悲しいニュース | wu-rinのブログ

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数日前に見たニュースで、すごく気になったニュースがあり、そのニュースに関する詳しい内容が、今日また新たに記事にあがっていたので寝る前に見たら悲しくて眠れなくなってしまったぐすん


以前観た『くちづけ』という、障害のある娘と父親の実話を描いた映画を思い出した。かなりショックな結末だったのを覚えている。

このニュースも同じく、障害がある子供を育てる同じ親として、とにかく悲しいぐすん
映画とはまた違う事情があったのかもしれないけど、この記事のコメント欄に書かれている内容を読むとまた悲しくなる。
こんなことは絶対にあってはいけない。
何がそこまで、このお父さんを追い詰めたのか?他人を頼りにできないとか、責任感があればあるほど辛くなるものなのかもしれない。

私も子供の将来を不憫に思って不安になったりする事はよくある。だから、すごく我が家のことと重ねて見てしまった。
我が子のことを一番解っているのは親である私たち夫婦で、自分たちの両親や兄弟姉妹はあてにできない。誕生日やクリスマスなどのイベント事を一緒に過ごす仲間としてはいてくれて凄く助かるし有難い。息子もみんなのことが大好きだから、イベントでみんなが家に来てくれる事がわかると、楽しみすぎて数日前から毎日早起きをするようになる。誰が来るのか?いつ来るのか?何時頃くるのか?何度も何度も毎日私に確認してくる。息子は本当におもてなしが大好き。息子に楽しみがある事は、親の私も嬉しいことで、だからこそ、その楽しい時間を精一杯盛り上げたいと私も張り切る。
ただ、毎度残念に思うことがある。息子に関係のない話で盛り上がってしまうと、こんなに待ち侘びていた時間なのに、息子は会話に入ってこられず寂しそうな表情をしている事がよくある。それに息子が伝えたいことが中々相手に伝わらないこともよくある。私は大概のことは解る。私が一番同じ時間を過ごしてるから当たり前に解るのだろう。ただ、他の人たちはそうもいかない。そうすると、相手にされなくなる。それも理解できる。当然だと思う。相手にいちいち息子の話に耳を傾けるようになんて強要はしたくない。だから、親としてできることは、側で一緒に聞いていて、話が伝わりやすく話せるように誘導してあげたり、代弁してあげたりだと思っている。一般社会に出たら尚そうだと思う。ここでは、たかが障害のある息子と私の家族との関わりの話だけなのだけど、結局これが障害のある人とない人との社会の隔たりなのだと思う。上手くコミュニケーションがとれないと相手にされなくなる。後回しにされる。
そういうのを身近で感じると、もし自分たちがいなくなったら、この子はどうなっちゃうんだろう?この子の事を誰が親身になって理解してくれるのだろう?私たちの代わりなんて…と不安に襲われる。最近のニュースを見ていると、誰かが失敗したり間違ったり世間とズレた事をすると物凄く批判される。それが例えお年寄りであっても手加減がない。日頃生活していて、お年寄りや体の不自由な方に席を譲る勇気はないのに、ネット上で他人を批判する勇気はある。そんな人がこの世の中に多くいるような気がする。それって凄く悲しすぎる。障害のある息子の話から随分話がズレたようにも感じるけど、これって結局同じ道に行き着く話だと思う。もっと一人一人が気持ちに余裕を持てれば、自然と優しい気持ちがわくようになり、
許す勇気譲る勇気手を差し伸べる勇気を持てるようになるのではないかな?
少しずつでもそんな社会になっていってくれないと、障害のある子をもつ親としては、楽しい未来を思い浮かべられない。