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worldendのブログ

インドアでロウな生活

以前、その筋では有名な論客のセッションに参加して、

私が質問した際に、その方がおっしゃいまいした。

「あなた、空気読めないですね。」

それまでの質問の流れを汲まなかったのがいけなかったのでしょうか。


私は、かなりショックを受けました。

勇気を振り絞って質問した挙句に、

尊敬すべき論客から、悪口に近い言葉を浴びたことに。


しばらく落ち込みましたが、

ある方に、「そういう場で質問することに意味があるのであって、

その答えには、たいていの場合、ほとんど意味がない。」

と言われ、そういう考え方もあるのかと慰められました。


私は、アフリカにいます。

出発前に、先輩から、

「ある程度、自分勝手にならないとやっていけない。」

日本でやっているように空気を読んでいては仕事が進まないから、

自分からどんどん動いていかないといけない

というアドバイスでした。

お得意のKYを実行すればいいということで、まずまず実践しています。

といっても、仕事の場は皆がほぼ同じ意識で目的に向かっているので、

まず問題は生じません。


その他の場でした。

レストランとか宿とか。

催促しないと、注文したものが出てこなかったりします。

迷う前に、声をかけろ!スタイルです。

現地の人もそうなので、それに習うのがいいでしょう。

そもそも異文化なので、

空気も何もあったものではないです。

ただ、いかなるときも敬意は忘れないようにしています。

誰であろうと、いつであろうと、

謙虚な気持ちを忘れた瞬間に、退化が始まります。

できれば、一生、進化し続けたいです。


正直、とても怖くなります。

ここで半年も過ごして、

日本に帰っても居場所がないのではないかという。

自分が歯車でないことを願いたいですが、

ある程度、社会と会社の歯車として機能していることを

自覚しています。

その意味では、あるべき場所を離れてしまうことは、

この仕組みからの離脱を意味します。

代わりにその場所を埋める人が必要になります。

そうして、自分が思っていたよりもあっさりと、

自然な形で全体が機能していくことに気付くと、

安心するよりも、がっかりします。

自分の存在が否定されたような。


でも、実際には私たちは完全なる歯車にはなりえません。

私たちには感情という魔物をもつからです。

誰かの代わりはできても、誰かにはなれないのです。

私が、私であること。

あなたがあなたであること。

それは実はとてもすごくて、奇跡的なことです。

大事なことは、私が私であり続けること。

誰かの代わりを、無理してしなくていいのです。

そう考えて、私は、ここでできること、

ここですべきこと、そのために頑張りたいと思います。

私に努力を促す手紙。

ときに私を叱咤し、ときに私を励ましてくれることでしょう。

誰が予想しえるだろう。

30代のぼくが、アフリカのレストランで夕飯を待っていることを。

雨が続くと、停電がひどくなることを。

そして、暗闇の中、ろうそくをかかげたウエイターの姿は、

恐怖以外の何物でもないことを。

こういう時に彫の深い顔はわざわいだ。

こちらは黒人がほとんどで、そして、ほとんどの人は彫が深い。

停電したら、電化製品に火を灯したいのが人情だが、そうはしない。

暗闇に目を慣れさせるために、むしろパソコンを閉めることにしている。

そうして、停電が改善された隙間に、こうやってブログを綴るのだ。


昨日、ひどく身体が怠かった。

午後からは熱も出たので、早々にベッドで休んだ。

そうして朝までぐっすりと眠ると、少しは良くなったようだ。

日本では、体の声に耳を傾けずに、日夜働く。

何かをすり減らしながら。

ここでは、そんなことはできない。

きっと、それが正解なのだ。

何かをすり減らさないために。

身体が一番大事だと痛感する。

いつもよりゆっくりと動作をし、いつもよりゆっくりと仕事をする。

きついときには無理しない。


明日の朝は、きっとまたコーランで目が覚める。

近頃、この地域ではイスラム教が盛んだ。

暗闇で赤ん坊が泣いている。

晩御飯の匂いがする。

誰かが話している。

牛がぬれている。

鳥もぬれている。

奥田民生の世界観は世界に通じると、勝手に考えている。

   参照:つくば山

http://j-lyric.net/artist/a00002c/l008325.html