もくづです。

「人を殺してもいいのか?」について言及した動画を最近ずっと見てるんだけど、その度にツッタカターに書き込もうと思っては140文字の聖域には程超過した文を創り出してしまうので、やっとこさ今回ここにまとめる決意が出来ました。このあほんだら。

あくまでもくづが考えた事です。


自分は、「自分が苦しみたくないなら辞めときな」としか言えないと思ってる。

詳しい他の色々の定義とか何やらについては、検索エンジンをGoogleに、カテゴリを動画に切り替えて「人を殺してはいけない理由」でヒットする某ゆっくりしていってね系動画がこの世で一番分かりやすく殺人非難の脆弱性について語っておられるので、そちらをどうぞ。

それら全てを見て、もくづが思ってしまった事です。

でもつまり後で自分が苦しむ準備が出来てるなら殺してもいいの?って、その通りだと思います。後で散々苦しめば良い。逆恨みでも復讐でも、合法でも罪悪でも、どんな理由であってもどうしても辛抱たまらなくなってナイフを突き立ててしまったなら、どうぞたっぷり後で独り苦しめば良い。

しかし自分も相手も、法の力でもまた別の復讐者によってでも死後の世界にてでも殺せば永遠に苦しむ事になるだろうと思う。それじゃ報われないじゃないかって、そりゃ相手も同じ。無差別殺人でも快楽殺人でも何でも、やったそいつは苦しむし、同じ方法で苦しめようと思った罰はあんたにも当たる。

ある少年はいじめっ子かもしれない、ある少女は恋敵かもしれない、あるもくづは反吐が出る様な教育を施した母親かもしれない。人は皆殺したい人間が居る。絶対居る。
でもその人等を殺すなら、苦しむ覚悟が必要だと思う。

よくよく見返してみたら少しあやふやかもしれないけど、言いたいのは、少なくとも「もくづは自分が突然殺されてもいいって思ってる」って事。
殺される前に抵抗はするし、出来る限りこっちが殺さない様に努めながら足掻く。でもそいつはそれ以上の苦しみをどこかで必ず負うだろうし、自分が手を汚してまで反撃する理由は無い様な気がしてる。

という完全なるもくづ個人の意見でした。
是非、参考にしないで封印しておいて下さい。

この思想が理解出来たら、もくづの歌を聴くのがもっと楽しくなると思います。よろしくお願いします。