学校の印刷室って夏休み前はメチャ忙しいね。
夏休みの宿題の印刷に、受験のためのサブテキストの印刷!
ティチャー達もいろいろ追われてるから
テキスト持ってくるが、期日までにアップ出来るがどうかのギリギリだしね。
さて、そんな忙しい日もようやく終了。
来月は夏休みを利用して東北へ行く予定。
スークーターで!
友人にも会えるといいなぁ。
その前に、やらなきゃいけないのが
定年の挨拶状作成だぁ。
今週末は阿波踊りもあるけれど、がんばってやろう。
学校の印刷室って夏休み前はメチャ忙しいね。
夏休みの宿題の印刷に、受験のためのサブテキストの印刷!
ティチャー達もいろいろ追われてるから
テキスト持ってくるが、期日までにアップ出来るがどうかのギリギリだしね。
さて、そんな忙しい日もようやく終了。
来月は夏休みを利用して東北へ行く予定。
スークーターで!
友人にも会えるといいなぁ。
その前に、やらなきゃいけないのが
定年の挨拶状作成だぁ。
今週末は阿波踊りもあるけれど、がんばってやろう。
34年間かぁ・・・・
先日、退官行事を終え身分証明書と認識票を返納し自衛官としての職分を
終了した。
一応明日の24時までは形式上は自衛官なのだけどね。
23日からは一般ピーポーとなるわけやね。
長かったような短かったような、不思議な気分だね。
色々な事があったね。
結構波乱万丈だったぁ。
初めての一人暮らし。
初めての給料。
先輩からの手痛い洗礼。
初めて乗り組む戦闘艦。
バケツ抱えて、転がりまくってた。
泣きそうだった。
なんでこんなところに居るんだろうとも思った。
初めての昇任。
階級が上がる喜びよりも、責任の重さに震えたっけ。
何にも無かったアパートに少しづつ荷物が増えていった。
よく皆で集まって、ドンチャン騒いだっけ。
友達や同期や先輩が車やバイクで集まってきて
暴走族の集会と間違えられて、通報されたことも。
住人がアメリカ系が多くて、駐車場ですぐバーベキューが始まった。
七輪で秋刀魚焼いてると、不思議そうな顔して寄って来たっけなぁ。
肉を焼いてくれって言われて、焼き始めたらそのまま宴会になったことも
しばしばだった。
そのアパートも、もう今は無い。
初めての航海から帰ってきたときは地面が揺れている気がして
真直ぐ歩けなかった。
馴染みの店もできた。
床屋に定食屋にパン屋に酒屋。
定食屋じゃぁ、金が無くて付けで食わして貰ってた。
その頃は、給料は現金手渡し!
ありがたく支払いに行ったっけな。
で、あちこちに払うともう金が無くなって
払った端から、ツケで飲み食いしたものだった。
なんせ給料が10万無くて、家賃が3万円。
光熱費入れたら給料の半ばが無くなってた。
朝飯と昼飯は船で食えてたから(なんせ自衛隊は飯も給料の内だからね)
ひもじい思いはしなかったけど。
思えば、無茶な暮らしだったな。
若いからできたようなものだ。
恋もした。
遠距離恋愛もした。
シンデレラ・エクスプレスなんて言葉は無かったけどね。
失恋もした。
大いにした。
友達も出来た。
色んな友達がね。
大学生や、社会人や、プー太郎もいた。
ヤクザになった奴もいた。
日本全国に行った。
太平洋側の主だった港町は寄港した。
大きな港や、小さな港。
悲しかったのは、自衛隊反対派の人から
入港する時に罵詈雑言を浴びせられること。
石を投げられたこともあったし。
強引に船に乗り込もうとして、取り押さえて警察に引き渡したことも。
船の舷門前に数台の車が止まって、拡声器でシュプレヒコール
を延々とされたこともよくあった。
当時は制服での外出だったけど、危険だからと私服で外出になったり。
嬉しかったのは、嵐で座礁したり転覆したりした漁船の乗組員を
救助したときに感謝されたこと。
自衛艦は結構救助してるんだけど、メディアに載ることは無い。
大抵は港外で保安庁に渡すからね。
災害派遣にも行ったなぁ。
伊豆大島の噴火、阪神大震災、三宅島の噴火、墜落した航空機の捜索、
座礁した船の曳航、救援物資の搬送等々。
現場はいつも悲しく重い空気が流れえていた。
生存者がいたときは、なんとしても・・・そう思っていた。
残念な事態になってしまったときは、
なるべく綺麗にと気を使った。
収容できないときは、本当に悔しかった。
身につけていたものは無いかと懸命に海底を捜索した。
全島避難の手助けもした。
そこには、隙を狙って番号を消した漁船で乗り付けて
モノを盗んでいこうという卑しい人間もいたよ。
島民が帰ってくるまでの3ヶ月間、ずっと警戒警備のために
出航もしてた。
船に乗ってると色んなことがあったね。
30年間の艦艇勤務。
前半15年間は護衛艦部隊。
後半15年は掃海部隊。
初めての陸上勤務が、航空隊で
しかも硫黄島!・・・で2年半。
うち、3ヶ月は南鳥島勤務。
平成19年の大台風で壊滅した南鳥島の復旧工事にもたちあった。
新庁舎の建設。滑走路の復旧。
何処へ行っても、事件があったねぇ。
その後が、また全然畑の違う潜水医学実験隊!!
しかも医療装置のオペレーターと保守整備と維持管理。
高気圧酸素治療装置・・・通称は再圧タンク。
見たことは「うらが」に在ったからあるけど、
扱ったことなんか・・・・・・無い!!!
しかも、移転するため新設するから「担当してね」
!!!!!なんですとぉ!!!!だよね。
厚労省なんてところに認可申請に初めて行ったり。
何処に転勤しても、こんなんばっかりやなぁぁぁっと。
最後まで、楽しませてくれるところでした、自衛隊は(笑)
思い出話はこれからもチョコチョコ書いてコウかなぁ。
退職自衛官の暴露話なんて、チョット素敵。
面白い話がいっぱいあるよう。
じゃ、また気まぐれにUPしよう。
来月で定年退職。
34年間もよく自衛隊にいたなぁ。
よくクビになんなかったと・・・・。
色んなことがあった。
泣いて笑って怒って哀しんだ。
来月で54歳。
不惑なんてとっくに越えているのに
まだ、迷ってる。
困ったもんだ。
次はなにやるかねぇ。