A君という友達がいた。これは単にこの場の大多数の仮名としてA君なのではなく、彼の名前をもじってA君としている。彼は俺の人生においてこれからも何度も登場する重要な人物で、「こいつを仮にAとする」といった使い勝手のいい仮名では決してない。
   A君。彼は俺の幼馴染。同じ町の二丁目に住んでいた。
   幼稚園のころの俺は、家にいるときは外に出ることが許されなかった。おじいちゃんが許さなかった。でもおじいちゃんはおじいちゃんでよく俺を一人家に残して夕方まで帰ってこなかったりして、ほとんどは薄暗い家で一人で遊んでいた。おじいちゃんはでも、昼間帰ってくるとブルーベリーのガムを買ってきてくれて、あんまりそれが美味しくてもう一個ちょうだいって言ったら優しい顔をして「ほんとは兄ちゃんの分だから、黙っとけよ」と言ってくれた。俺は、ときどき眠れない夜はおじいちゃんのベッドにもぐって二人で寝たりした。
   幼稚園児の俺の世界は、家と幼稚園しかなかった。過保護に育てられたのか、監禁させられていたのか。俺は家にいるときはいつもバケツいっぱいのブロックをひっくり返して新しい恐竜を作ったり、水で重くしたティッシュを丸めてボールにして、それを天井の側面に当てて一人でキャッチボールをしていた。もう少し小学生とかになれば寂しいとも思うかもしれないが、俺にとってはその世界が当たり前で、楽しいとか退屈だとか悲しいとか、そんな感情は一つもなく、ただふつうにそんなノリで暮らしていた。
   そんなころに同じ幼稚園のA君はよく俺の家に来てくれた。俺は別に普段が寂しいとも思ってもいないから、A君が来てくれることをそんなに特別におもってなかったかもしれない。だけどよくA君には、外を一人で歩いて迷わない?怖くない?どんななの?と聞いていた。聞かれるたびにAくんは、外も一人で歩けないの?みたいな感じで呆れていた。
    俺はなぜか部屋の明かりをつけることをしなかった(手が届かなかったのか?)。それを別にA君も咎めることもなく、薄暗いなかで二人でブロックをつなげて変な生き物を作ったりしていた。夕方5時頃に親が帰ってきたら、今日はこんなのを作った!と見せたりした。そうして俺の家の玄関を出て帰っていくA君を見ながら、いつか俺もA君みたいに外に出て歩いてみたいな、と思った。
   幼稚園では俺は昼寝の時間とトンネルが好きだった。トンネルのなかは落葉だらけで、ふかふかしてて、ちょっと怖くて、このまま世界が真っ暗でおわるんじゃないかと思った。でも潜り終わった後はいつも、みんな鬼ごっこしてて、女の子はままごとしてたりで同じ世界だ、と思って安心するのだった。
   ひねくれものは生まれたときからなのか?幼稚園で折り紙が配られたとき、男連中はこぞって青、金、銀、を山賊のようにハイエナのように掴み取った。俺はそれがバカらしくて、女の子と同じ赤色の紙で鶴を折った。
   俺は幼稚園でいじめられた。といってもりゅうま君だけにだけど。いつも友達を呼ぶときにねえ、ねえ、というから、ねえねえくん、とあだ名されてからかわれた。
   そのいちばん怖いりゅうまくんと何故か俺のカバンが一緒で、間違えてりゅうまくんのカバンを持って帰ってしまった日など、夜も眠れなかった。後日お互い持ち帰ったおんなじ色のカバンを交換して、なぜか俺とりゅうまくんは仲良くなった。

   あれはたぶん、俺が一人で歩いて帰った昼だから、小学一年生の土曜日だったと思う。小学校は幼稚園に面していて、久しぶりに幼稚園で遊ぶかみたいなノリになって、俺たちは四人くらいで幼稚園と小学校を挟む塀の上で遊んでいた。
   どういう流れなのかわからない。俺が幼稚園の敷地内、あとの三人が塀の上に立っていた。ある一人が俺に向かってションベンをかけだした。よければいいものを唖然としてそのままうけとめるばかり。あとの一人もつられて俺にションベンをかける。別に笑っている風でもない。塀の上にいた最後のA君。彼だけは俺の友達だから、と思っていた。しかし、彼は俺の顔と隣のクラスメイトの顔を何度か交互に見返して、俺にションベンをかけたのだった。
   みんなが帰っていったあと、俺は体と骨がちぎれるような気がしながら呆然と歩いて帰った。三人分のションベンをかけられて、俺の白いTシャツは重たかった。
   家の前に差し掛かると、快晴の空のもとにびしょぬれの俺をみた母親が、どうしたの?!と言った。さっきまで呆然としていた俺も、説明のつかない悲しみや、一人ぼっちじゃない安心やでボロボロと崩れて、ションベンかけられた!っといって泣いたのだった。
   はじめての裏切り。子供によくある、無邪気な残酷さ。外に出たことのなかった俺には耐性がたりなかった出来事だった。
   子供は子供だから、そのあとはいつのまに忘れたのかケロッとみんなと遊ぶ。
   ただ、大人になるほど、ここから始まったような気がするのだ。