世界の始まりと世界の終わり。~東京モノクロームギャラリィ~ -4ページ目

@最も忌むべき来訪者の話


世界の始まりと世界の終わり。~東京モノクロームギャラリィ~-休日の親子の風景です



最近忙しくて更新していませんでした。

忙しいからというのは半分は本当で、半分は本当ではない。

最後の半分は「また怠け癖がでてきたから」というのが真実みたいです。


「やるべきこと」と「やらなくてもいいこと」を一日のはじまりにおおまかに決めるのだけど、

どういう訳か「やらなくてもいいこと」をしてだらだらと時間を見送ってしまうことが多いです。


「後悔」と「反省」は一日の終りに訪れる最も忌むべき来訪者で、

部屋のドアがノックされると僕は寝たふりをして白川夜船をきめこむのだけれど

それを彼らは最初から承知しているのでなかなか帰ろうとしません。


耐えきれなくなってムクムクと起きだすと彼らは

「さあ僕たちの話を聞いてくれ」と言って延々と何時間でもしゃべっているのです。


明日こそは「やるべきこと」と「やらなくてもいいこと」のけじめをちゃんとつけて

なるべく後悔をしないように、なるべく反省をうながされないように

理想的な一日を送りたいなと思っています(ノ_・。)

@幸福の三大条件


世界の始まりと世界の終わり。~東京モノクロームギャラリィ~-明治通りを走っております



一日が35時間あればなぁと思ったりする。

せめて30時間でもいいや。


時間の流れが速すぎてついていくのがやっとだ。

あっという間に一日が終わってしまうのでゆっくり考えている暇がないです。



音楽を聴くこと、本を読むこと、写真を撮ること。

この三大条件がそろっていれば、僕はもう幸福です。

@待つ


世界の始まりと世界の終わり。~東京モノクロームギャラリィ~-待ち合わせ中の女性



ときどき人生の3分の1くらいは「待つ」ということに費やしているんじゃないかと思ったりする。


電車が来るのを待つ、

ラーメン屋の前で待つ、

信号が青に変わるのを待つ、

映画が上映されるのを待つ、

友達や恋人(或いは愛人だったり)が来るのを待つなどなど。


待つことは退屈だしできれば待たずに済ませたい、と思うことはよくある。

でも待つことによって何か特別なものが得られれば「待った甲斐があった」と逆に幸福感情が増したりもする。


その反対に「待った結果がこれかよ」とがっかりさせられることも時々、

というかよくある話で、僕たちは「待つ」という行為によって

(ほとんど無意識的に)感情の水位をさまざまに変化させるのだ。・・・





そういえば話は変わりますが、もうひとつブログを作りました。




            記憶された風景




もしよかったら見てください。


HNは変えてありますが僕です。

紛らわしくてすいません。