ブログを書くようになってからまず気づいたことは


傷つけられた相手の言葉がどんなものだったのか思い出すことが出来ない


と言う事だ。

不思議なことに昔の記憶をたどっても、

自分が何を言われて泣いていたのかはっきり思い出せないのだ。


私は学生時代は記憶力はそう悪くも無かったし、

人の名前などは一度聞けば忘れることも無かった。

けれど高校生くらいになるといきなり物忘れが多くなっていった。

その頃から母からの言葉の暴力は凄まじい物になっていたはずなのだけど

泣きながら家出をしたことや母親に殺意を覚えたことも思い出せるのに、

その原因となる事が一体なんだったのか思い出せないのだ。

なので昔のことを考えると


「私は本当に酷いことをされたのだろうか?」


と疑問に思ってしまう。

思い出せないくらい些細な出来事だったのではないかと。


最近までは


相手が自分を罵倒し始めると言葉がすり抜けていく


感覚もあったぐらいだ。

まるで耳に残らないと言うか記憶に残らないのである。

相手の話を真剣に聞きたいのに

どんどん言葉がすり抜けていき

最終的には相手の言った言葉の半分も聞き取れていれば良い方だった。

なので相手の悪意が読み取れないし、

自分にダメージがない分酷いことを言われていてもまったく気付けない時もあった。

自分を守ろうとする本能だとは思うのだけれど、

必要なことさえ言われても忘れてしまうのには正直困ってしまった。

友達と約束をしても覚えていられなかったのだから。

手帳に書いても、手帳に書いたことすら忘れてしまう。


話した記憶はあるのに何を話したのか思い出せないのはかなりの恐怖感があった。

最近では大分落ち着いてきたのか、

相手が話している最中に相手の話していることについて考えることが出来るようになった。

きっとそれが普通のことなのだけれど・・・

結局仕事帰りに彼氏に私と母が住んでいる部屋によってもらうことにした。

毎日のように


「仕事帰りによることも出来るだろうにそれすらしない非常識」


と言っていたので、じゃあ仕事帰りにあってもらいましょうと言うことで彼にお願いした。

今までは彼の仕事の終わる時間も遅く、22時前後だったため家に寄ってもらうことを頼むことは無かったけれど、

前回の会う約束をあっさりドタキャンしたこともあったので(ぶっちて言うのかな?)

時間を設定するのも無駄なので仕事帰りにきてもらうことにした。

母に


「彼が仕事帰りに挨拶したいって言うからきてもらったよ」


と言うと、いや、予想はしていたんだけれど、


「こんな時間に非常識だわ!!!私は会わないわよ!!!」


と言い出したので


「仕事が遅い話もしていたけれど仕事帰りに挨拶ぐらい出来るって言ったのは自分でしょう?

 昼に会えるように時間作っても断ったでしょう?それなのに挨拶に来ないって言うのなら

 仕事帰りによってもらうしかないでしょう?自分毎日言ってたじゃないの。」


と反論すると


「まったくあんた達は自分たちのことしか考えてない!

 私がどれだけ疲れていると思っているの!

 大体私は休みすらないんだからね!休みはほとんど伯母さんのところに手伝いにいってるんだから(伯母は酪農をしています)

 あそこの家なんて私がいないとやっていけないんだから!!!

 あんた達のやっている事はあの家を(伯母さんの家)潰そうとしているって事なんだからね。」


このやり取りを玄関先でやっていたので、ドア向こうに居る彼氏に筒抜けだったらしく

私がキレる前に彼から


「俺が話すからちょっと出ていてくれる?」


と言われたので今度はドア越しに私が話を聞く形となった。


「初めまして○○です。」


「あんたねぇ、こんな時間に来られても私困るんだけど」


「いや彼女からお母さんが仕事帰りに挨拶にも来ないって言われていたし、

 会おうって日にちを決めて仕事を調整しても会ってくれなかったじゃないですか?」


「あの時は調子が悪いって言ったでしょ!

 何?何なの?あんた達は人が具合悪いのに無理やり自分たちの都合に合わせろって言うの?

 随分勝手な話しかしないわね!

 所詮自分たちのことしか考えてないんでしょう!!

 まったく毎日夜中まであったりしていやらしい!

 平日会えないなら週末会えればそれでいいでしょう?週に1回ゆっくり会えばいいでしょう!

 まったく非常識だと思わないの!!!」


「いや僕も仕事が遅いもので、でもやっぱり会いたくて遅い時間に娘さんを連れ出して申し訳なく思ってます。」


「会いたいからってあなたねぇ、そんなの週に1回もあってれば満足するでしょう!

 大体結婚してから一緒に暮らせばいいのになんで同棲なんて半端な真似するの?

 常識で考えればわかるでしょう?

 結婚してから一緒に暮らすのが当たり前でしょう。

 そんな同棲なんて非常識なことなんで考えられるの!!」


「いや僕も一度失敗していますし、そのこともあって彼女も結婚について不安だろうし、

 万が一考えが合わなくても戸籍に傷がつくことなく再出発できるわけだから、

 お試し期間のようなものがあっても良いと思ったんです。


「最初から別れるときのことを考えるようじゃ無理でしょ。

 一緒になるときなんて死ぬまで相手と一緒に過ごすことを考えるのよ。

 今は責任が無いからそう考えるんだろうけど、

 結婚して籍を入れてしまえばそれなりに我慢ができるのよ。

 そんな考えだから前の結婚失礼だけど失敗したんじゃないの?」


疑問に思っているのは、

貴女は(母)我慢が出来ないから離婚したんじゃあないんですか?

再婚相手と別居することになったのも我慢が出来ないからじゃないですか?

てか人のこと言えない立場で文句ばっかり偉そうに言うから不自然なんじゃあ?

ということ。

やっぱり母はモラだったのか、

人に厳しく、自分に甘く、自分の言うことを聞かないやつはみんな非常識な人間

って思考だったのかなと思う。

いや、再婚相手も相当非常識だったとは思うけれど。



「大体なんで私が疲れているのにあんた達の話を聞かなきゃいけないの!

 同棲でもなんでも勝手にしたら良いじゃない!

 ここから出て行くなら私達は他人だから!

 他人がどうこうしようと私には関係ない!

 ただ、出て行くんなら戻ってこないつもりでいてちょうだい!

 お金が無くてやっていけなくなったってこっちにこられても

 迷惑だから」


ここまで言われて彼が


「それはちょっとないんじゃないんですか?

 大事な娘さんに言うことじゃないんじゃないですか!」


「ああ!大事な娘だ!だけど私の言うことを聞けないで出て行くんだから仕方が無いでしょ!

 何があろうと私には関係ないし知らないわ!!!!

 出て行くんなら出て行けばいいじゃない!

 もう私には関係ないし!!!!」


で、私は当然


「じゃあ出て行くわ。好きにしていいんでしょ」


と言い母は


「勝手にしなさい」


と言ったのが私たちが最後に交わした会話だった。

次の日私は自分の持ち物を全て彼氏の部屋に運び住民票を異動し、転送届けもだし手続きの全てを終わらせた。

その後姉からもメールが来た。


「あんたのやっていることは自分勝手で甘ったれだ。

 出て行ったあんたが悪い。母さんのことどうこう言う前にあんたがやることやりなさいよ」


と言ったような内容だった。

今思えばそこまで言われているのに何故、姉と連絡を取るようになったのか・・・

そうだ、母が再婚相手に離婚で訴えられたからだ。

しばらく連絡も無かったのにメールをしてきたのは一人でそのことに対応できなかったからだ。

そんなことに今ブログを書いている最中に気づいてしまった。

まだまだ甘いな、私は。


その時送られてきたメールの内容は


「今すぐ連絡頂戴。

 連絡よこさなかったらあんたとは一生縁を切るからね!!」


だったと思う。

ああ、その時もうすでに姉はモラハラする人だったのだ。

そんなことにたった今気づいてしまった私。

ブログを思い出しながら書くって自分にとって大切なことなんだなと

今痛感しています。猛省。


 

彼は一人暮らしを始め、

私は彼氏の部屋で過ごすことが多かった。

何も言われない、罵倒されない時間がとても嬉しくて、

気持ちを落ち着けられることがこんなにも良い物なのかと思った。


落ち着ける場所が出来てしまうと、

やはり自分の部屋に帰る事により一層の恐怖感が私の中を支配した。


「帰りたくない」

「母に会うのが怖い」

「何を言われるかわからない。今度はどんな言葉で私を貶めるのだろう」

「嫌だ、嫌だ、嫌だ、帰るのが、母のいる場所へ戻らなければならない現実が嫌だ!」


その時彼はこう言った。


「一緒に暮らそう?

 いきなり結婚は不安だろうから同棲から始めよう?

 そんなに辛い思いをしてまで母と一緒にいること無いよ。

 同棲のことも話せばきっとわかってくれるよ。

 俺からちゃんと話すから。

 俺が挨拶に来ないって言われてるんだろう?

 会うよ。あなたの母さんに。

 時間作ってくれるよう話してもらえる?」


嬉しかった。

私は彼の言葉に本当に救われた気持ちになった。

もういいんだよって楽になっていいんだよってそう思えたから。


私の彼氏はバツイチだ。

前の奥さんとの離婚原因は奥さんの浮気だった。

けれど母や姉にとっては


「浮気される原因があんたにあったんでしょ」


の一言で片付けられてしまった。


母も姉も離婚を経験している。

母に関しては前の旦那に浮気されているわけだから、

当然浮気されたものの気持ちや辛さがわかっているはずである。

けれど平然と傷をえぐるような事を楽しそうに話していた。


「どうせたいした男じゃないから浮気されたんだ」

「給料も少ないし逃げられたんじゃない?どうせ魅力が無い男なんでしょ。

 あんたを選ぶぐらいだからね」


他にも色々言われたが今は記憶が薄れていて思い出せない。

けれどそんな状態なので、

母に彼に会ってくれるよう説得するのは容易ではなかった。

機嫌のいい日を選び、日にちも決めて、彼も予定を合わせてくれた。

けれどその当日


「私会わないから。

 あんたたちと違って私疲れているの。だから会いたくない。」


私が

「どうして?約束したから忙しいのに彼は時間作ってくれたんだよ?」

と言えば


「なんで私があんた達のために時間作らなきゃいけないの?

 あんた達が私の都合に合わせて当然でしょ?

 なのになんで私が疲れているのにそんなことしなきゃいけないのさ!!!!」


最悪だった。

彼は仕事の当番を他の人に代わってもらったりしていたのに、

そんなことすら平気で踏みにじられた。


その日から私が脱出するまでの期間ずっと母は


「仕事帰りに挨拶に来る事だってできるのに常識が無い男。ほんとだらしないわね」


と言い続けた。

それならばと仕事帰りに挨拶に寄ってもらった。


母が普通ではないと私の彼はその日に気づくことになる。

母とのバトルの後彼はこう言った。


「ごめん、俺の考えが甘かった。

 話が通じない人っているんだね・・・」と。



「誰もあんた達の結婚を祝福していないから」


これは私が彼氏と結婚する意志を伝えた後姉が言った言葉だ。

そのあと姉の旦那がこう付け足した。


「あんた達がさ、何かしでかすとうちに迷惑がかかるんだよね。そんなの困るんだけど」



もともと姉夫婦は私の彼氏に関して良い印象を持っていなかった。

それは母との衝突の話を母から聞いたせいもあったのだろう。

だが、その日言われた言葉は、

姉が家を飛び出すことになった原因の


母の言葉と同じものだった。



私が家飛び出すきっかけになったのは、母と彼氏を対面させたことだった。

母は毎日、いや、毎朝、毎晩私を見ては


「男にだらしがない」

「あんたがそんなレベルだからたいした男をみつけられないんだ」

その上で今度は彼氏について

「彼氏の給料は?年収は?あんたを養う甲斐性の無い男」


挙げ出したら限が無い。

毎日泣きながら家に帰る私を見て彼は


「お母さんに会わせてくれる?もしかしたら話せばわかってくれるかもしれないよ?」


そう言ってくれた。

母は私が彼と会って帰ってくると、


「挨拶の一つも無い。普通だったら結婚を考えているんだったら挨拶ぐらいしに来るのが当然だ。」

「遅い時間までつれまわして常識が無い。あんたもあんただ!夜中に帰ってきて!みっともないったらないわ!」


当時私は25歳だった。

いったい何歳になれば私の自由はあったのだろう?

職場での飲み会だといえば機嫌よく了承した。

どうやら私の自由に遊ぶのが母にとっては気に入らなかったのだろう。

母といる空間が気持ち悪くて帰りたくは無かったが、

彼は実家暮らしでそうそう泊まれるような環境ではなかった。

毎日仕方なく一緒に暮らし、

脱出用の資金を貯めるのも給料的に厳しかった。


私の彼は私の様子を見て、

甘い実家暮らしを捨て一人暮らしをしてくれた。

いい年の大人の男が実家暮らしというのも少し問題があるということにも気づいたようだった。


自分で生活しなければお金の大切さはわからない。


これは私が覚えている中で姉がまだ母に似ていなかった頃に言った言葉だ。

この言葉は今も共感できる。

姉が母と同じモラハラを私にした今でも、

この言葉はまともだったと思う。

結果彼氏が親からの自立が必要だと思うことが出来たのだから。


けれど姉の思考は被害者から加害者へとものすごいスピードで変貌していった。

母にこう言われた。


「仕事で使っているお金がなくなった!

 あんたが盗ったんでしょう!

 私が神様に聞きに言ったらあんたが犯人だって言われた。

 私はこんなに恥ずかしい思いをしたことがない!

 恥を知りなさい!

 お金を出さなければ警察を呼ぶよ!」


唐突だった。

いくら私が知らないといっても無駄だった。

彼女が信じるのは宗教であり私で無いのだから。

私は悔しかった。

過去に貯金を使われた悔しさに親の財布からお金を盗んだことはあったから。

疑われても仕方が無かったから。

自分が高校生になり働くようになってから一度もしたことは無かった。

けれど、盗まれたほうにとっては関係の無いことだったのだろう。

いくら私が盗っていないと言っても


「警察を呼ぶ」


と言い続けたのだから。

いっそ呼んで欲しかった。呼べばはっきりするのだから。

私が警察を呼べば良い言ったが母は呼ばなかった。


「家の恥を曝す気か!」


私が犯人扱いした割には自分の判断に自信が無かったのだろう。

私が出て行くまで犯人扱いをした。


結局犯人は母の再婚相手だった。

発覚したとき母は私にこう言った。


「あいつの(再婚相手)態度を見るためにあんたを犯人にしたの。

 血の繋がった家族だから許してくれると思ったから。」


彼氏と喧嘩することになった。

喧嘩の理由は結婚式を取りやめるかどうかだった。

私は自分の親を呼べない引け目があり言えない一言だった。

けれど見極めたかった。

私を救ってくれた彼が私をどう思うかを。

彼は喧嘩の後必ずこう言った。


「俺は頑張れるけど、私は頑張れる?」


私が常に選択する形を取らされるのが嫌だった。

どうして一緒に頑張ろうと言えないのか?

それとも私が断っていたなら関係は終わっていたということなのか。


彼が私を大切にしないのなら関係を終わらせてもいいと思ったことが

私の背中を押し、私の気持ちを強くした。

私はこの質問をされた時こう言った。


「その言い方は卑怯だ。

 貴方は自分は出来るけどという。

 じゃあ私が出来ないと言えば別れていたの?

 一番辛い一言を常に私に言わそうとしている。

 私の一言で、私の気持ち次第で壊れてしまう関係なら、

 いっそ今壊れてしまえばいい。

 どうする?別れる?」


彼はバツイチだった。

彼は前の奥さんに浮気されていた。

彼は信じていたと言う。

だから自信がない。

自分の気持ちを拒絶されるのが怖いと言う。

これもまた一つのトラウマなのだろう。

人は裏切られた時の気持ちをなかなか克服できないから。

私もその中の一人だから。

彼はこう言った。


「やっぱり怖いから出来ない。」


それを聞いた私はこう言った。


「頑張るって言えないの?」

この言葉は私をいつも追い詰める彼の言葉だった。

いつもと逆のパターンになり

今度は彼が追い詰められることになった。


彼 「頑張りたい。だけど出来ない。」


私 「頑張る気ないんだ?私とはもうやっていけない?」


彼 「わかってる。わかってるけど思ってても出来ないんだ。」


私 「それは私がいつも言うこと。でも貴方言うよね?どうして頑張れないんだって。

   自分でも頑張っているのに認められないって辛いよね?苦しいよね?

   でもあなたは私にこう言うよね?

 「頑張るってことすら言えないの?」って。

   じゃあ今の貴方は頑張るってことすら言えないの?私にはいつも言うのに言えないの?

   私はそう言われる度いつも追い詰められているんだよ?」


彼 「ごめん。」


そう言って彼は泣いた。

私の気持ちをやっとわかることが出来たと。

けれど私の気持ちは複雑だった。

彼が私と同じ気持ちになってくれたのが、私の気持ちがわかってくれたのが嬉しかった。

けれど、

彼を追い詰めているとき、

私は気分のよさを感じてしまった。

今まで支配されていた気持ちだったのが、

今度は私が支配する側になったのだ。

なんとも言えない優越感があった。

加害者側の気持ちよさを知ってしまった。

まるで自分が偉いような、言い返せない相手が馬鹿に思えるようなあの感覚。

これだ。と思った。

いつも泣いている私を見ながら、

母はこの優越感を得るためだけに私を嬲っていたのだと。

被害者が加害者になるのはこの感覚のせいだろうと。

自分より弱いものを嬲り、自分が強い人間に見える錯覚。

確かに心地良いのかもしれない。


けれどそんなものは偽者なのだ。

自分はそんな強い人間ではないのだ。

本当に強い人間と言うのは自分の弱さを知り、

そして克服していくことなのだ。

それは決して自分の弱さを見ないことではない。

けれど母のような人はそんな考えを認めないだろう。

心地よさしか求めていないのだから。


私はこの感覚を忘れない。

自分が加害者にならないために。

自分が加害者と同じ気持ちになったことを

私は決して忘れない。

過去と現在と戦うために。

私はこの感覚を常に恐れ続けようと思う。





私は中学生の頃母親に毎日罵倒された。

今は何を言われたのか思い出そうとしなければ出てこないくらいに落ち着いた。

けれど、あの時のなんとも言えない苦しい気持ちは今も思い出せる。

大人になった今でさえあのときの気持ちは消えることはないだろう。


「この女を殺してやりたい。

 私がこの口を封じるには他に方法がない。

 逃げる場所なんてない。

 自由なんてない。

 この女が死ななければ。」


追い詰められていたと思う。

学生時代、いや、連絡を拒否することが出来なくなるまでこの思いは消えなかった。

ただ、高校時代はバイトをすることで、

専門学校のときは離れて暮らせることで気持ちを薄れさせることが出来た。

けれど外出すら許されなかった中学生のときは、

朝起きたら私の友達について聞きあさり、

夜はその友達についての悪口を言う。

パターンが違うのは悪く言う相手が

私か、私の友達か、母の兄弟か、母を生んだ母親か、母を大事にしない人にかわるだけだった。

母が人を褒めるのは自分に優しくする男についてぐらいだった。

母は女だった。

私が成長するにつれその感覚は強くなったのだろう。

私の女についての罵倒をするようになった。

それは親として子に決して言ってはならないであろう言葉が多かった。

私は自分の女を嫌い、男を嫌い、人を信用する気持ちを失いながら成長していった。

それとともに母を女としか見ることが出来なくなった。

母が私を専門学校に通わせたのは

自分が新しい男と再婚し、

新しい生活をするためだった。

けれど私にはそれが救いとなった。

離れていることで、逃げ場があるということだけで、

母への殺意を薄れさせることが出来たのだから。

後にこの男に母はモラハラされることとなる。

けれど、

この男が居なければ、

私は母を殺していただろう。

私は早口で追及されるのが苦手です。

考えている間にどんどん質問されて答えられなくなってしまう。

相手は答えを待たないままどんどん質問してくる。

そして

「どうして答えられないんだ?こっちは質問しているのに!」

と言われます。

私はどんどん追い詰められて苦しくなります。

追求されるのを早く終わらせたくて、

追い詰められるのが嫌で


「私が悪いんです。ごめんなさい」


と言ってしまいます。

それを聞いた相手は


「そんなことを聞きたいんじゃ無い!馬鹿にしているのか!」


とさらに強い口調で


「なんで聞けないんだ!どうして人の話を聞かない!」


と攻め立てます。

辛いことを早く終わらせたい私の態度が気に入らないんでしょう。

どんどん口調がきつくなり私は追い詰められてパニックを起こします。

それを見た相手は深くため息をつき、

そしてやっぱり言います。


「何故人の話を落ち着いて聞けないのか?」


と。聞くつもりが無いわけじゃないんです。

ちゃんと聞かなきゃいけないのがわかってはいるんです。

でもパニックを起こします。


「口調がきついからやめて」


と訴えても


「そんなつもりはない。そんな風に聞こえているのか!」


と言われます。

私の勘違いなのかもしれない気持ちがします。

でも、その時確かに私は追い詰められているのです。

追い込んでいるのはこれから結婚しようという相手です。

今のままでは幸せになれない気がします。

会話の最終的には私が努力するよう約束させられます。

私は努力していないわけではないんです。

けれども、それは彼には伝わらないんでしょう。


母は現在離婚裁判の被告人である。

訴えているのは再婚相手だ。

この離婚相手もかなりの曲者だった。

私は彼と同居することになってもあまり顔をあわせることも無かったし(水商売をしていたので)

特に会話をすることもなかったから母が訴えられるまで、

どんな生活をしていたのか知らなかった。


離婚相手は経済的にモラハラをしていた。

食費として月3万円を渡す以外はお金を出さなかった。

そのくせ光熱費等は常に「高い」と文句を言っていた。

彼は言葉のモラハラはしなかった。

都合が悪いことはすぐにだんまりを決め込んだ。

彼の父親が無くなって遺産が入ったときも、

母には何も言わず自分のものだけにした。

そうして遺産が転がり込んですぐに、

嫌がらせが始まった。

子とあるごとに文句をつけた。

罵倒するのではない。

姑がよくやるという小言レベルのものだ。

そうして母が出て行くというやいなや

全ての家財道具を押し付け、

住んでいた家を借家にし、離婚届を書けと請求してきた。

どうやら口うるさい金の出る財布はいらなくなったらしい。

そうして被害者となった母はしばらく大人しくなるのだが

またすぐに私で憂さ晴らしをし始めた。

母に対して同情は出来なかった。


そんな彼女の離婚裁判は来月判決が出るらしい。

元旦那の言い分では離婚原因が無いためおそらく棄却されるだろう。

裁判に必要な書類等は私と姉で全て作成した。

母のためではない。

万が一負けたときに降りかかる慰謝料請求があった場合、

母が破産宣告する可能性があったからだ。

姉が母から話を聞き(姉は現在幸せな結婚をしているため母が姉より立場が下だと思っているので素直に話す)

私が答弁書などの書類の下書きをした。(私は行政書士の資格の勉強を続けているので多少の役には立つので)

そうして下準備を重ねている間、

母自身は何もしなかったが。

母がしたことといえば昨日あった本人尋問の際、私たちが下準備してきたものを

全てぶち壊す発言をした事だけであろう。

後から反省の電話があったが、

何を考えているのか未だによくわからない。


ただ今回のことで言えるのは


モラハラする人間がモラハラされてもさらに格下の相手に倍にしてモラハラする


ということだと思う。

加害者は加害者のままなのだろう。

加害者自身が「自分こそが被害者なのだ」と思っているのだから。

母は宗教が大好きだった。

日曜、大晦日、元旦は毎年どこかのお寺や神社に連れて行かれた。

私は嫌だった。

宗教に批判的なわけじゃない。

けれども自分の意思で行くかどうか決めたかった。

強制させるのは嫌だった。

友達と出かける約束がある。と言えば、


「私はあんたのためを思って連れて行ってやっているのに

 どうして他人と約束するのか?

 お前が行きたくないというのは

 おまえに悪いものが憑いているからだ!

 お前には悪霊が憑いているから行きたくないというのだ!」


そう言って無理やり連れて行かれた。

何か良い事があれば


「私がいつもお参りしているから良い事があったんだ」


悪いことがあれば


「私が熱心にお祈りしているからこの程度ですんだんだ」


まるで悪徳セールスのようだなと今なら思う。

けれども彼女と一緒に暮らしている間はいつもこう言われていた。

私が必死に努力して高校に受かったときも、


「あんただけじゃ(高校に)入れなかった。

 私がお祈りしたおかげで入ることが出来たんだから

 神様に感謝しなさい。」


そう言っていた。もちろん


「頑張ったね」


と言われることは無かった。

この頃から私は自暴自棄となる。

今の彼と一緒に暮らすまで安心できる場所も無かった。

日々生きていけばそれでよかった。

ただ、自分が死んだときに母親にお金が渡るのが嫌で

貯金することは無かった。


彼女は私が幼い頃ずっと大切にためていたお金をあっさり使ったことがあった。

以来貯金するという感覚が無くなった。

もちろん現在はがっちり貯めようとマメに貯金箱にも貯金している。


この宗教が後に私に濡れ衣を着せる要因となり、

母親も再婚相手に痛い目にあわせられることとなる。