「…(終戦時において)陛下に対する
占領軍としての料理の仕方は、四つありました。
一つは東京裁判に引き出し、
これを絞首刑にする。
一つは共産党をおだてあげ、
人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。
三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。
そうでなければ、
二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。

また第四番目は、闇から闇へ、
一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。
いずれにしても、
陛下は殺される運命にあったのです。
天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、
いつでもつかまえられる。
かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に
守られたかもしれないが、
今や全くの護衛を持たずして、
二重橋の向こうにいる。…

陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
貞明(皇太后)様は、(侍従に、)
陛下から目を離さんように命じました。
じつに一番悩まれたのは、
陛下でありましたでしょう。
九月二七日、
陛下がただ一人の通訳を連れて、
マッカーサーの前に立たれたことは、
皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。


マッカーサーは、
二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、
陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、
傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、
ソファーから立とうともしなかった。

陛下は直立不動のままで、
国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。


『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』
――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

――しかし陛下は続けました。

『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』
天皇は、
やれ軍閥が悪い、
やれ財界が悪いと言う中で、
一切の責任はこの私にあります、

絞首刑はもちろんのこと、
いかなる極刑に処せられても…
と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、
われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。