地球の歩き方に

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『世界を歩いて考えよ

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心地よい秋晴れがつづいているが、きょうは午後からすこし燕sきがあやしくなりそうだ。
このまま変わることなくずっと気持ちのいい天気がつづいてほしいが、そうは問屋が卸さないのが現実の生活である。
我々の世界の、または身近な環境にたいしては、2つの方法がある。
ひとつは物理的なはっきりした具体的な生活そのもの、もうひとつは心のなかでひそかに認識される意識の世界である。
現実はその名の通り、理屈不要のあるがままの身の回りの手の届く範囲内の出来事。
ごく身近な時間に追い立てられるときに支配された世界。
もうひとつはまったく現実を無視した意識内の、脳内の仮想の空間。
あり得る事柄から夢のような空想盗撮まで自由な脳内の想像力。
それは時間も空間も超越する無限の空間と意識による夢うつつの世界である。
この夢うつつの世界を気持ちよく映し出したのが、興行業の映画である。
たとえばトータルリコールマトリックスペイチェックサロゲートさいきんではインセプションなどが空想脳内体験を映画にしてうまく表現していると思う。
これらの映画はまったくもって非現実的でじっさいに我々の生活とは無縁な出来事だ。
バカげている、と思っていてもつい金を払ってまでみてしまうのはなぜなのか好奇心それは現実の世界をみせるのではなく意識のなかに忍び込んで空想の世界へ誘い込みさも現実のようにみせかける。
アヘンのような、いやアヘン以上の効果をもった幻覚のまやかしの映像だ。
あり得ないと思っても、あるいは、にもかかわらず、我々は夢中になって凝視つづける。
なぜなのかたぶん、そこになにかがあるからだろう。