ナベちゃんのブログという名のブログ『ナベログ』 -41ページ目
天皇皇后両陛下は8日、大東亜戦争(日本国国民として敢えて『太平洋戦争』とは言わず『大東亜戦争』と言う)において激戦地の一つとなった西大西洋パラオ共和国を訪問、9日同ペリリュー島において日米両戦没者慰霊碑を詣られ、英霊の御霊を安んじ奉られる

陛下のパラオ訪問は20年も前からご希望されておられたが、現地での交通手段の確保が叶わず、戦後70年となる今年漸く実現される事となった

また現地では海上保安庁の巡視船『あきつしま』艦内でご宿泊なされる

ご宿泊用に『あきつしま』を用意するなどは海上保安庁の計らいか
(『あきつしま』は『秋津洲』と書き、日本書紀及び古事記にある日本列島古来の呼び名)

パラオ共和国は台湾、マレーシア、シンガポール等と同様親日国であり今も「日本人と一緒に戦った」ではなく「日本人として戦った」事を誇りとする国民だ

日本は第一次世界大戦後、国際連盟からパラオ共和国の委任統治を求められ、沢山の移民を送り、パラオの産業、教育、文化の発展に大きな功績を残す

しかし敗戦後この地を占領したアメリカは
毎朝村民が集まって、日本海軍岡田中将から『この美しいパラオを一日も早く自分たちの手で治められる様にせよ』と訓示を受けた思い出の場所『南洋神社』を始め日本文化の影響の残る物尽くを破壊し尽くしてしまった

しかしパラオの人々はアメリカ統治下でも日本人が教えてくれた勤勉の精神を忘れず、日本人を心の中で敬い、日本統治時代が最も良かったと、後に南洋神社を再建させた

余談だか、パラオ自ら「日本に併合して欲しい」と申し出たという説もある

ハワイも独立した王国だった時代に、日本の皇室にハワイの王女を嫁がせ様としたが、明治天皇はアメリカとの摩擦をご憂慮なされ実現しなかった

ハワイのカラカウア王は当時、正式に国交のあった日本に自ら訪れ『日本はアジアの盟主となって欧米の侵略からハワイを含む弱い立場の国を守ってくれ』と明治天皇に申し入れた経緯がある

言うまでもなく大東亜戦争当時ハワイ諸島は日本領である

それ程日本は強く、そして平和な国家国民だったのだ

話をパラオに戻そう

パラオは1994年にアメリカから独立した時、日本の国旗である日章旗を基に月章旗を作り国旗とした

日本の日の丸が太陽を表しているのに対し、パラオはほぼ同じデザインの色違い(青地に黄丸)で太平洋に浮かぶ月を象った

ただ、パラオの国旗の月は日本の太陽と違い、中心を外している

これは『全く同じでは日本に失礼』という謙虚さからで、パラオは日本の国旗を元に自国の国旗を作り、しかも日本の心も忘れない

現地民に愛された日本統治と、受け継がれる礼儀正しい民族性が現われている

因みにパラオの教科書は全462ページのうち36ページが日本統治時代に付いての内容で、どの統治国に対しても日本は教育に厳しかったが、それらの教えもありのままの事実が教えられている

当然、アメリカ統治時代には反日教育が行われたが、『そんな事実はない』とあっさり否定され浸透しなかった

今でもなおパラオでは英語と日本語が併記されており、州によっては憲法により現地のアンガウル語、英語、日本語が公用語とされている

大東亜戦争の時、それまで名前すら知られていなかった遠い遠い南の小さな島に日本軍が進駐して来た

村の若者達と日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという

やがて戦況は日本に不利となった

村の若者達は仲間と話し合い、日本の守備隊長中川洲男陸軍大佐に『自分達も一緒に戦わせて欲しい』と願い出た

それを聞いた中川隊長は「我々帝国軍人が、貴様ら民間人と戦えるか!」 と一喝した

『日本人は仲間だと思ったに…』

悔しさと失意のなか若者達は脱出用の船に乗り込んだ

船が島を離れた瞬間、日本兵が浜に走り出て、そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送ったそうだ

その先頭には笑顔で手を振る中川大佐の姿があったという

その時島の若者達は悟るのである

中川大佐の一言は我々を脱出させる為のものであったのかと

パラオの統治者である日本軍としては、パラオの小さな島・ペリリュー島の民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込む事は出来ない

そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に住民全員のパラオ本島避難を決行したのである

兵力差100倍とも言われたアメリカ軍を相手に陸軍第2連隊と第15連隊はパラオを死守する為、帝国軍人の名に恥じない勇猛果敢な戦闘を繰り広げた

日本軍は補給を一切うけられない中アメリカ軍に上陸作戦史上最高の損害を与え、73日間も抵抗し続け玉砕した

日本軍、アメリカ軍双方併せて12000名余りもの戦死者を出したにも関わらず大激戦地ペリリュー島の民間人死傷者はゼロだった

日本兵の生存者は僅か34名であった

戦闘後、島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を泣きながら埋葬し、後にペリリュー神社は青年神職南洋群島慰霊巡拝団や島民の手により再建された

戦時中敵だったアメリカ太平洋艦隊司令官 チェスター・W・ミニッツの
 
『この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ
あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を』

という言葉は有名である
 


因みに、この神社は天照大神と戦死者一万余名の『護国の英霊』を御祭神とする神社である

そして当時を知るパラオの長老達はいまなお日本をこう呼ぶ

『内地』

と

この様にして日本とパラオの関係は一貫して良好である
ただ一つだけ両国間にとって残念な出来事があった

1995年、時の政権は社会党(現社民党)村山内閣である

10月1日、パラオでは独立1周年を 祝う式典が行われた

各国元首から祝電が届き、アジア諸国の来賓が式典場のアサヒグランドを埋めつくした

独立達成の時、日本の国旗に因んでパラオは大海原に浮かぶ月、紺碧の海に黄色の月を国旗にする事を決めた

しかし、この日各国の代表が振る色とりどりの国旗の中に日の丸の旗は無かった

 そして全パラオ人が待ち望んだ日本政府からの祝電は聞かれなかった

大変、ナカムラ大統領は悲しんだ

式典に出席した日本人からペリリュー島の戦闘で戦死した日本兵1万2千名の英霊を代表して日本政府の無礼を大統領に深く陳謝したという

大統領は悲しみのなか

『日本の心はマッカーサーに破壊されたままなのか』

と語ったそうだ
 
パラオの独立一周年の式典に祝電すら打たなかったのは社会党(当時)の村山富市

中国に媚を売り、中国寄りのデタラメな歴史を勝手に肯定して、日本人としての誇りと金をドブに捨てた売国奴の代表格村山首相という××野郎である

(××は余りにもお下品な表現なので、何を当てはめるかは読者の皆様にお任せする)

××村山以降も、社民党の辻元清美という※※女(帰化朝鮮人、夫婦で赤軍派)などが 日本とパラオを離反すべく画策したが、パラオのタミイ・レメンゲサウ大統領は、単に日本の常任理事国入りを支持 するだけでなく、国連改革案の共同提案国にまでなってくれた上に、『最後まで日本を支持したい』と表明してくれた

さらに靖国参拝にも

『すべての人のために祈るのは正しいこと』と支持を表明した

また、同じく日本が統治したソロモン諸島の ケマケザ首相は

『日本とソロモン諸島の共通の文化は先祖に感謝すること

英霊が祭られている場所を拝見したい』
 
と述べられ靖国神社を参拝している

この様な話は当事国である日本人にも余り知られていないのではないか

日本人は余りにも自国の事を知らなさ過ぎる

それはとても悲しく罪な事だ

日本人として、もう少し陛下の臣民たる誇りと歴史を正しく認識しなければなるまい

『いかに正しい歴史教育が大切か』を示しているとも言える