影の出来る日の当たるところ。

影の出来る日の当たるところ。

物語や音楽が大好き。物事の二面性を重要にしつつ真面目に考えたり馬鹿になってみたりします。

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子供のころ、小高いところに位置する住宅街に住んでいた。

家の前の道路は坂道になっていて、小さくガスタンクが見えた。

家々が折り重なる遠くに、うす青緑色した球状の建造物がいくつか密集している。

「ガスタンクだよ」と親から言われて知ったその丸いものは、坂を下って大通りに出ても、遠くに見えるだけだった。

近くに寄れば、巨大な建造物なのだろう。

今でも「ガスを貯蔵しているもの」というくらいしか知らない。

ただ、家の前に立つと、うす青緑色した丸いものが町の向こうに、いつも、必ず見えた。

 

十数年住んだその町から引っ越して、さらに今は別の土地に引っ越して住んでいる。

引っ越した先の町には、丸い巨大な建造物は見えなかった。

ガスタンクは意外とどこにでもあるわけではなかった。

 

仕事でやや遠いところへ行くときのこと。

その電車の窓から、知らない街並みの向こうに、うす緑色した球状の建造物がいくつか見えた。

あ、ガスタンクだ。と、思う。

しばしの間、目に入る町に、子供のころに眺めたふつうの景色が重なる。

妙に、懐かしくなる。特別な思いもなかったのに、あの人工物が、郷愁を呼び起こすようになるとは。

 

家々が折り重なった向こうに、ガスタンクが見える景色が記憶に染みついている。

2001年、ニューヨークの貿易センタービルに2機の飛行機が突っ込んだ。

甚大な被害を出したテロ事件後、中東のテロ組織とアメリカの対立は明確になり、戦争のニュースが日夜報道され、陰鬱な雰囲気は、同盟国の日本にも流れ込んだ。

それが2000年代初めのころの世間の雰囲気だった。

 

イラク日本人青年殺害事件は、2004年、中東を旅していた日本人の若者がテロ組織アルカイダに拉致され、人質になった末に殺害された事件だ。

縛った人質を取り囲んでいる武装集団の映像が、インターネットで世界中に公開された。

若者は本名も明らかで、ニュースで繰り返し取り上げられた。

武装集団の要求は、期限までのイラクからの自衛隊撤退だ。

日本政府はテロに屈しないとして自衛隊撤退を拒否。

人質解放のため外交をしているうちに、期限は過ぎた。

武装集団は、日本人の若者を殺害した。

生きたまま首を切断する映像が、インターネットに流された。

世界中にその映像は公開されることになった。

 

 

そのとき、中学生の私は音楽室にいた。歌だか笛だかの試験中だった。

音楽準備室に生徒が一人ずつ呼ばれ、あとのクラスメイトたちは音楽室に待機している。

クラスメイトたちはざわめいていた。

校則違反のはずの携帯電話を誰かが持っていて、その周りに紺色の制服の人だかりができていた。

 

 本当に切ってる

 ああ、って言ってる

 やばい

 うわ・・・

 

人だかりの中の誰かが言った言葉だ。

携帯電話を取り囲んでいる同級生に、私は戸惑い、驚いていた。

インターネット公開されている「日本人青年が殺されているところ」を、彼らは集まって観ていた。

 

切り裂きジャックの話や猟奇的な事件の逸話は、好きだ。

スプラッタ映画は進んで観たいタイプではない。だけど、まったく駄目でもない。

 

ただし、残虐な方法で、本当に、人が殺されているところ。

それは観たくない。

大昔の事件は現代に伝わる「話」で、映画は当然、フィクションである。

今、そこに存在していた人が殺されるところは、本物である。

怖いじゃないか。

 

そんなことを思いながら、同級生の人だかりを、私は眺めていた。

 

 

と、いう昔の怖い出来事を、ふと思い出した。

 

優等生でも、特別いい子ちゃんではなかったので、「やめなさいよ」とも言わなかった。

何故やめろというのか、と聞かれたら、答えられない気がする。

ただ、「その人、本当に殺されているところなのに」という思いだけが残っている。

 

あの頃、人質となった青年はさんざんメディアに取り上げられ、心無い批判を受け、ご家族はずいぶん苦労し、傷つかれたと思う。

このような「思い出し」を、インターネットで公開することもよくないかもしれないが、私の怖い思い出しの吐き出しどころもないので、ここに書いておく。

 

あのときの紺色の制服に、今、「あのとき、何であの映像観たの?」と尋ねても、「え、そんなことしたっけ」と答える気がして、やっぱり怖い。

好きなタロットカードの話を随分前にブログにした。2017年のことらしい。

https://ameblo.jp/writing-natsuheavy/entry-12292410365.html

 

タロットカードはミステリアスな占い道具、というイメージが強かろう。
実際、蛇さんも使ってみるまではそんな印象だった。
しかし身内からカードをもらったきっかけで、案外実用的だと思っている。
 
蛇さんはタロットカードを自己との対話の補助に用いるものだと思っている。
専門的な複雑な占いはよく分からない。
ゆえに、カードを混ぜて一枚引くだけの簡単な占いだけする。
心の中の質問に対し、カードを意味を考える。
質問が人間関係のことだろうと、進路のことだろうと、結局は自分の感情とか悩みだし。
その質問と関連付けてカードの意味を考えて結論を出すのは自分だし。
要するに、自分の問いに対しカードを介して自分で答えを出しているわけだ。
カードは自分で答えを見つけるきっかけになってくれる。
 
蛇さんはくよくよ考えても仕方のないことを考えてしまうたちで、よろしくないループによく嵌まる。
他人に相談するにも相性のいい相手でなければ「あんたに何がわかるんだい」と余計に惨めな気分になって落ち込む。
そんなわけで意味ありげだが饒舌ではない、いいカードも悪いカードもあるタロットカードはちょうどいい相手で、あれこれ思い付いて反省を促してもくれる。
例えば「悪魔」の逆位置など、あー確かに余計な執着あるかも、捨てたほうがいいかも、と、そういう自分を見つける。
だいたいくよくよ悩んでいることの答えは自分が持っていることのほうが多い。
カードの意味が分からないときは、分らん、それでよし。
 
お作法も何もなく、手前勝手にカードを引いているだけだから、トランプや花札を引くのと何が違うんだと感じだけれど、タロットカードが意味する愛も慾望も、高潔さも探究心も、希望の光も危機や絶望も、人間の持つ要素だ。
私も人間である。
カードはアレコレ考える材料を与えるだけで、答えはいつも自分で見つける。
いわば自己対話の補助として、機能してもらっている。
ひとに頼るのが下手くそで、負のスパイラルに嵌りやすい単細胞人間の蛇さんとしては、よい実用アイテムだ。
 

明治・大正期の書簡の影印を見ていると、人の営みを感じる。

勿論、書簡の書き手と送り手のやりとりという営みもあるが、それに加えて、気になってくるのは封筒の消印など。

封筒の切手の上などに、「東京」の消印が押され、別の位置に斜めになって「豊前」の消印が押されていると、東京の郵便局員が消印を押して送り出した書簡が、確かに九州へ届いていることを感じさせる。

住所を調べて回った記録が封筒に貼りついており、郵便局員の個人名による判が押してあることもある。

書き手と送り手の往信に、何人もの仕事の連なりを感じるのである。

 

現代だってそれは変わらないことだ。書簡はもとより、電気をつけるとか蛇口を捻ると水が出るとか日常は遠くだったり関りなかったりする色んな人の仕事の積み重ねによって支えられている。

古い書簡のそれに興味を掻き立てられるのは、それを見ている自分が、その出来事の80年とか100年とか後の人物だからである。

 

郵便局員は仕事をしていただけであり、その一通の書簡は日々の仕事のひとつに過ぎなかっただろう。

まさか、その人は、80年とか100年のちの人間が、自分の仕事の痕跡を眺めて、かすれた判の年月日を一生懸命記録しているだなんて、思いもしないだろう。

 

私は遠くにいる人々の仕事をも眺めるのである。

朝にココアを飲む習慣ができました。

 

 

牛乳を電子レンジで温めて、森永のミルクココアを小さじに大盛一杯入れて溶かします。

朝、起きたら、それを作って、ゆっくり飲むのです。

一気にがぶがぶ飲むものでないので、必然的にゆったりと過ごすことになります。

牛乳一杯は、お腹が落ち着くし、ココアのホッとする感じと、満足感があります。

少し気に入った習慣です。

 

朝、最初に何をするかを決めておくことが、今日やろうと思っていることの、活動に繋がることに気が付きました。

 

朝に飲むものは大事な習慣だと思います。