一度 ファッションを捨てた 私の過去 | 「ファッションと人生」福岡/LamNE 店主 益山真衣

「ファッションと人生」福岡/LamNE 店主 益山真衣

ハンドメイドアクセサリーLamNE の店主が日々の気づきを綴ります。

私は7月17日の


ファッションショーに向けて


準備をしています。



 

私の人生で始めてのファッションショーを


行うことを決めました

 

 



 

私は小さな頃からファッションが好きで


学生のころ 自分が作った衣装を着て


ファッションショーを行ったときに

 


「これは何度もしたい」

 


と思ったのが 


ファッションショーでした。



 

 

 

自分で作るファッションが好きな理由は


小学生の時に、私が好む服がなかったから。


 

母へ伝えると

 

「絵を描くこともすきだから ファッションデザイナーになったらいいじゃない」

 


と言ってくれたことがキッカケでした。


そして縫製を学び


自分でデザインをした服を


見てもらったときの


その人の表情が明るくなるのが嬉しくて


その一瞬が宝物をみつけたような表情が見える。

 


ショーをつくるのは 何カ月もかかるけど


ショーは一瞬です。

 

その一瞬のために 


自分の命をかけていきます。




 

その集大成が今回


ファッションショーの時間として


生まれます。





 


 



私はM&M glamorous という 


ブランドを立ち上げ


スカーフやストールなどの 


セレクト販売を行なっていますが  



 

ファッションの専門学校を卒業してから


福岡のアパレルブランドで 


デザイナー兼パタンナーをしていました。


1社目では


朝は9:00〜 夜は深夜3:00まで


残業は続き

 

仕事をし続け 自宅まで


自転車で40分かけて通っていました。

 


お給料は一律で9万円



なかなか給料は上がらず


私はその程度人間なんだと


感じていきました。



 

専門学校を卒業し


「ファッションデザイナーになりたい」


「ファッションの仕事をしたい」


と思い入った会社でしたが

 


上司との付き合いも上手くいかなくなり


 もらっていたお給料だと生活も厳しく


 耐えきれず 1年半で辞めることに。

 


 

 


0.数ミリ単位で 


とても細かくパターンを指摘される毎日で



服作りが好きだったのですが


とても苦手意識をもつようになり


(私には服がつくれない。。。と思った頃でした。)


上司にとっては大切だったのだと思いますが


私には その差は理解出来ず。。。



私の未熟な部分があり


私の事を 気に入らなかったのでしょうね。


 

そして 私は


(デザイナーになるなんて 安易な考えだったんだな 私って出来ないやつ)


と思っていきました。

 


辞めたあと


リベンジしたく


ファッションの仕事を探していたところ


取引先の会社が拾ってくれて2社目でした

 

 

この時も 毎月手取り13万円のお給料で


ダブルワークをしながら休日は


食品工場や検品場など 


派遣で働いていました。

 

 

 

その会社では 


デザインの仕事や


営業の付き添いにいったり


韓国の業者とのやりとりなどを


行なっていました。

 


 




そちらも約1年


お仕事をさせていただきましたが


部署がなくなることをキッカケに 


ファッションの道を断ちました

 

 

この頃の私は23歳です

 

 

 

こんなに やりたかった仕事だけど


こんなにも出来ないようであれば


私はファッションの仕事はしない方が


いいのかもしれない 



私はファッションの道では生きていけない

 


お金も 1人暮らしの私には


もう少し必要だ…



「ファッションデザイナーを諦めよう」



ここで一度 


私は


【ファッションで生きる道を捨てました】


 

この時に浮かんだのは 父と母の顔です


高校、専門学校と


私のやりたい服飾という好きなの道へ


進めさせてくれたのにと思い


ツラかったですが

 


私にはファッションデザイナーの仕事は


向いてないんだとそう思い


捨てることにしました

 


 

転職先は


友人が働いていたコールセンターで


働きました。





全く畑違いですが

 


 

 

 


 

コールセンターでは


3ヶ月で辞めるつもりが

 



10年続けました。。。


さまざまな業務を


経験させていただきましたが

 


コールセンターで働いていた私は


最後は生きたここちがせず


「なんで私はいつまでも ここで働いているんだろう。結婚はいつになるかな。

いつになったら幸せになれるんだろう」



って


思いながら いつも生きていました。

 

 

 

その日常から


目を逸らしたかったのもあり


 

何か手に職をつけたい。


自分の力で稼げるようになりたい。



と思うようになって


 

その時に 取得し始めたのが


 「ねんどの先生」


でした。

 

 


 

作ることが好きな私です。


ファッションのように 


カラフルなねんどを見つけ



教えることをしたい気持ちもあり


作り方を 教えて


作る喜びを 感じて貰える




 

また、私はいつも疲れていたので


癒しも欲しかったんですよね



柔らかいねんどを触り 製作したものを


見てくれる人たちが喜んでもくれる

 


 

このときミニチュアスイーツなども


作っていました。



 

 

 





ねんどの資格を取得する中で 


「このままでいいのかな…いけないな」

  

と思い


 

「この人と一緒にいても何もかわらない」



当時4年同棲していた方とも


離れることを決め



 

また 一人暮らしを始めたのは 


34歳の年でした


 

・ 


 

今年は 令和元年の37歳の年です。




今の私は



私の人生=ファッション



なので 


今まで起こってきた出来事も


全て


ファッションで生きるための 通過点





ファッションショーまでの道のりには


【決断しながら 歩んできた】


人生が 私にはあります。


 


 

続く。。




 





一度ファッションを捨てた私が

コールセンターで働いていた私が



自ブランドを立ち上げ

2年目を迎えようとしている今



ファッションショーを

させていただきます



どうぞ ご来場くださいませ


⬇︎

⬇︎

⬇︎

 

 

7/17(水) 13:00〜
M&M glamorous
ファッションショー
開催
 
すべてゼロからスタートした
わたし達の
ファッションショーまでの道のり
 
 
image
 
 
M&M glamorousの世界を観に来て下さい。
 
 
▼fashion show 詳細はこちらから▼
 


____________________________________

 

 

◾︎unearth core

 

高い志  精神  意識を持った人物

個人 次世代のリーダー 代表

人全般の 人材育成 人生成長 事業の会社です

 

http://www.unearth-core.com/

 

 

 
 
 
 

 

image 名前: 益山 真衣
 
2017.9〜 
セレクト オンラインショップ
M&M glamorous 発足
香港、イタリア、フランス製の 
ファッション小物の仕入れ、買付販売。 
オリジナルアクセサリー。 
レディス、メンズ、ユニセックスタイプの
商品複数あり。