JR東日本が大月駅構内にある時計を全て撤去したことで、山梨県大月市の市議会が時計の再設置を求める決議を賛成多数で可決し、同市市長がJR東日本の八王子支社を訪れて要望書を提出しているが、自分が大月市側に問いたいのは、では大月市側は時計の再設置に対し、具体的な提案をJR東日本に行ったのかということである。

 

行政というのは、言いたいことだけはズゲズゲと言うが、具体的な支援策は出さずに、相手側に丸投げしている。もうこういう江戸時代的な古臭い理論と方法は通用しないことをきっちりと認識すべきである。言うだけならサルでも出来る。この理論で述べれば、大月市議会と大月市長はサル程度の知能しか持たない無能者の集団とその親玉ということである(寧ろこの発言はサルに対して失礼だと思っている)。

 

駅構内に時計がなくて住民が困っているのであれば、それを対応するのはJR東日本ではなく、大月市側であるだろう。今回の件にしても、大月市側がJR東日本と協議し、時計を寄贈した上で、維持管理も行政が行うべきであり、なんでもかんでも一方的に相手に要求すべきではない。これも行政の悪い部分である。

 

それに駅構内に時計がなくなって本当に困っている人が、大月駅を頻繁に利用する人の中で果たして何人いるのかという事である。現在、小学生もスマートフォンを持っている時代である。スマホを取り出して時間を確認すればいいだけのことであり、スマホ画面をガン見したり、ゲームをする暇があれば、そのくらいは動作もないことである。寧ろスマホを取り出して時間を確認するのが面倒くさいと思う方が問題である。

 

行政は取るに足らない意見をことさら大きくしたがる悪癖がある。近年は地方路線の廃線の議論が起っているが、行政側が決まって持ち出すのが「免許を持たない学生や高齢者、車を所持していない人の事を考えているのか」「地域経済が衰退する」「観光客誘致が出来ない」であるが、少なくとも廃線された地域で、行政側が持ち出す反対意見が原因になったケースは極めて少ないのである。

 

自分は鉄道の廃線については「なるべくしてなった」「役割を終えた」と考えており、その原因は鉄道会社よりも行政や地域住民に責任があると思っている。

 

まず、鉄道の廃止が議論される地域では「既に鉄道が地域経済の発展に寄与していない」「鉄道が地域住民の足の役目を果たしていない」のである。

 

まず道路網が整備されたことによって、貨物輸送が鉄道から車に取って代わられた。鉄道路線は安全の保持と設備の維持のための保線作業を必要とするし、その保線作業や騒音問題もあって24時間を通しての運行が年々難しくなっている。

 

一方の道路も、設備維持のための定期的な補修作業を必要とするが、鉄道と違うのは、鉄道はレールの上しか走行できないが、車は通行できる道があれば、時間や距離を問わなければいかようにも目的地にたどり着けるということである。また現在はコンビニエンスストアの発達や、生活様式の変化で24時間営業の店舗や昼夜逆転の生活を営む人も珍しくない。そのため小回りが利き、時間と行動の自由が効く車がどうしても重宝されるようになる。

 

輸送量だけで考えれば貨物列車の方に軍配が上がるし、環境問題の点でも貨物列車は近年見直されてはきたものの、基本的には旅客ダイヤの合間を縫っての運行になるため、どうしても時間という点になると車の方が有利になる。またモータリゼーションの発達により、これまでは高嶺の花だった車が一般庶民でも購入出来るようになったのも大きいと思う。

 

これらの事によって、街作りが今までの駅ありきから車ありきに変化したことで、鉄道の地位が相対的に低下してしまった。車があれば多少不便な場所に商業施設や病院・学校を建設しても問題が少なくなったため、建設する側も、今まで見たく駅ありきの考えを持たなくて済むようになった。

 

そうして鉄道利用が低下したため、今までの運行状況では採算が取れず、赤字を垂れ流すだけになったため、鉄道会社も減車や減便を実施しなければならなくなった。そうなると益々鉄道利用者が減少してしまい、最終的に廃止という手段になったのである。

 

北海道増毛町の場合、地元の沿岸バスが通学定期券を値下げしたことで、それまで鉄道を利用していた学生がバス通学に移行。また留萌高校の場所が駅から離れていたことと、列車ダイヤが学生の利用を考慮していなかったこともあり、学校近くまで運行するバスが需要を独占した。

 

またかつては駅近くにあった市立病院が留萌高校の近くに移転したこともあり、高齢者も鉄道を利用しての通院が現実的でなくなり、学生と高齢者という主な利用者が鉄道を利用しなくなった。

 

また廃線の数年前より、留萌本線は豪雪のため、冬季の1~2ヶ月間は運休する措置を取ることが当たり前になっていた。こんなことをされてしまうと、とても日常の足として鉄道を利用する事は出来なくなる。よって住民にとって、鉄道があろうがなかろうが自分達の生活に悪影響を与える事がほぼなくなり、鉄道はないものと考えるようになったのである。

 

この点に関しては、こういう結果を招いたJR北海道にも責任はあるが、しかし、それ以上に行政が鉄道ありきの街作りを行わず、行政・住民が鉄道を軽視した結果であることを忘れてはいけない。

 

自分達が鉄道を軽視し、利用しなくなった結果、廃線を迎えることになった時に今更公共交通機関の役割を果たせというのは虫がよすぎる話である。寧ろ「今まで地域や住民のために尽くしてくれてありがとうございました」と言って労をねぎらうのが筋ではないだろうか。

 

今回の大月駅の時計の件についても、撤去することを非難するより「今まで設置してくれてありがとうございます。これからは行政が代わって時計を設置し、維持管理をします」というべきである。

 

長くなりそうなので、数回に分ける予定である。宜しければお付き合い下さい。