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3] Practice 段階 に於ける異なる language skills (2) - continued

Grammarについて:

文法に関しては、ここが G-T の根幹の部分である為、文法項目の詳細に亘るコメントの必要は無いかと思います。しかし、一つだけ疑問を呈して置きたいことがあります。それは、毎年、英語が出来ない学生が多いという内容の会話の中で頻繁に耳にした「大学に来ても 5文型すら分かってない」という言葉です。この言葉は ‘5文型が入口でこれが分からなければ(文法の)話は理解できない’ という含みを持った、複数の、しかも多数の英語教師の実感から出て来た言葉と云えます。

 

このことについて大学教員のエゴという評価をすることは簡単です。しかし、筆者には事はもっと深刻であるように思えます。既に他の所で書いたように、現在の大学の到達目標は、譬え syllabus には明解に書かれておらず、暗黙の了解の場合が多々あるにしても presentation/ discussion skills とそれに伴う原稿やメモを書く為の writing skills にあります。当然、大学の要求を満たす、知識・技術を1年で身に付けた学生は沢山いますし、受講者のほぼ全員がそのレベルに達する大学もあると思います。しかし、問題はそのレベルに達しない学生も多数居り、時には100名を超える単位未修得者が出る現実も又あります。多くの大学教員が、大学の教育目標とそれに遠く及ばない自分の担当する学生の到達レベルの落差の大きさの間に板挟みになっているが故の悲鳴とも云えるでしょう。

 

高校までの英語教育では、電子辞書で検索が簡単なこの時代に、学習者全員が自分の考え (決して専門的にして特殊な考え方ではない) を 15~20 行程度の簡単な英語でまとめ、表現できる域に平均値として達していない事実は厳然として存在します。どんな教授法をベースにした授業を行っているにしても、これは認めなければならないようです。“基本が十分教えられ、その知識・技術を基に、自分で何とかする技術も教えられていないから” ということは指摘される必要があるようにも思えます。誤解のないように確認して置くと、筆者は中学・高校の英語教育が大学に於ける教育の円滑化の為に存在するなどと思ってはいません。それよりも、大学段階で露わになる大量の学習者の弱点が、日本の英語教育の持つ弱点の一端を明快に物語っていると考えているということになります。私見では、恐らく、日本の英語教育は出発点から以下のような根本的な問題を内包しながら過去70年程取り組まれています。そして、その矛盾を克服出来ない儘、今日に至っているが故に、現在設定されている目標の実現に向けての、明快にして具体的な方向性を見いだせないでいるように思えます:

 

   ①  「文法訳読式の指導法は乗り越えられなければならない (1)」で触れているように、

            戦前には英語は旧制中学以上で教えられていた。そして、戦後の新制中学以降国民全員

            が学ぶ目的を正当化するために ‘教養主義’ を持ち出し、スキルと同列に置いた経緯が

            ある。現実的な伝達の必要を持たない状況下で教養主義を持ち出してスキルと同列に置

            けば、学習者は本質的に大きな motivation 問題を抱え込むことになる。

               教養主義は、純粋に学問・勉強などと呼ばれる分野の事柄を学ぶことへの興味の有無

            に直結する intrinsic motivation (内的動機) の開発無しには成立しない。そして、こ

            れが最も開発が難しい motivation 領域とされている。

               一方、四技能と呼ばれるスキルの分野は、言語教育に関しては、instrumental 

            motivation (道具的動機付け) と integrative motivation (統合的動機付け) と呼ばれ

            る二種類の extrinsic motivation (外的動機) に依拠して、教育が行なわれる。

               予測可能と思うが、中学・高校を問わず、相当多数の学習者は当初英語に関する 

            intrinsic motivation をお持ち合わせてはないであろう。あるのは、試験の合格・単位

            修得などの要求に根差す instrumental motivation である。そして、英米豪加のよう

            な英語国の人々・文化等に対する同化要求に根差す integrative motivation は一握り

            の学習者に見られる ‘憧れ’ という形の、第二言語習得を目指す学習者から見れば脆弱

            な要求に根差す性質のものとなる。

               このように、学校に於ける集団としての学習者自身の内に外国語学習への 

            motivation が有るか否かは明確ではなく、スタート時点で教える側にはっきりと見て

            取れるのは、上記の現実的要求 instrumental motivation のみということになる。

               このことは、入学早々の早期に主流となるべき学習者の大多数の内に intrinsic 

            motivation の開発に成功しなければ、後は同調圧力の強い日本では peer group 

            pressure に押されて、集団としての動機付けは、instrumental motivation に固定す

            ることになる (勿論、隠れ integrative の学習者は存在するが、個別バラバラの個人又

            は小グループに過ぎず、影響力は無いに等しい) 。 高校受験と大学受験に依拠して英語

            教育が行なわれてきた背景には、譬え教育関係者は無意識であったとしても、こうした

            事情もあったのではないかと思える。

 

   ②   ①のような条件下で、歴史的にも大多数の学校で採用されてきた G-T スタイルの授

           業と、それを容認する方向で作られてきた検定教科書という名の mandatory syllabus 

           が存在する訳だから、教師・学習者共に現在のような指導の状況を容認する下地を共有

           していると云える。問題は、G-T が難しいものに挑戦するという指導上の方向性を内蔵

           していること(従って、帰納的理解よりは、演繹的指導に振れ易い;この方向は四技能

    が軽視されている時は主流の立場を堅持できる)及び四技能という本来の外国語教育の

    目標も堅持しており、その必要性がコミュケーション能力の開発という新しい衣を着せ

    られて、大きくなっていることにあると云える。日本の英語教育は、‘使える英語?’ と

            いう社会的なプレッシャーが高まれば、高まる程、不満を抱えながら、内部的にはシス

            テム、教師、学習者共に教養主義の幻想の下で一定の安定を得ていた基盤が揺さぶられ

            る宿命にあると云える。

 

このように考え、改善の糸口となるようなことは無いかということになると、筆者には G-T と communicative teaching weak version の考え方を同等に扱い、上手く組み合わせた授業方法を開発し、実行することが改革への入口に成り得るのではないかと思えます。その理由は、以下のようなことに有ります:

 

   ❶ G-T の訳読という方法の中心は、通常「単語と文法用語・ルールを教え、訳す」とい

    う作業に置かれ、物語のような、纏まった考えを伝える為の言葉 (transactional な言

    語) を教える。この部分が、日常会話のような言語(基本的には大半が chunk に依拠

    した interactional language)を教え、帰納的な文法ルールの構築を目指す com‐ 

    municative の方法論と対立する;

 

   ❷ ところが、G-T には ❶ の方法の中で文法用語を教えるが、本来のラテン語を教える

    方法に根差した弱点があるのではないか;又、communicativeでは、日本人教師の 

            PPP をそれ程沢山見ていないので確定的なことは云えないが、P1 の教材提示の段階で

            の meaning check があまく、P2 段階の練習量が少ないということから、本来の  ‘ル

            ールの予測>帰納的理解’ のプロセスを学習者が辿れないという弱点があるのではない

            か (P2 段階の練習量が少なくP3 のレベルの低い授業は、英国でも学費の安い、ビザ

    延長用の在学証明をもらう為の学校と目されるところではよく見られる傾向があった

    た)。

 

上記 ❷ の communicative teaching の弱点の克服には、1980年代に ALT の導入とカップリングで採用したことの失敗の総括と最初からの学び直しが求められるでしょう。最近は、又々海外の流れに乗って TBL の分野の研究や CLIL のような content-based syllabus 導入の傾向があるようですが、皆同じ流れの中の発展型なので、日本の英語教育に関しては ‘目移り’ としか思えず、にわかには賛成できません。

 

そこで、ここでは上記の G-T の弱点について検討し、一定の解決の方向について考えてみたいと思います。

 

G-T の根幹 「訳読」の仕方が、英語学習継続の為の武器として教えられているか

G-Tの根幹が「訳読」にあることは当然のことですが、一体どのような形で教えられているでしょうか。この用語は、「文法訳読式の指導方法はのりこえられなければならない (3) その1」で触れたように、日本ではその萌芽と云えるものが18世紀に「文法=訳読法」として現れます。それ以後は、様々な議論を経て「文法・訳読式教授法」の定義に於ける  ‛construing/parsing + translation) ’ と呼ばれる形ではっきりとしたものとなります。しかし、この G-T の根幹となる概念は、学習者が英語学習を続けて行く上での武器として身に着ける目的で教えられて来たのか否かは霧の中で判然としません。

 

筆者の古い記憶では、中学1年時に教師は教科書を読み、語彙の説明をし、最初は全文を訳して聞かせ、同時に名詞・代名詞・動詞・形容詞等の品詞を教えていました。生徒は、最初はもの珍しさからか休み時間に ‘I am a boy.’・‘That is a book.’ 等と英語を口に出していましたが、1学期の中間テストまでがせいぜいでした。学期末テストが終り、夏休みが終って、2学期が始まった頃には、そんな声も消えて無くなってしまいました。そして、ある程度自主的な英語の勉強は個人の中に埋没し、クラスで勉強している風景は無くなります。その頃には、G-T スタイル得意の、生徒に和訳を求める方法が教室で確立していたように思えます。2年時の教科書をもらった途端に教科書準拠のレコードの注文を親に頼んだことを筆者は良く覚えています。授業は Audio-Lingual 風だったのに授業中の発音練習が少なかったので、基準になる音声が欲しかったからです。また、5文型については、三年間のどこかで「主語は~ハ、動詞は~スル、目的語は~ヲ」という調子で「テ、二、ヲ、ハ」を使って説明していたのを薄らと覚えている程度です。辞書は引けるようになっていますが、意味を調べるだけで、そこから文法に関わる様々な情報を引き出す技術は教えられて居ませんから、当然開発されていません。この状態で高校に行くのですから、筆者の場合 Grammar and Translation の時間が高1の一年間の地獄であったことは容易に想像できるかと思います。

 

現在、中学の授業内容はある程度 communicative の方向にスライドしていますから、今学習者が抱える問題は、前項の ❷ のcommunicative teaching に近いものを孕んでいるのかも知れません。その場合、G-Tスタイルが主流の高校では、乗り遅れた学習者はかつての筆者よりも悲惨な状態に置かれるのではないかと推察されます。

 

したがって、ここで文法に関して検討すべきは、この入門期~初級に至る段階で如何に将来の学習に役立つ「 訳読」の技術の基礎を与えられるかに絞るべきかと思えます。

 

Construing/parsing が何をすることであるかの理解の徹底に課題はないか

Construing/parsing については「文法訳読式の指導方法は乗り越えられなければならない (3) その2」に言語分析のためのテクニックを身につける練習という観点からの定義を載せてあります。しかし、ここではもう少し詳しくこの問題について考えてみたいと思います。

 

上記二語は、ほぼ同じ意味を持ち、‘与えられた文 (sentence) を幾つかのパーツに分け、分析し、その文の syntax を明らかにする’ 作業のことを指しています。そして、syntax とは ‘語 (word) を句 (phrase) に、句を文に(適切に)配置する為のルール’ と定義されています。このことから、construing/parsing は、一本の線のような形で提示されている文を、それを構成する個々の語/句の意味を手掛かりにに、与えられた文全体としての意味を再構成する為のルールを発見する道具ということになります。

 

それでは、文を構成する語の意味を知る以外に何を知っていれば文全体の意味が分るかについて考えてみることにします。例えば、

 

Mary     {is} sitt{ing}   {in} {an} armchair.

メアリー      座る                  肘掛け椅子

 

 

Jack        play{ed}  {the} guitar   very   well   everywhere  last  year.

ジャック   弾く               ギター   非常に  上手く   何処ででも    前の   年

 

 

{My} wife   {has}  lay + {-n} {the}  table     {in} {the}   usual         way

     妻          用意する               テーブル             いつもの   方法

         

                                                  {in} {the} back garden        this       morning.

                              裏の   庭        今日の    朝

 

の三例では、いわゆる、それ自体がはっきりとした意味を持つ open class 或いは content word と呼ばれる種類の語に意味変化の無い状態の、辞書で調べた日本語訳が付けてあります。また、その content word のような誰にでも解る意味を持たないが、語句間の関係を表すための役割を持つ form word/grammatical word/morpheme は {  } で囲んであり、何の説明もない状態です。最初の二例では初心者でも何の苦労もなく、文の日本語訳を付けることが出来る筈です。三番目の例も難しくはありませんが、lay に辞書の最初にある ‘横たえる’ という意味を置けば、学習者の中には若干の困難を感じる人が出て来る可能性があります。奥さんが一生懸命重いテーブルを動かしている絵が思い浮かぶ学習者も何人かいる筈だからです。この場合、学習者は、前後に置かれている sentences のような co-text や絵・写真のような situational context に属する情報を手掛かりに lay の正しい意味を予測することになります。これは、この段階で既に discourse analysis や pragmatics で扱っている言語外の情報を意識的に使うことを意味します。

 

このことから、勿論抽象的な意味内容の文の理解はもう少し困難が伴うかもしれませんが、1 ‘与えられた文の content word の意味が全てわかれば理解可能’ ということが云えます。上述のように、前後関係等から得られる言語外の情報などを使って、簡単に「テニヲハ」が付いて、日本語で理解が可能だからです。上に述べた「文法=訳読」以前の「訳読」や「翻訳」では、こうした形で理解されていた筈です。

 

言葉の分析の仕方を学んだ人にとっては釈迦に説法のことなのですが、この線的に並んだ文の構成要素間の関係は syntagmatic relationship 或いは chain relation と呼ばれています。そして、夫々の構成要素の意味を頼りに、夫々の文 (sentence) 内で果たす役割を見つけ出すのが contruing/parsing の役割ということになります。そこで、上記の方法以上の深い分析を望む場合、content word の範疇に入る語の中に品詞という文法に関わる下位項目を見つけ出し、他の品詞の語との関係で夫々が果たす役割をハッキリさせる必要があります。Content word に属する品詞は基本的に名詞・動詞・形容詞・副詞であり、名詞は名前や概念を知らせ、動詞は動作や状態の説明をする役割を持ち、形容詞は ‘名詞’ を修飾し、副詞は ‘動詞・形容詞・他の副詞’ を修飾することが教えられると、

 

Mary  {is} sitt{ing}       {in} {an} armchair.

   N    V            N

 

Jack  play{ed}  {the} guitar      very  well   everywhere  last  year.

 N       V                       N          Ad     Ad          Ad            Adj    N

 

{My} wife   {has}  lay + {-n} {the}  table     {in} {the}   usual  way

     N               V                          N                                Adj     N

                                                    {in} {the} back garden        this  morning.

                                Adj      N             Adj       N

 

                                         ※   N=名詞;V =動詞;Ad =副詞;Adj =形容詞

 

となり、何となく塊が見えて来ます。下線部の句 (phrase) は、いわゆる adjunct, modifier 等呼ばれる、文尾の ‘様態’・‘場所’・‘時間’ を表す副詞 (句)で、その前にある動詞の動きについて、更に詳しく説明を付け加えます。その中では、very well の様に副詞が副詞を修飾する関係や last  year、usual  way、back garden、this  morning のように形容詞が名詞を修飾する関係がみられます。

 

上記の事は、2 content word の品詞とその使い方が分れば、その構成要素間の文法関係が相当程度はっきりする’ ということを意味しています。

 

上の例文の adjunct とされる副詞句より前の部分は、いわゆる 5文型の範疇に入る塊で、最初の例は SV、後の二例は SVO 構成になっています。そして、この S, V, O, C は、主部・述部・主語・動詞・目的語・補語などという文法用語と「テニヲハ」によるその意味の説明を加えて終わりとなり、後は教科書の linear type structural syllabus の通りに文法項目を教えて行くという形になることが多いと思えます。中学生段階で検定教科書に出て来るから難しい話はしないのでしょう。

 

筆者は、ここで、この ‘学習者の負担になる文法用語 (= metalanguage) を教え、日本語の「テニヲハ」でその術語の表す意味を補強するという段階で文型の指導が終わってしまう傾向’ があることに、日本で行われている G-T 手法の指導の問題点を感じていることを、最初に押さえて置きたいと思います (勿論もっと踏み込んだ指導をする教師が存在することは知っていますが…)。

 

先ず、思い出して欲しいこととして、「文法訳読式の指導方法は乗り越えられなければならない (3) その1」で、19世紀中葉に G-T が確立する過程で、Ploetz が著わしたフランス語コースの初級テキスト では '動詞の語形変化' を強調し、より上のレベルの書籍で ‘組織的、系統的な文法’ をコースの中心課題としていたことがあります。ラテン語系の言語は、名詞の語尾の形態素の変化によって主格・対格・与格等々の語と語の関係を 表示する為、語順にはそれ程依存しません。そして、動詞にはそれを支配する目的語の ‘格’ を決定する機能がある為、煩雑ではあっても動詞の語尾形態素の変化の仕方を覚えてしまえば、全ての要素 (時制・法等々を含む) は明瞭になるからでしょう。 語順は、一つの文だけを見れば、何となく決まっているという程度です。

 

しかし、英語では SVO の語順を変えると決定的に意味内容が変わってしまうケースが多発することになります。英語の語尾変化が概ね消失し、ラテン語系言語に一般的な方法にこの部分が頼れないからです。勿論、体系化されていないだけで、ラテン語系の言語でも、基本的に SOV の語順になるということはありますが、文法上の役割は低く、自由度の高い語順ということになります。そして、英語に於ける問題の多発が1905年の C.T. Onionsによる Advanced English Syntax の 5文型を典型例とする、従来の G-T の語尾変化による ‘格’ 関係の指定から、語順に依拠する方向性(即ち、S+V+O+C 〔+A [manner + place + time]〕 )が現れ、 各構成要素固有の役割に注目する ‘機能型文型 (安藤貞雄:英語の文型, 2008,  開拓社;5 文型が現れるのは1905年) ’ という概念につながり、システム化されます。例えば、

 

Mary   {is} sitt{ing}       {in} {an} armchair.

   S                      V                     A (place)

 

Jack   play{ed}    {the} guitar   very well   everywhere last  year.

   S            V                        O          A (manner)    A (place)        A (time )

 

 

Mywife    {has}  lay + {-n    {the}  table   {in} {the} usual way

         S                     V                                 O               A (manner)

                                                                {in} {the} back garden   this  morning.

                                                                        A (place)                          A (time)

 

がそれであり、これを説明する文法用語とその記述方法は、

 

S: 「主部」=話題の中心になる部分

P: 「述部」= その話題について何事かを述べる部分

<石川実: 現代英文法‐統語論, 篠崎書林, 1,969より> 

 

のような説明の後の S, V, O , C  は、“述語動詞は統語上自動詞と他動詞に大別され、それぞれはさらに完全自動詞と不完全自動詞に分かれる (石川,  1969, p. 30)”  のような専門用語による解説が始まり、

 

  自動詞: “それだけで完全な叙述の出来るもの”= 完全自動詞

       “それでは完全な叙述が出来ず、補語を必要とするもの”= 不完全自動詞

  他動詞: “その表す動作が谷及び目的語をとる”

       “目的語だけで完全な叙述ができるもの”=  完全他動詞

       “目的語の他に補語をもひつようとするもの”= 不完全他動詞

       “完全他動詞の中には二種類の目的語をとる与覚動詞、目的語として再帰

                     代名詞をとるもの、自動詞を他動詞に用いたものなどが含まれる”

                 “不完全他動詞には、いわゆる知覚動詞・作為動詞・使役動詞などが含まれる”

 

                                      ※  “  ” 内は、石川 (1969) より直接引用したもの

 

各記述の後に夫々の例文が提示されます。ここには、明らかに S, V, O , C がどのような文法的意味を持ち、与えられた文 (sentence) をどのように見て分析すれば良いかを読み手に伝えてくれる情報があります。

 

しかし、この段階で文法用語が多用され、初心者には理解が難しくなるという問題が確実に存在します。提示の仕方の問題点と学習の仕方の明示が無いという問題があり得るからです。例えば、筆者の高校時代は Grammar and Composition のテキストのこうした記述を一回読んだだけで、例文を訳せという授業が行われていました。当然、明確に理解出来ない術語は直ぐに分析に使えないので、その意味内容を質問した経験があります。そして、その時の教師の答えが「高校に入って来たのだから、これくらいの文章は読めないと困る」であり、それ以上の説明が無かったことを良く思えています。筆者のクラスでは以後1年間、terminology の定義問題を授業時間内に持ち出した者は誰もいなかった筈です。このことは、上記の

 

   1 ‘与えられた文の content word の意味が全てわかれば理解可能’; 

 

   2 content word の品詞とその使い方が分れば、その構成要素間の文法関係が相当程度

     はっきりする’

 

ということを受け、

 

         3 ‘文の構成要素、話題の部分 (S) と話題について何か述べること (P) の区別に始まる 

              S, V, O, C, A  の五要素の持つ意味の明確な理解’ 

 

を追加すれば、与えられた文 (sentence) の意味を正確に理解し、以後にその知識を利用する上での出発点に立つことが出来る可能性を示唆すると思えます。例えば、

 

A sudden  earthquake   shook    London   badly       in 1580.

       突然の      地震      揺らす  ロンドン    ひどく    1580年

                          S     V     O             A  (様態)  A(時間)

                            ガ    ~スル    ヲ

 

の様な文も相当な自信を持って正確な日本語の文に和訳可能です。下線の無い ‘A’ は日本語では検討の必要がありませんし、知識不足で ‘shake > shook’ に曖昧さがあっても ‘in 1580’ で解消します。与えられた文を構成する単語 (content word) の間に存在する syntagmatic relationship の状況が明らかになるからです。そして、いくら熱を入れて教えても、学習者がS,V,O,C,A の仕組みを早く使えるようにならない限り、学習者の中で起こることは、3⃣ の追加ではなく、1⃣ 2⃣に「テニオハ」という日本語の語尾を応用して理解するという段階に留まることになります。従って、基本的には、指導上の問題ということになると思えます。

 

ここで、筆者が指摘したいのは、文法訳読法や分析の問題点ではありません。長い文章になると時には見分けが困難になる「テニヲハ」のような方便のみに頼るのではなく、S, V, O, C, A の術語の背後にある概念の理解を通して、より分析的に、そして正確に理解できることの必要性の問題に言及しているということになります。そして、このことを、以後の学習の進行に従って、より複雑になって行く文法規則の学習の為の基礎を成す考え方として教えて来たのかという問題です。加えて、初級段階で全ての学習者にこれを身に着けさせるにはどうすれば良いかについて研究課題があるということの指摘でもあります。

 

解決の方法はあるのか

このように文法訳読スタイルを主張する又は好む教師の授業に関して、日本で明確にされた筈の ‘construing/parsing + translation’ の指導の中身が曖昧にされて来た現実が色濃くある可能性があります。そこで、この問題に方向性を出せる方法は無いのかということになる訳ですが、筆者の取り組みについて考える前に、前提条件として以下のことを確認しておきたいと思います:

 

   ① 前項の ‘ 1⃣ 2⃣ +「テニヲハ」’ による説明で十分理解が出来、以後の文法学習にも何

     も問題の起こらない学習者がいることは確かである;

 

   ② しかし、多くの学習者は複文のような、長く複雑な構造の文になると「テニヲハ」だ

             けではスムーズに考えをまとめられないケースがある現実もある;

 

   ③ 加えて、1⃣ に於ける content word の意味理解、そして、2⃣ に於ける指定された品詞

             とその果たす役割のどちらか、或は、両方の理解の不十分を抱えながら、3⃣ の要素を

             含んだ ‘construing/parsing + translation’ の作業を始めている学習者も多い。

 

このようなことから、筆者の見解では、1⃣~3⃣ のような要素、或いはもっと別の角度からの分析方法の適用を複合的に行うことを通じて、construing/parsing やその結果の適切性に関するチェックが行われ、より正確な翻訳が可能なレベルの理解に達することを、繰り返し学習者に意識させる必要があると考えています。その段階で行うべきことは、筆者の経験上以下のような要素を持っていると思えます:

 

   ➊ 学習者は、文法構造が複雑になる前から、十分な検討を加えた ‘construing/parsing 

            + translation’ の作業を継続的に行い、ある程度反射的に反応出来る必要がある;

 

   ❷ 基本的には、construing/parsing も上記 1⃣~3⃣ のような異なる角度からの分析を組

            み合わせた一種の eclecticism (折衷主義) であることから、より正確な理解に向け

            て、別の角度からの分析のツールを増やす必要があるのではないか。

 

先ず、上記 ② の問題から考えてみたいと思います。筆者の見解では、2⃣ の段階で既に始まっている教師側の説明が、3⃣ で、言葉を説明するために使われる metalanguage に全面的に頼っていることに問題があるのではないかと思えます。要するに、術語の理解度の良し悪しが、知識を持つ者としての教師からの知識の ‘伝授’ という行動と受け手としての個々の学習者の間に異なるコミュニケーションの落差を創り出しているという事です: 即ち、‘吞み込みの良い学習者’ と ‘呑み込みの悪い学習者’ の違いです。

 

このことに対する筆者の考え方は二つであり、

 

   ⑴    目に見えない、形も良く分からないものを理解する方法は、いくつものベルトを掛

    けて見えるようにして、分からない部分を推し量ること;

 

   ⑵    個々人によるバラツキのある理解を一致の方向に導く方法論としては、情報交換と

    議論を通じた異なる内容理解の平滑化を行う。

 

ということにあります。

 

具体的な一例

そこで、こうした方向を目指す一つのサンプルとして、筆者が、高校1年段階で英語を理解することが大変で、授業を聞いても余り良く分からず、遅れをとっている別クラスの生徒数名を預かって行った取組みについて簡単に触れてみたいと思います。

 

やり方は、放課後に ‘語彙学習の強調と練習・品詞 (content word) の理解の確認とその強化・5文型の簡単な解説と work sheet による グループ 学習’ を行った上で、適時復習の為のグループ学習を挟みながら、検定教科書の別刷り文書の文の構成要素ごとに下線を施したものを用いて、S, V, O, C, A の記号を各構成要素の下に書き込ませるという宿題を出すものです。相当量の文に触れる目的から、必要があれば使用教科書以外の検定教科書からの抜粋文を加え、上記の家庭学習を3か月続けることになります。その結果、生徒が言っていることを総合すると、概ね「英語の順番で単語がスッと頭に入って来るようになりました」というものです。

 

次に進む前に断って置く必要のあることは、筆者は5文型の信奉者ではないということです。より精密な記述が必要なら 7文型でも、8文型でも、直ぐに 20数パターンにもなるような Hornby の verb pattern (動詞型) のような構造型の文型分析でも良く、中・上級段階で必要に応じて、手短に扱えば良いという考えになります。言い換えれば、最もパターンの数が少ないもので、基本的な知識の理解とそのハンドリング能力(=運用能力)の開発を通じて、言葉を使いながら充実させていくという点は communicative の考え方に近いことになります。しかし、speaking mode だけに頼り、最も基本的な言葉の仕組みの理解が曖昧なまま fossilization を容認して中級レベルまで進むことはしないということになります。何故なら、1979年に既に Revellによって、‘Communicative Teaching の重要性を強調することは 、structural teaching を最小化することを主張するものではない。学習者はそれに必要な言葉の習得なくして、伝達能力 (communicative competence) を発達させることはない’  (J. Revell: Teaching techniques for communicative English, Macmillan, 1979) との指摘がなされ、EFLの状況下で押さえるべきポイントの一つと考えているからです。

 

そこで、かつて、筆者が授業の際に行った内容を示すと、以下の様なものです。先ず、下記のような表を作ります:

 

ジャック    引く         ピアノ      非常に上手く 何処ででも     /   前の週     

Jack         played        the piano          very well    everywhere    last week.  

名詞      動詞     /名詞     /副詞    / 副詞      / 副詞 (形+名)     

⓷ ハ      ~スル      /  ヲ    /    二    /  モ   /                    

  誰が?      何する?   /誰・何処に?/    どんな場面で (どう? どこ? いつ??       

 行為者   行為    /被行為者    how (様態) /where (場所) /when (時間)    

 行為者   変化       /到達点         /     環境 (circumstance)                

  S (主語)   V (動詞) O (目的語     Adverbial adjunct (副詞的修飾語)     

 S (主部)                               P (述部)                                         

Topic (話題)                            Comment (自分の判断を述べる)                   

 

これは上記の  1⃣~3⃣ の各段階を、学習者に理解して欲しい順に ⓵~⓽ の 9 段階にしたもので、これを基に少人数授業を行い、以下のように進めます:

 

   ⓐ  ⓵ の文の played > を play に直して板書し、写させる; Jack, played, guitar, 

            very, well, everywhere, last, year に下線を引かせ、その下に単語の意味を日本語で

            書かせる(⓪⓵の段階);ここで、和訳をさせ、報告させる;全ての語の意味が分らな

            くても和訳が出来ることを確認し、play > played にも触れる;

 

   ⓑ ⓵の文の下に、⓶の品詞名を書き、夫々の果たす役割を説明し、メモを取らせる; ‘単

            語には 意味を運ぶ語 (content word; 内容語)’ と ‘文法関係の情報を運ぶ語 (機能

            語)’ の二種類があり、意味を運ぶ四品詞の意味が分れば、何とか和訳できる文が多いこ

            とを確認させる;

 

   Ⓒ  ⓑの文の下に ⓷ の「テニヲハ」情報を記入させ、この日本語の仕組みで単語同士の

           関係を推測して理解するから和訳が出来ることを確認する;

 

   ⓓ  次に ⓸ の言葉を書かせ、日本語も英語も、短い文 (sentence) 程、文の中で並んで

            いる単語の役割は見つけ易いものが多いから、人は無意識の内に、④のような質問を

            発しながら「テニヲハ」を付けて理解しようとする故に理解出来ることを意識させる;

 

   ⓔ  この段階で上記の表を渡し、⓸⓹⓺ の所に書かれているような内容語の果たす役割

            が、語順と一致することを確認させる;また、⓹⓺ は幾つかの例の訳を試みると同時

    に、基本的に同じことだが、文法書によって色々な考え方があるから、できるだけ自分

    の分る日常的な言葉に直して覚える方が良いということで、何か良い表現があるか考え

    させる (e.g. SVO を「スル人-スルこと-サレル人」と覚えていた学習者がいた);

 

   ⓕ  ⓹⓺に対応する文法用語が SVO であることを教え、C は SVC の 説明の時に取り上

            げる;

 

   ⓖ  ⓻⓼ の 主部(S) -述部 (P) の関係と述部 (P) = VOA であることを確認する;

 

   ⓗ  文法用語の ⓼ が表わしている意味内容は ⓽ で、特に S = Topic であることを知ら

            せる

 

このような形で、複数の方法で SVO の意味を理解して置くことが、将来長い文章を分析する時の役に立つことを強調しながら、宿題の点検を group work でやらせ、最後に解説を加えます。同じ手順で、他の 4文型の表についても学習を行なことになります。また、その際将来のことを考え、入れ込み情報として、3か月の流れの中で、繰り返し以下のことに触れます:

 

   ①   S はいつも名詞、V はいつも動詞、O はいつも名詞、C は名詞又は形容詞 、A は副

            詞; 副詞は、文頭、文中、文尾と色々場所を変え、半分機能語のようなところがあるか

            ら要注意;

 

   ②  句 (phrase) も名詞句、動詞句、形容詞句 、副詞句があり、1個の品詞と同じ扱いを

    受け、同じ働きをするので注意すること; 

 

    ③  内容語は無限にあり、時代によって増えたり、減ったりするが、機能語は余程のこと

           が無い限り数が変わらないと云える。だから 閉じられたシステムの語句 (closed 

           system item) と呼ばれている。いつも頭に入れて置いて欲しいことは、グループ化さ

           れており、一つ選ぶということは、その場所に置ける可能性を持つ他の語の全ては選ば

           なかったということと同義語だということ。例えば、he は not I, not you, not she, 

           not it, not they の全てと言っているのと同じことでもある;

 

   ④ S-P と Topic – Comment (話題とその叙述)の関係の他に、他の語でも文の頭に

            来ると全て topic の扱いになり、そのことが副詞の変な動きと関係すること: e.g. 

            Finally, we found the knife in the box. は、Finally は adjunct だから、通常は、

    We found the knife in the box finally. 英語では 文頭と文尾が最も目立つという約束

            だから、前者は、finally と box の両方を目立たせ、finally は [ firstly, secondly, …,  

            finally ]  の closed system になっている可能性が高い。

 

上記 ①~④ のようなことに、あえて触れている理由は、

 

   ➊ 高校生の場合、知っている名詞・動詞・形容詞・副詞の content word を ‘5文型+

            adjunct’ の枠内に入れ込めば簡単に何とか理解可能な英文が作れるようになるので、

            単文を並べた文章で日記を書くよう指導することが可能になる (細かいチェックをせ

            ず、form word を使っている学習者には其の儘やらせて置く);

 

   ❷ 固定した語順と各品詞の意味の横のつながりが分れば大枠のことが分かるということ

            に気付くことは大切であり、そこから落ちる form word の位置付けに学習者自ら気付

    く可能性につながる上、書く場合も、全く意味が通じなくなるとされる global error 

    の多発が避けられる可能性が大きくなる;

         

   ❸ ③~④ は、 ①~② の syntagmatic relationship に対する paradigmatic 

            relationship (= choice relation) の概念の入れ込みで情報ということになる;慣れ

           てきたら、この部分が譬え間違っても決定的に通じないということにはならない local 

           error が発生しやすい領域だということに注意を向けさせることが出来る;また、そう

           した語の意味が理解出来なくても空白を埋めなければならない際に、知識不足でも場

           面・脈絡・文脈情報とのつながりを検討できる等の context 情報や background 

           knowledge と ①~② よりも大きな関りのある領域であることを分からせる意味もあ

           る。

 

ということになります。

 

例えば、筆者の感覚では、前置詞や時制に関わる構造などは典型的に paradigmatic relation-ship の領域が分れば、何を知っていればその部分の学習が完了したかを自覚できる良い例と考えています。例えば、

 

at

on

under

over

in

  the table

 

 

 

the table

of contents

 

I

am studying

study

was studying

studied

have studied

have been studying

had studied

English

 

 

 

 

※  for 5 years

for months

harder in my youth

 

のような、situational language teaching の頃に多用された structure table があります。

 

この表の前置詞部分と時制の異なる表現の関係も、孤立した形ではなく、文という線的特徴である chain relation の優越性の中で、無印の部分のように co-text, context の情報に大きく依拠して選ばなければならないものや ※印の例のように、直近に配置された syntagmatic 関係にある語句の強い影響の下で選ばなければならないケースが混在しながら英文(章) が出来上がっていることを知ることが出来るかと思います。学習過程のどこかで、こうしたことの ’まとめ’ を繰り返しながら、上記 ➊~❸ のような考え方が、以後のより複雑に syntagmatic/paradigmatic relation が絡まり合いながら英語の文や文章が出来上がっていることの理解に何らかの貢献をすることを知らせ、基礎作りをすることも大切と考えるからです。

 

勿論、高校生といえども、上記のような文法用語や言語学関係の用語を覚えることは大変であることは承知していますので、術語をどのような理解可能な言葉を使って、しかも手短に教えるかということに関しては、教える教師の検討に任されることになります。

 

また、中学生の場合、更に分かりやすい言葉を使用するという点での検討が必要かと思われますが、‘小学校段階の英語教育は英語に慣れる’ ことを基本とすると言いながらも、既に SV, SVO, SVC の3つの文型は教えられています。中学に入学してきた段階で、この3文型に関して、どの程度の文(章) の蓄積が行われているかの確認をしながら、最初の1学期間の最重要項目とし、可能ならば 1年次の重要項目として5文型の全てを使って、G-T 手法に根差した英文の見方を入れ込んで置くことは、比較的 communicative teaching に適した材料を使って編集されている中学検定教科書のテキスト(取り分け対話ではなく文章のテキスト)を理解する上での助けになると云えるでしょう。同時に、日常使われている英文の 70~80% が SVO とされていることを踏まえると、割合に早い時期に英文を書く (例えば ‘三行日記をつける’ など) の課題に取り組む道も開けるのではないかと思えます。そして、書けることは、切羽詰まれば、譬えゆっくりでも喋れます。

 

上記の取組みは、

 

   (1)   英米の様な英語を日常的に使う状況下で使われる communicative の方法論と経済

              摩擦の圧力緩和の為の ALT 導入という eye-catching な政策を抱き合わせにして、適

              当な準備で上からの改革を試みて大失敗した 1980 年代後半~1990 年代初頭の経緯

              を、一高校教師として、最も下の実施校というランクで眺めていた筆者の経験;

 

        (2)  その中で、幸いなことに本国で大学院の diploma level のコースを経験した現役の

             ALT が勤務校に配属されたこと、及びレッスン・プランの段階から team teaching で

             あった結果、communicative が日本で、しかも大きめのクラスでも十分作動すること

             を目の当たりにすると同時に、そのコツも学ぶことが出来た結果があること;

 

        (3)  それでも、そこから零れる生徒がいることから、どう掬い上げるかという課題の解決

    に向けた、暗記・音読の継続とチェックのような伝統的取組みの強化の可能性を調べる

    という実験的な取組みの一つという性格のものある。そして、各クラスの中程度以下の

    ランクにあり、躓いている生徒に効果的だったものということになる。

 

筆者の個人的感覚からすると、中級段階に入り、上級に至る過程での文法知識は、譬え G-T 手法の場合でも、TBL のような取り組みでも、教室では問題となる grammar point の指摘程度になるのが普通で、クラスでの練習などはそれ程行わず、完璧な理解という作業は自習で行なわれるのが基本と思えます。上記の筆者の取り組みが最良とは思いませんが、早い時期から学習者が自分で解析をするという方向での指導が効果的に行われていれば、将来学習者が置かれる場面を想定しても、文法、文法と大声を挙げて強調する程のことではないのでないかと思えます。大声が挙がるのは、中級後期~上級に掛かる段階の教材を扱うべき大学受験校の生徒や大学生のレベルが、G-T 手法に重きを置いた指導をしようとする時、平均値として ‘自身の実力よりも高いレベルに挑戦することを旨とするのに、その挑戦が出来ないレベルに低迷している ’ が故であるように思えるのですが...。文法に絡んでは、’文法が分かっているということはどういうことなのか’ という問いに対する解答を求めると同時に、上記のような取組みについても、様々な議論が行われ、その結果を、中学・高校レベルの授業開発や独自シラバスの作成に役立てることが望まれているように思えます。

 

次回は「3] Practice 段階 に於ける異なる language skills (2): discourse」からです