加持祈祷
カジキトウ
病気や災難を払うために
神仏に加護を求める行法
仏様の大慈悲が私達の心に働きかけてくださるのが
「加」
私達がそれを信心の中に受け止めるのが
「持」
「加持」の精神に立って行法を行い
祈ることを加持祈祷という
歴史の流れのなかで
信仰というものが形を変えているので
色々と細かいニュアンス、意味合いは
変わってくると思いますが
ざっくりとこんな感じです
ただ710年頃には
神道と妙見信仰など神様仏様を
共に奉っていたこともあり
今の形態は最近からの話
過去の形態は如何にあったのか
どんな意味合いがあったのか
どんな風に生活に馴染んでいたのか
気になるところです
仏は旧字で佛
絡まる紐を二本の棒で振り払う様を
又はハッキリと見えないものを
横から人が見ている
神の旧字は示申
神様に祭壇と雷(不可知な自然の力)
昔の人は現代の人には理解できないほど
見えない超自然的なものに対して
畏敬の念を抱いていたんでしょうね
私達が何気なく使っている言葉や漢字の中には
その想いがとてつもなくつまっています
日本語を改めて學んでいくと
自分自身はどの様な土台の上に立ち
生きているかを知らされます
自然と共生し、見えない事象に対して
敬意を持っていた日本人は
物事の本質
を意識して生きていたのではないかと想像出来ます
ソーシャルディスタンス
という言葉最近よく聞かれますが
人と人、人と全ての事象との
距離感がわからなくなったから
私たちは分離の選択に
陥ってしまっているのでは無いでしょうか?
その距離感、間がわからなければ
人は人であり、「人間」足り獲ない