忘れないうちに備忘
おかんが痒いのは疥癬(かいせん)と言うダニの感染症だった
12月に行った最初の皮膚科がヤブ診断
2月に入り2件目の皮膚科で疥癬と診断され飲み薬と塗り薬を処方された
どこから感染したの
誰から感染したの
2件目の皮膚科に行ったあたりから食事の摂取が1割2割のため点滴開始
後でわかったんだけど、この点滴は水分だけで栄養はない点滴
2/20の皮膚科診察で疥癬は完治
完治とともに病気ではないので点滴も外された
今後について決めるため施設に向かった
元気だったクリスマス以来、久しぶりに逢ったおかんはぐったりしている
スプーンで口にゼリーを運んでも口元から出てしまう
今後をどうするか聞かれた
病院で胃ろう等の手術を受けるか、このまま施設で介護を続けるかなどなど
前日に弟家族も呼んで話したので胃ろうの選択はない
食べる事が好きなおかんの体に今更痛い思いはさせたくない
「せめて栄養のある点滴を打ってもらえないか」とお願いした
「治療行為にあたるから施設では打てない」と返ってきた
おかんは水分だけで2週間近くいたって事だ
まじかよ
食べられない理由が知りたい
病院での検査ができないか促すがどうもそんな雰囲気を感じない
系列の病院に入れられないか聞いてもやんわり無理な感じを出している
しばらく二人にしてもらった
おかんの命をどうするかなんてすぐに決められない
病院で栄養状態が良くなったとして、食べられないおかんの幸せや楽しみって何だろう
おかんに話しかけながら泣く事しかできなかった
人生で一番しんどい決断だった
ケアマネさんに施設で看てもらう事にしたと伝えると看取り介護に切り替えてくれた
たまたま医師が施設に来ていたので手続きもスムーズに進んだ
24時間いつでもおかんに逢える
相方が迎えに来るまでおかんと過ごした
2/21
午前で仕事を切り上げおかんに逢いに行った
スーパーで一番高いはちみつをお湯で溶かしてレモンを入れたドリンクを持って行った
施設の人にお願いしてトロミをつけて口に入れるれとおかんは反応した
甘味は最後まで感じやすいらしい
2/22
仕事の休みを取り、相方も休みだったので二人で逢いに行った
脱水症状で高熱が出たりするのではちみつドリンク以外にポカリを持って行った
職員さんに隠れてスポンジに含ませたポカリで口の中を潤してあげた
飲みこまないのでやり過ぎて詰まると困るから様子見つつ口の中へ
もちろん脱水症状解消させる気満々
どうなるかわからないので帰宅してから確定申告を仕上げた
2時までかかったが提出できる状態にできたので一安心
2/23
朝6時に施設からチアノーゼが出ていると電話
出勤前の相方が休みに切り替えてくれ一緒に施設に向かった
おかんの手を握って声をかけるとチアノーゼは消えた
その後もチアノーゼが出たり消えたり
手にハンドクリーム塗ったりして夕方までおかんと過ごす
寝不足も手伝ってさすがに体がしんどい
早めに就寝
2/24
施設からの電話もなくよく眠れた
仕事終わったらおかんに逢いに行こう
いつも自転車だが駅まで歩いた
駅に着いて施設からの着信に気付き折り返す
すぐに施設に向かった
施設のある駅は最寄り駅の隣
電車から降りて施設に向かう途中、おかんの呼吸が停止した旨の留守電を聞いた
施設に着くとおかんはまだ温かかった
延命治療をしないので心臓マッサージとかなし
息を引き取ったおかんは静かに横になっていた
私をゆっくり眠らせるために朝まで頑張ったんだよね
私が人前で取り乱さないようにワザと間に合わせなかったに違いない
おかんは本当に優しい
葬儀屋さんにお願いしておかんを家まで運んでもらった
やっと帰ってきたおかんはドライアイスに囲まれて安らかな顔をしている
2/20からほとんどが「ごめんなさい」と「ありがとう」しかなかった
そこに「お疲れ様」が加わっただけの事だ
2/25
一晩家で過ごしたおかんは夜に葬儀屋さんのお迎えで安置所でのお泊り会に出かけた2/27-3/2まで月次決算のため出社
こんな時でもやる事はやる働き者っぷりはおかん似
3/3
葬式や告別式はしない親族のみの火葬
火葬のみだが棺桶の中は寂しくないようお花モリモリにしたい
花柄の布敷いたり入れる花の量もケチらんよ
おかん花好きだもん
お経もあげて欲しいのでお坊様呼んで法名もつけてもらった
浄土真宗は亡くなると全員即仏になって極楽浄土
何ていい宗教なんだ
おかんはツボに入って帰宅
おかえりおかん
火葬から戻り着替えて市役所へ
諸々の手続きを終えると相方が市役所の6Fに行くと言う
なんかスマホで調べてるなぁと思ったらコレ↓
川口市のマスコットきゅぽらん
う〇こじゃなくて鋳物の炉ね
なぜか3つも買う相方
おかんの祭壇に置いて「これでおかん寂しくない」と言った
3/6は抗ガン治療の注射、3/7は右眼の注射
火葬が3/3だったので病院に影響しなかったのもおかんの優しさな気がする
私の判断は間違ってたんじゃないかってずっと考えてる
私が死ぬ判断をしたんだって自責の念ガンガン
ネットで色々調べて色んな意見読んで色々考える
「姉ちゃんの決めた事ならおかんええよ」って都合のいい事言うだろうとか考える
ネットで見つけた文字に救われた
「食べなくて死ぬんじゃない、死ぬから食べないんだ」
どうなるかわからない延命行為で治療を施すより、自然に従った選択をした事になる
今思えば施設の方はもう最後が近いとわかっていたのではないか
だから「病院だと逢えないけどここなら逢えますよ」って言ってくれたのではないか
急だし短期間だったけど覚悟と言いたい事を伝える時間をもらえた
おかんの最後の時間をみんなが見守ってくれた
それってありがたい話
自責するより感謝して生きようと思った
今までもこれからも、私の決めた事ならおかんは文句ない
おかんならそう言う
何が正解かわかんないんだから全部正解だ
ツボのおかんと暮らしてもうすぐ一ヶ月
相方は毎日お線香をあげてくれている
おかんと暮らしてた時のように話している
そこに居る気がするんだよね
おかげで私はそれほど寂しくない方だと思う
弟はたまにダメっぽいけど
産んでくれてありがとう
育ててくれてありがとう
もっと幸せにしてあげられなくてごめんなさい
きつく当たってごめんなさい
ひどい事言ってごめんなさい
大好きだよおかん
おかんの子で良かったよ
ありがとう