【愛着】本に字が書き込めない理由を考えてみた |  やさしい世界のつくりかた

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ほぼ毎日一記事書いている

 

 

 

 

 

 

目次

 

1.はじめに:本には字を書かない

 

2.本に字が書き込めない理由を考えてみた

 

 ①売るかもしれない

 

 ②自分が手にしたとき字が書いてあったら

 

 ③モノに対する愛着

 

3.まとめ:手放してもなくならない

 

 

 

1.はじめに:本には字を書かない

 

 

以前は本を読んでいたが

最近はあまり読んでいない

 

 

本棚を整理してすっきりしたら

また本を読みたいモードに入りつつある

 

さて本を読むときに

字を書き込む人がいる

 

 

昔は参考書などに

蛍光ペンなどでマークしたこともあった

チェックペンが流行った頃)

 

 

基本

本には何も書き込まない派だ

 

しかし

実はガンガン字を書いている人に

密かに憧れている(笑)

 

 

 

2.本に字が書き込めない理由を考えてみた


 

 

①売るかもしれない


本になぜ自分の字が書き込めないのだろうと

ふと考えてみた

 

 

理由として

「いつか売るかもしれないから」

ということがあげられる

 

 

「字が書いてあったら

下取り価格が下がるんじゃないか」

と思っている

 

 

正直

価格が下がってもったいないとは

そんなに思わないが

「自分の汚い字が書いてあったら

本としての価値が下がってしまう」

とは思う

 

 

 

②自分が手にしたとき字が書いてあったら

 

 

もし自分が手にしたときに

字が書いてあったらどう思うだろうか

 

 

例えば

知っている人や尊敬する人が書き込んだ本であれば

逆にうれしいだろう

 

 

ここに共感したんだとか

こういうことを思ったんだとか

あれこれ推測しながら読むのはきっと楽しいだろう

 

 

しかし

知らない人の書き込みは

邪魔に感じてしまうこともあるかもしれない

 

 

著者と自分の間に入ってくるような感じかもしれない

 

 

これは実際に経験したことが

あまりないので憶測だが

 

 

 

③モノに対する愛着

 

ボクはモノに対する愛着が

比較的強い人間であると思う

 

 

まずは

捨てられない傾向がある

 

 

一度買ったら

使えなくなるまで使いたい

 

 

実際は使っていないモノが

そこらへんに散乱していたりする現実もあるのだが

その辺は置いといて(笑)

気持ちはそうである

 

 

どうやら

自分が使ったモノへの愛着は「念」のような物になって

その物に宿っていると考えているようだ

 

 

だから他人が使ったモノにも

それが念が乗っているように感じてしまう

 

 

自分の愛着の乗ったモノは手放しづらいし

知らない人の愛着の乗ったモノは受け入れにくい

 

 

普段はそこまで意識していなかったが

そうらしい

 

 

本の話に戻ると

「書き込んでしまうと

愛着が湧いて手放せなくなる」

というのがボクの場合のようだ

 

 

確かにメモしたノートや

小さいころ書いた絵や

もらった手紙の類など

捨てられない

 

 

どんどん溜まっていく傾向にある

 

 

 

3.まとめ:手放してもなくならない

 

 

書き込んだ時の思い出などが

手放すと消えてしまうのではないかという

怖さなのかもしれない

 

 

実際「思い出」というのは

文字どおり

心の中で思い出すものだ

もちろんそのモノを通して覚えているのだが

そのもの自体が消えても思い出はなくならない

 

 

まずは

自分の書いたノートを捨ててみようか

 

 

そして

本にも書き込みをしてみよう

 

 

 

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