中国の冬の娯楽(1988年1月、角田篤志)
角田篤志(つのだ・あつし)です。1988年に中国を訪れたときの随筆です。このときは娯楽事情について調べました。中国の冬の楽しみといえばスケート遊びですが、なにせ寒いのです。趙紫陽党総書記が熱を上げている高爾夫球(ゴルフ)もいまはお休みです。そこで庶民の娯楽となれば室内遊戯です。それも麻将(マージャン)の復権が目覚ましいのです。なにごとも中国のブームは過熱するのが常で、「マージャン亡国論」も再び頭をもたげる中国“最近遊び事情”。最も広く親しまれている遊びといえば中国将棋、囲碁、トランプ、カルタ類。そこに最近、急速に普及しているのがマージャン。文革中はもちろんご法度でしたが、それが終わって1980年代に入って徐々に復活したのだといいます。初めはおそるおそる、の感じがあったが、この1、2年ですっかり“市民権”を回復した観があります。とばくマージャン北京、上海だけでなく地方都市へ行っても街で牌(パイ)を売っているのを見かけました。それも百貨店ならスポーツ・文化用品売り場といったコーナーに堂々と並んでいます。プラスチック製の普及品で、5、60元(日本円で約千数百円-2000円※当時)、牛骨製で150元(約5000円※当時)ほど。北京の外国人向け土産物店には6500元(約20万円※当時)というぞうげ製の超高級品もあります。『麻将入門』『実戦麻将』という指南書が本屋の正面売り場にあります。以前あった、馬列著作(マルクス・レーニン本)を押しのけてです。マージャンが“文化用品”の枠内に納まっていたら問題がありませんでしたが、百科事典では「技7、運3」と解説されるゲームだけに、どうしても、その運にかけたくなるのが人情。そこで次のような事件が起きてきます。【河南省で共産党幹部が処分】趙総書記の出身地である河南省のある県の林業局で、共産党員の幹部が率先して勤務時間内マージャンをやっていたのが摘発され、人事刷新となりました。地元紙の報道によると、この役所のマージャン熱は1984年からで、過熱する一方。役所内に5卓を設け、牌は3セット準備。「昼夜、とばくマージャンが続いていた」とか。この3年間というもの、党活動は1987年1度、会議が開かれただけで休眠状態。処分を受けた幹部のうち党員が6人含まれていました。【観光ホテルで多数が逮捕】北京郊外の観光ホテルの遊技室が1987年夏に手入れを受け、かけマージャンの常連多数が逮捕され、経営者も処分されました。新華社記者の“告発ルポ”によると、参加していたのは、大半がいま流行の「個体戸」と呼ばれる個人商工業者たち。労働者の月平均賃金は100元(約3300円※当時)といわれるが、彼らの中には月収数千元、中には1万元を超す者も。そこで、数人の仲間が語らって、タクシーで人目につきにくい郊外のホテルに乗りつけ、徹夜マージャンで遊んでいたという次第。新華社記者の目撃では、ひと晩に360元も負けた者がいました。こうした世相を背景に、先ごろ、人民日報の海外版にマージャンブームの過熱ぶりを突く記事が載り、久々に「麻将亡国」の活字が登場しました。「何事にも『度』というものがある。それを超えない範囲で」と穏やかな警告だったのですが……。http://www.youkudownload.com■トランプのブリッジや囲碁大学生の間では、中国語で「橋牌」というトランプのブリッジと囲碁がマージャンをしのぐ勢いです。中国の最高指導者・鄧小平氏のブリッジ好きは有名ですが、ある学生は「マージャンと違ってかけなくても面白いし、頭脳ゲームで学生にはふさわしい」。若者の間の囲碁熱は、日中囲碁対戦で中国の王者・聶衛平が大活躍しているのが刺激となったとか。小学生の間から“天才少年”の誕生も伝えられ、中国囲碁界のすそ野はこれを機に一気に広がりそうです。映画館を改装してダンスホールに街角で最近目立つのは「舞会」とか「舞庁」の看板。ダンスホールのことです。つい先年まで「不健全」「いや健康娯楽だ」の論争がありましたが、これも文化省が1987年、ダンスホール営業に「健全な文化産業」とのお墨つきを与えて以来、雨後のタケノコのように誕生しました。これにはかつて娯楽の王者といわれた映画人気のちょう落が関係しているようです。というのは観衆が減った映画館が、一部を改装してダンスホールやビリヤード場にし、多角経営に乗り出しているからです。ビリヤードも全国的な人気で、街のホールでは1時間、4人で遊んで5、6元ぐらいです。http://youcan-project.com/台湾ビデオ映画離れの人々をつかんでいるのが「ビデオ劇場」です。映画館より小型で、客席は十数人からせいぜい200人ほど。スクリーンはたたみ1枚分ほど。先日、中国南部の福建省アモイ市で見かけたビデオ劇場では、台湾のビデオフィルムが大人気。毎日朝10時から夜8時半まで6回上映で、毎回総入れ替え。料金は6角(約20円※当時)。「夢の衣装」というタイトルで台北の町並みもふんだんに登場するメロドラマ。最終回の部をのぞきましたが、200席がほぼいっぱいの入り。中国南部の広東、福建では、いまや中国映画より香港、台湾ものが人気です。大都市では老人が10%を突破しつつある中国。定年制の導入で老人余暇対策も重視され始めました。街角の日だまりでみかけるのは将棋とトランプの輪です。数年前に日本から紹介されたゲートボールも急速に普及中です。こうして見てくると、昨今の中国の娯楽事情は多様化の時代を迎えているのがわかります。かつての人民公社時代、農村の人々の楽しみといえば月に1、2回、公民館での画面に雨が降る革命戦争ものの映画会だけ、といった娯楽貧困時代は去りました。農村にも急速に普及したテレビ放送では、日本など外国フィルムが歓迎され、こうした面でも現在の対外開放政策の影響が顕著で、この流れはもはや容易には転換できないでしょう。http://asianfilmawards.org/■マージャン熱、日本は下降線日本では、マージャン隆盛の時代は去り、転廃業する店が相次いでいます。1987年10月末現在の全国のマージャン店は2万7887店。最も多かった1977年(昭和52年)と比べると2割弱の減です。東京麻雀業協同組合の関係者によると、いくつもの原因が重なりあっている、といいます。それらは(1)戸外スポーツの普及などレジャーの多様化(2)最もにぎわった土曜の客が週休2日制で減った(3)“インフレ・ルール”で運が左右し、ゲームの魅力が薄れた(4)自動マージャン卓の普及など、設備改善に伴う料金の値上げなどです。若者たちのマージャン離れも目立ちます。業界では、1987年12月から毎週水曜日を「マージャンの日」とし、海外旅行が当たる抽選券付きのティッシュペーパーを客に配るなど生き残りに懸命です。角田篤志http://www.m-chiro.info/karada/jiritu.html