昨日の続き。
流産してたどり着いたことの2つ目です。


②あとから後悔しないようにお腹の子と日々を過ごすこと


第一子を流産して、あとから振り返って後悔したことが一つあります。

それは、寒かった日にホッカイロを貼ってお腹を温めたこと。

今考えればこれが流産の決定的な原因じゃないと思えるけど、流産が確定した直後は「これのせいじゃないか…」とひどく後悔しました。
(このお腹にホッカイロを貼る行為は、当時ネットで調べたら賛否両論でした)

これをきっかけに、「後から何かあったとき、後悔するようなことはやめよう」と固く誓いました。


逆に、「この行動を選択していて良かった!」と思ったこともあります。

まず、産院で稽留流産の診断をされたあとに、元々通っていた不妊治療の病院でもセカンドオピニオン的に流産していること(心拍が止まっていること)を確認してもらったことです。

産院でも別々の先生が2人で心拍停止を確認してくれて、その場で2日後の掻爬手術が決まりました。
でも、諦めきれないというか、納得できないというか、受け入れられないというか。
産院の内診の機械も、不妊治療していた病院のものよりちょっと古いような気がして。
もうだめなんだと思いつつも心のどこかで1%以下の小さな望みを抱いて、不妊治療していた病院でもみてもらいました。
結果は変わらず流産の診断でしたが、2つの病院でみてもらったことで「絶対間違いないんだな」とういうことが分かって良かったです。

ちなみに娘を授かる前のタイミングでの流産は、不正出血で兆候に気付きました。
まだ不妊治療の病院卒業前だったので本来ならそちらで見てもらいたかったけれど、あいにく休診日、しかも夜19時を過ぎている…。
迷った末に息子を出産した産院に連絡し、診察してもらうことができました。
7週と初期だったので、何かあってもどうすることもできないだろうし、それなのに病院に行く意味はあるのか?と一瞬迷いましたが、あとで後悔したくなくて行きました。

結果は既に流産していて、お腹の中は空っぽになっていました。
でもそこで奇跡があって。
内診してもらっているときに、赤ちゃんが入っていた小さな小さな袋がそのままきれいに出てきたのです!
検査に出すために小さな瓶にいれられたその袋を、先生が見せてくれました。クラゲの頭のような、透明でふわふわした袋。
すごく愛おしかった。不思議な気持ちだった。

この時が3度目の流産でした。
何度流産しても悲しいものは悲しい。でも前回書いたように、結果流産になったけどお腹に来てくれたことが嬉しくて。
しかも子どもの頃から憧れていた双子ちゃん。
確かに赤ちゃんが存在した証まで見られて。
帰り道、運転しながらやっぱり涙が出てきたけど、気持ちはすっきりというか。
病院に行って良かったと心から思いました。


そしてもう一つ「この行動をしておいて良かった」ことは、お葬式に出なかったこと。

第一子の妊娠が分かってすぐ、闘病中だったおばが亡くなりました。
私を娘のように可愛がってくれた、大好きなおば。
当然葬儀も参列するつもりでいました。
妊娠中ならお腹に鏡を入れればいいと知って、そうしようと。

しかし私の両親がとめました。
妊娠中なんだから出なくていいよ、たくさんお見舞い行ったんだからそれでいいよと。
見送れないことは悲しかったけど、悩んだ末に参列はせず、かわりにお手紙を書いて棺に入れてもらいました。

その数週間後に流産しました。

もしも葬儀に参列していたら。
私の性格上、少なからず後悔の念が頭をよぎったのではないかと思います。

しばらくしてから、亡くなったおばが幼稚園児くらいの女の子と遊んでいる夢を見ました。
この夢以降、第一子は女の子だったんだ!と思っています。


まだ続くので、それはまた明日にでも。