映画ネタです。
『セッション』
《簡単な内容》
ドラマーを目指し音楽学校へ入学した青年が、最高の指揮者に出会い…
観たくて、ようやく観た作品。
公開から5年も経ってました!

興奮!興奮!興奮!





面白いっす❗️
面白いけど、心が疲れてる時には観れないな、、

色々と感情移入してしまうところがあって、客観的にみれなくて主人公目線になったりして、観てるワタシも狂人の気分でした



フレッチャーのさ、あのカリスマ性がハンパない!
「なんなんだ、このオヤジ⁇
」て、なるんだけど、あのオーラというか圧力?にひれ伏してしまう。

アンドリュー目線のワタシは、終始このジジィ!

となってました






絶対やってやる!
ジジィを唸らせてやる!
てな具合に、力んで観ておりました

自分の演劇修行とすっかり重なっておりましたね。
フレッチャーのような、カリスマ性ハンパない演出家のもとで、稽古の日々。
できてない!と、一人舞台で晒し者にされながらの稽古。
とにかく、悔しくて悔しくて、必死でした。
あとあとね、演出家がね、言ってたのです。
「とりあえず、ダメ!と言っておけば、役者からナニか出てくるんだよ!」
な、な、なんと⁉️





ダメじゃない時にも、ダメ!と言ってるんかい❗️
ほんと、演出家てドSよね〜、、

フレッチャーにも同じものを感じた。
アンドリューが出来ててもダメ!という。
明日は今日以上のものを要求される世界。
どこまでいっても“終わり・完成”はない。
本当に狂気の沙汰。
アンドリューは、フレッチャーによって才能を開花された、、いや、フレッチャーが開いたのか、、アンドリューの場合、開いてしまったという感じかな。
アンドリューはさ、若くして良い出会いがあって羨ましい!
いくら才能があっても、良い出会いがなければ無駄な才能となる。
最後の、ステージ袖からアンドリューを観てるお父さんの顔が忘れられない。
華開いた息子と、開いてしまった指揮者、2人にしかみえない・通じ合えない世界みたいなものが、垣間見てしまったような顔。
驚愕にも恐怖にもみえるあの顔。
お父さんは、あの後一人で帰ったのだろうか、、いつものように、アンドリューを抱きしめてあげてたらいいな、、

久々に大興奮した映画でした!

フラダンスショーが行われるステージにいた方、、名前不明、、〜