先日大好きなおじいちゃんが亡くなった。
関わりのある親族を亡くしたのが21歳にして初めてで、今まで皆様が健康でいて下さったことの有り難さを身に染みて実感しているのと同時に、物心が完全につききった私は与えてもらった感情全ての波に溺れたりするなどしている。
家に居場所がなかった小さな頃の私を預かってくれたのはおじいちゃんで、4人の孫の中で唯一女の私を特別かわいがってくれていたと自負できるほどたくさんの愛情を頂き、無事おじいちゃんっ子の孫として育った。
「おじいちゃんが亡くなったんだけど、今日帰って来れる?」という母からのメールで、大変だ とにかく帰らなくては とその気持ちだけで身支度をして、取れる中で1番早い飛行機に乗って帰ってきた時にはお通夜は終わっていた。
明日は早い。
荷解きとお風呂を済ませて早急に寝る。
とにかく寝た。
嘘かもしれないし。
朝になる。
眠い目を擦ってメイクをする。
おじいちゃんには出来るだけかわいい私で会いたかったけど、実感はまだない。
控え室でおじいちゃんの遺影を見る。
1年前施設のお花見で撮った、桜を背景に笑顔でピースをしている写真。
病でベットに伏せても、会いに行くと体を起こしてピースしてくれていたおじいちゃん。
こんな世界になって直接会えなくなって、今年のお正月久方ぶりにzoomで話した時も、涙を流しながら画面の私に向かって一生懸命ピースをしてくれた。
皮は硬いのに丸っこくてどこかかわいらしいその手で、ピカピカの入れ歯をむき出しにして、まだ何度でも、あ、だめだ、泣く、まだだめだ、堪える。
静かで淡々としたお葬式はいつも大きな声で笑っていたおじいちゃんとは対照的で、なんかへんてこりんで、全部が嘘みたいだった。心がすぅーとなった。
静かなお経を聞き終え棺に入れるお花を手渡された瞬間に手が震える。
みんなが棺に歩み寄って次々にお花を入れていく。
私は一歩も動けない。
母に背中を押されて行き、おじいちゃんの顔を見る。
大好きなおじいちゃん。
私が就職する時は人生経験豊富なおじいちゃんが何でも相談乗るよと言ってくれた。私の結婚式には絶対行きたいとずっと言ってくれていた。一番下の孫が成人したら孫4人と一緒にお酒を飲もうと話していた。
もう少しだった。
今なら経済の難しい話もお酒の話も程遠いと思っていた結婚の話もできるよ。
もっと先の未来も語り合いたかった。
愛情を形にして、未来にまで注ぎ続けてくれたおじいちゃん。
対する私は最後の最後ありがとうの5文字もまともに発音できなかった。
やっぱりおじいちゃんはずっと優しくてずっとかっこいいです。
生きなければよりも生きたいと思った自分に気付いたし、思ったよりも頬はやわらかくて人間味とはこのようなものなのかと驚いた。
後に残る悔いは先に立ちません。
嘘みたいな時間は本物で、本物のフリした私は嘘で偽物でした。
全身震えて情けなく嗚咽する私が私。
目に見えるものだけでなく見えないものも受け入れるということ。
人間の愛おしさ。
人を生かすのは心の臓だけではないのね。
初めて連れて行ってもらったうなぎ屋さんや汗水垂らしてする畑仕事、どうして現像したのと怒りたくなるような変な顔した写真も。
狂おしいほどの愛しさ。
おじいちゃんに言えたのは不完全な5文字だけだったので、お手紙をきちんと書きます。
幸せを分けっこ出来るくらいたくさん幸せになろう。
ずっとおじいちゃんが大好きで、これからも大好き。
杜撰でも下手でも不器用でもそれなりに生きていく。