このブログもまた「綺麗事だ!」って思われてるかもしれない,それ位君は辛い思いをしてきたんだ.
必死で抱え込んで,それでも抱えきれなくて,やっとGoogleの検索窓に入力した言葉が「死にたい」だっただろう.
それは心からのSOSなのかもしれない.
「私を見て!」
「僕を助けて!」
そういうSOSなのかもしれない,というより,そうだろう.
でも,いい加減に生きてるような奴らは,死にたいなんて思ったことは無いのだと思う.
毎日は楽しむためだけにある!みたいに思って散々楽しみつくしているような人は特に.
それを世間ではパーティーピーポーなんて呼んじゃったりしてるけど.
真剣に生きてるから,死にたいのに辛いのに必死に生きようとしているから,死にたいと思ってしまうのかもしれない.
あとは,悲しいくらい単純に生きてる人たちや,目の前に死が迫っている人たち,例えば,飢餓とか貧困とか,そういうのが目の前にある人達.
でも,管理人が推測するに,君は,こんな状態なんだと思う.
「死にたい!放っておかれて死ぬほど飢えてたり貧しかったりする訳ではないけど,もう生きていたくない!というより,早く楽になりたい!ここから出してほしい!」
管理人には君の心の叫びが,痛いほどわかる.
だから,もうすこしきいていてほしいんだ.
「死にたい」なんて思うのは,甘えてるからじゃない.
「消えたい」なんて考えるのは,自分が弱いからじゃない.
それだけ辛い状況や,苦しい状況に,自分を追い込んでしまっただけなんだ.
それだけ辛い状況から,苦しい状況から,逃げ出したいと本能的に心が望んでるだけなんだ.
君が弱いわけじゃない..
むしろ,ここまで頑張った自分を,ほぐしてあげるべきなんだ.
とはいっても,どうやって解放したらいいんだろうか.
それは誰も教えられない.
自分で探すしかないんだ,どれだけ辛くても,苦しくても.
仕事なんてしなくていい.
学校なんて行かなくていい.
仕事がすべてじゃない.
学校がすべてじゃない.
そう大人は言うけれど,そう自分でも思うけれど,休めないようなときもあるだろう.
そのときはただ,耐えるしかないのかもしれない.
それでも,「仕事/学校に行かないっていう選択肢があるんだ!」と思えることは,思えないことと比べたらどれだけ楽だろう.
ひとつ選択肢が増えたということは,それだけ方法が増えたって言うことだ.
例えば君が今日死んでしまっては,解決するための方法を失くしてしまうんだ.
英語で有名な(?)言葉がある.
「痛みは一瞬だ,それでも,自殺は永遠だ」
綺麗事のようだけれど,君が抱えてる苦しみは永遠には続かない.
管理人が約束する.
それに,君が「そこ」から逃げるための選択肢を,必死にもがき,あがいて生きている間は持っているけれど,死んでしまってはその選択肢が無くなってしまう.
傷だらけになっても,そこから立ち直ることは出来る,絶対に.
ただ,君にはそれを考えるだけの心の余裕が無く,そう思えないほど大きな苦しみがあるだけだ.
そう思えるだけの力を「一時的に」失っているだけなんだ.
いま無理をしたら,君がそれこそ壊れてしまうから.