最近、なにかと、「責任」という言葉が世間を飛び交っています。
自分達の責任なのに、責任をとれない大人が増えているような気がします。
社会的な地位が上がると同時に、責任をとれない大人が増えてきているような感じがします。
時代を振り返ってみると、戦前から続く、この責任の取り方。そのあり方も含め、最近、何かがおかしい感じです。
率直に言うと「責任転嫁の応酬」で、みっともない。
どこに行っても自己保身ばかりで恥ずかしい。
そして、多様性とかハラスメントなどの言葉に、責任という言葉が移り変わった印象をとても強く感じます。
特に、「カスハラ問題」というワードは大きな関心をよせていて、私は特にこれを注視しています。
子供をはじめ、若き友人たちが、様々な形で、社会を動かす大人(私もそのひとり)たちをじっくり見ていますが、
令和を生きる我々が、そういった世代に、はたして、その言動をお手本として、自信をもって見せることが、本当にできているでしょうか。
ハラスメントは確かに実在しますが、その背後で「責任転嫁」が勝手に独り歩きしているように私は感じています。
言葉、ひとつとっても様々な認知・認識がある令和の時代。なぜか、とても生きづらい、世の中のように今の私は感じています。
私が、最近のブログで、たびたび、ネガティブなコンテンツに終始してしまっている現状を考えると、どこか、今の時代を反映しているかのようにも思え、こころが大変、痛みます。本当にかなしいです・・・つらいです・・・
追記。
私は、X(旧Twitter)をやめようか検討しています。
理由は最近、Xにて改悪があったためです。本来あるべきSNSではなくなってきているからです。ビジネスにフォーカスしすぎています。極めて残念です。状況によっては、しかるべき代替えのSNSに引っ越します。その際はブログにてお知らせします。