にも職場で気になる女性がいる。
まだ2年目の若い女性で、彼女の笑顔が好きだった。感情を表に出さない、うまく出せない瀬野にとって、明るすぎるくらい感情豊かな千山(ちやま)は眩しくて仕方なかった。
生物学的に自分が持っていないDNAを求めることが本能ならば、それは素直な反応だった。
しかしながら、前の職場でも同様の女性を好きになり、自分が“感情的”になってしまうほど、精神的に追いつめられた記憶から、彼女を好きになることを止めようと思った。派遣社員であることも、その理由の一つであった。
働くこと、食べること、恋すること、つまり生きることが惰性で、このまま日々が過ぎていくだけを考えることが癖の瀬野には、恋は大きすぎる壁であった。何かのきっかけをつかむ、自分を変えるチャンスかもしれないのに、ポジティブな思考を考えては止め、繰り返し、やがていつもの負の値へ収束していった。