RollingStone2021年1月7日号に掲載された記事「The Sprit of Neil Peart」を、Neilが病気になって以降の部分について訳してみました。色々と新しく知る話で、涙無くしては読めませんでした。
2021年1月12日 訳を数カ所修正しました。
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2015年8月にツアーを終えたニールは、引退の10カ月後に脳腫瘍であることがわかった。
引退後のニールは、カリフォルニア州サンタモニカの自宅から1ブロック離れた「man cave(人類の洞窟)」と呼んだクラシックカー・コレクションの倉庫兼執筆活動用のオフィスに、娘のオリビアが登校後の毎日朝9時から5時まで通い、歩いて近所のスターバックスやサブウェイで昼食を買ったりして、過ごした。
それ以外の時間は、20年連れ添っている妻のキャリー・ナッテルと、彼を慕う娘のオリビアとの時間を過ごした。これから毎年夏には、Le Studioにほど近い、ケベックの湖畔にある豪華な別荘で過ごす計画を立てていた。
ツアーが終わって、オフィスで働かない日は、ニールはオリビアの学校の図書館のボランティアをした。「オリビアはとても喜んでね。」とキャリーは語る。「学校でずっとパパに会えたから。」
夜に彼は家に帰り、家族のために夕食を作った。「多分、彼はここ数十年で初めて、やりたかった生活を送ったのだと思う。とても幸せな充実した時間だった。…そして神だか、なんだかが、それを全て奪い去ってしまったの。」
ゲディ曰く「本当に彼が気の毒だ。彼が長年かけてようやく勝ち得た普通の生活が、あまりに短すぎて。」
ニールは70年代初めにロンドンに住んでいた頃から、新聞のクロスワードパズルを解いていた。土産物屋のマネージャーをしていた時、地下鉄での通勤の暇つぶしに始めたものだった。
過去20年間ほど、ニールはNew York Timesのクロスワードパズルを解くことを日課としていた。2016年6月、ニールはパズルを解くのが困難になった。「彼はどうしてなのかわからなかった。」長年のマネージャー、レイ・ダニエルズは語った。「どうしたんだ?」
ニールはこのことを彼の胸の中に留めていたが、しかし夏頃にはキャリーによるとうつ病と思われる兆候がみられた。キャリーはこのことを、オンタリオ州のMuskokaにあるレイ・ダニエルズの家を訪問している時に打ち明けた。レイは、「キャリー、彼は欲しいものを手に入れた、自由を手に入れた。最後のツアーの巨額のペイチェックも受け取っている。これはうつ病ではない。」
8月の終わりには、キャリーとニールの母親は、ニールがいつになく口数が少なくなったことに気づいた。また、ニールが後にバンドメイトに語ったところによると、話始めると「言葉を間違えるようになった。」彼は急ぎ医師の診察を受け、MRIを撮影し、最終的には手術となった。診断結果は、残酷なものだった。Gliobastroma、進行の早い脳腫瘍で平均余命は12~18カ月であった。
病理学検査によると、ニールの癌は珍しく治療可能なタイプのものであった。そしてニールは、診断後3年以上もの間、2020年1月7日まで生存した。これはこの病気においては「長期生存者」と分類される。
「3年半経っても、」ゲディは語る「彼は自宅のポーチでたばこを吸ってたよ。彼はBig C(癌のこと)に、大きくBig ’Fuck you’と言い続けていたんだ。」
近々手術を受ける前、ニールはアレックスの誕生日に滅多にしないTV電話をかけた。「彼から電話がかかってくることはとても珍しい、なぜなら彼は電話で話す事が苦手だから。」アレックスは語る。「彼が美しいEメールを送ることはあっても、誰彼と電話で話すことは好まない。だからびっくりした。でも、何かがおかしいと感じた。多分通信状態のせいかとも思ったが、いつもの彼とは違っていた。そして、その後、いつもその時のことを考えるようになった。」
その数週間後、ニールはバンドメンバーにEメールを送ってニュースを知らせた。遠回しに言うこともなく「単刀直入に打ち明けてきたんだ。」ゲディが述回する。「僕は脳腫瘍になった。これはジョークじゃない。」
アレックスはこのメッセージを受け取った時、ゴルフ場にいた。「僕はその時、その場で泣きだしたと思う。」
「戦闘態勢になったよ。」とゲティは語る。アレックスとゲティにとって、トロントから遠く離れた地に住む友達に会う機会を見つけることが優先課題となった。
ニールは、彼の病気にヒーローのような強さとストイックさで対応した、生き抜くために戦うように。「彼はタフな人だ、」ゲディは語る「彼はあのストイックさがなければどうにもならなかった、明らかに彼は腹を立てていた。しかし彼は、その恐ろしい事実を受け入れなければならなかった。彼は、ひどい知らせを受けることに長けていた。そして彼はそれでOKだった。彼は家族のために、できるだけ長く生きるよう最善を尽くそうとした。そして信じられないくらいよく生き延びた。彼は運命を受けれた、僕が受け入れるであろうよりも、より気高く。」
ニールはある程度の宿命論を持ち合わせていた。数々の宇宙の偶発性に関する曲を書き、そして彼自身の人生に起きた数々の出来事がまたそれを証明した。1997年に、娘のSelenaが大学へ向かう道中に事故で死亡し、また事実婚の妻であったJackieが程なくして癌で亡くなった。彼は合理主義者であったにもかかわらず失ったものは多く、自分が呪われているのではないか、と思わずにはいられなかった。
「娘が19才で亡くなり、妻は42才で亡くなった。そして僕は62才でまだ生きている」彼は2015年に、禁煙をするつもりはないことを語った際に述べた。(喫煙は脳腫瘍の原因であるとは考えられていない)
「どれだけ多くの人々が、僕より若くして亡くなった?どれだけ多くのドラマーが僕より若くして亡くなった?僕はすでにボーナスタイムを生きている。何かで僕は死ぬことになるだろう。僕はバイクに乗る。僕はスピードを出して車を運転する。飛行機であちらこちらを飛び回っている。危険な人生だ。昔の人がバイクについて語った話が好きでね、”もしお前がバイクを十分に愛しているなら、そのうちそれが原因で死ぬだろう。長生きするコツは、他の何かの原因で先に死ぬことさ。”」
強がってはみるものの、彼は娘を残して死ぬという考えに我慢ができなかった。「その考えに彼は非常に悩まされた。」レイは言う。「出来事が一周することに、彼は悩まされた。最初に彼は子供を亡くすという痛みを知った。そして今度は彼が子供を後に残す。」
ニールは、状況をやり過ごすために独自の悲嘆プロセスがあった、とキャリーは語る。「彼が手に入れられない将来、オリビアや私そして自身の人生に関して手に入れることができない事柄について。もし人生を充分に生きる人がいたとしたら、それはニールのこと。そして彼にはもっとやりたいことが沢山あった。人々が”ああ、彼はとてもストイックで彼の運命を受け入れた”と言う。ええ、彼は充分に生きた。しかし同時にそれは彼の心を傷つけた。」
ニールは、残りの時間を最大に活用するよう心に決めた。まるで過去に最大の日々を過ごすよう模索したように。「今日できる最良の事はなんだろう?」彼はかつて自身に問うた。多くの場合、コンサートでの演奏の前に、その地域の国立公園をBMWのバイクで駆ける事であった。(君は人生で多くのことができる、と彼はRushの曲の中で最もパワフルな曲の一つである、’Marathon’の歌詞に書いた、’もしあまりに早く燃え尽きなければ’)これは彼のドラマーとしての特徴の一つである。不可能なほどの量のリズムを曲に込める。彼は時間の制限の限界に挑戦することで、生計を立てたのである。
「彼はとても深く豊かに生きた。」と近しい友人の一人である、Jethro TullのドラマーDoane Perryは語る。「それは彼一人でカナダの湖畔にある彼の住居で本を読むことであったり、ステージの上で何万人もの観客と繋がることであったり。」
彼の人生を通じたプライバシー保護の必要性はより強くなった。彼の病気はごく限られた友人内に留められ、口外されることはなかった。ことゲディとアレックスについては、インタビューを受けたり、友人や同僚からの電話で噂の真偽を確かめられるために、その秘密保持の重荷は大きかった。「ニールは、僕らにこの件について他者に話さないよう頼んだんだ。」とアレックスは語る。「彼はこの情報をコントロールしたかった。彼は、ファンが自宅の横やドライブウェイに座り込んで、「Closer to the Heart」なんかを歌うことは絶対にして欲しくなかった。それが彼が一番恐れたことだった。彼は全く注目を集めたくはなかった。そして、人々に嘘をついたり、話題を避けたりすることはとても難しかった。本当に難しいことだったよ。」
ニールは、常に手を振ったり、心からの「気にしないで」といった声かけを伴う、心地の悪い事柄に関する不必要なディスカッションを避けてきたという内容が、友人たちが彼の病気や治療内容について質問してきた時に答えられた。「彼は残りの時間をそんな話したくもない話で浪費されたくはなかった。」とゲディは語る。「彼は僕らと楽しく過ごしたかった。そして、最後の最後まで、本物の事について語りたがった。」
ニールは、決して文句を言わなかった。ゲディが冗談で言う。「たばこがなくならない限り」「一度、僕がお酒を持っていかないことがあって」本格的なワイン収集家であるゲディは付け加える。「僕は彼の家に行く時は’バケツいっぱいのワイン’を持っていく事で有名だった。そしてある日、アルコールを持っていかないことがあった。彼はとてもショックを受けてた。それでもちろん、次の日にアレックスと僕はワインストアに行って、バケツいっぱいのワインを買って持って行った。それでまた、全てがうまく行ったよ。」
またニールは、長年嫌っていた過去のラッシュの作品を聞き直すことに多くの時間を割く事について、それを乗り越えた。「彼の学びへの強い欲求について語る時」と彼の親しい友人であるVertical HorizonのフロントマンであるMatt Scannellは言う。「その精神につながっているものは、’何が新しい?何が次に来る?’というものだ。昔、彼に色々な曲をミックスしたCDを送った時に、古い曲だと彼は興味を示さなかった。しかし、昔はある意味忌み嫌っていたけど、彼が過去を振り返って楽しめるようになったのは、素晴らしいことだと思った。」
「僕ら全員、昔の曲を聞き返すことはそんなにしないと思う。」とアレックスは語る。「全て完成され、演奏された。しかし、僕が推測するに、彼は音楽的に達成された部分について再考察してたんじゃないかな?そしてそれらがとてもよく出来てたことに、少し驚いていたんだと思う。そういうことはあると思う、ある意味忘れているから。彼が笑顔で、とても心地よく感じている様子を見るのは、とても興味深かったよ。そして彼がまだ文章を書く事ができた時、過去の作品についてのレビューと、どうしてそのように感じたかということについて書いてきたよ。」
ゲディは驚かなかった。「ニールの人となりを、そして彼に残された時間を知る限り、彼の人生をかけた作品をレビューするのは自然なことだったと思う。そして、彼はその人生の多くを費やしたことを、とても誇りに思っただろう。彼は、そのことをアレックスと僕に共有したかったんだ。彼に会いにいくといつも、彼はそのことを語りたがった。彼は、誇りに思っていることを僕らにも知ってもらいたかったんだ。」
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25ページ以降
ニールが病気を患ってからの年月は、不確かさに満ちたものだった。初期の頃、彼は再び癌が再発する前まで、1年間ほど寛解状態だった。「彼にgoodbyeを言う時はいつも、これが最後かもしれないと思ったよ。」ゲディは語る。「正直なところ、どうなるか分からないのだから。彼の調子がとても良い時だって。どうなるかわからない時期が3年半あったんだ。時間は常に過ぎていた。そのため、goodbyeを言う時は、いつも大きくハグをした。」
ある時、アレックスが一人でLAに数日滞在し、ニールに会った時のこと。「僕が帰る時、僕は彼に大きなハグとキスをしたんだ。そうしたら彼は僕を見てこう言ったんだ’これが全てを語るね。’ああ、なんてこった。それが僕にとってgoodbyeを言った時だった。僕はその後も数回彼に会ったけど、あの瞬間に彼の気持ちが見えて感じることができたよ。」
最後にゲディとアレックスがニールに会ったのは、キャリーも交えた、酒宴を伴った素晴らしいディナーであった。「僕らは腹を抱えて笑ったよ。」とアレックスは言う。「僕らはジョークを言ったり、昔のいろいろなコンサートやツアーのこと、クルーメンバーのことや、楽屋やツアーバスの中でいつもしていたことなどについて思い出話をした。とても自然で正しく、完結したように感じた。」
ニールは、病状が進行するにつれ、ある程度の身体的な不自由さを呈したが、しかし「最期の直前まで、しっかりしていた。」とペリーは語る。「彼はしっかりしていて、物事を掌握していた。(のちの、車椅子に座って喋ることができなかった、という報道は全くの間違いであると友人は語った)彼は毎日の日課をこなした、週日は’人類の洞窟’に出かけ、そこで友人に会い、最後の自身の誕生日パーティーを2019年の秋に主催したほどだった。
ニールが車の運転ができなくなると、彼の友人であるMichiael MosbachとJuan Lopezがニールを送り迎えした。「私は、彼の最期の時まで、彼がやりたかったことをさせてあげられたことを、とても嬉しく、誇りに思っている。でもそれはホワンとマイケルがいなければできなかったことです。」とキャリーは語った。
ニールは、Rushの最後のコンサート以降、決してドラムを演奏することはなかった。しかし、彼の自宅にはドラムキットがあった。それはオリビアのもので、彼女はレッスンを受け、真剣にドラムを学んでいた。ニールの両親は、居間にドラムセットを置くことを許していた、そしてニールはオリビアに対しても同じことを許していた。父の栄光のに怯むことなく、オリビアはドラムを学ぶことを躊躇しなかった。「ニールはすぐに言ったの、’彼女は持っている(才能がある)’と。」とキャリーは語る。「彼女はニールの才能を受け継いでいた。そのことを、ニールはもちろん喜んだ。彼は、彼女が怖気付かないよう、座ってじっと彼女のレッスンを見ることはしなかった。彼女の視界には入らないように、でも聞いていた。」
ニールの逝去後、世界的な悲劇が続いたが、これは彼の友人や家族にとっても暗く超現実的な年であった。凍りついた世界においては、悲しみを処理するのは難しかった。「そんな昔に起きたことには感じられない。」とゲディは語る。Rush界隈でもさらにドラマがあった。アレックスが2020年3月に酷い病気になり、数日入院し酸素吸入を受けた。検査を受け、コロナには感染していなかったが、インフルエンザと診断された。しかしながら、病気の間、彼は味覚や嗅覚を失った。現在は完全に回復している。
プライベートのトロントでのニールのメモリアル(葬儀)は延期されたが、バンドや友人を招いた小規模の夕食会とキャリー主催による正式なメモリアルが、ニールが亡くなって数週間後にロサンジェルスでとり行われた。「キャリーは太平洋を望むとても美しい場所を選んでね。」とペリーは語る。「美しい午後だった。参加者全員にとって癒しの時間になった。キャリーはニールの少年時代からの素晴らしいスライドショーを用意した。」
ニールの幾人かの友人たちーScannnell, ペリー, コープランド, 本の共著者であるKevin Anderson ー らは、参列者に対してスピーチを行った。参列者には、バンド仲間と有名ドラマー達:フーファイターズのTaylor Hawkins, レッドホットチリペッパーズのChad Smith, ToolのDanny Careyらがいた。スチュワート・コープランドはスピーチで、ニールのおかげで参列したドラマー全員がファンたちから「あなたは、私が2番目に好きなドラマーです!」と言われる屈辱について述べた。
最後に、11才のオリビアが立ち上がり、彼女の父について語った。「彼女は素晴らしかった。」とペリーは語る。「彼女は本当にニールの娘だ、とても賢い少女だ。」
オリビアとキャリーはもちろん、コロナ禍の隔離も相まって、いまだニールを失った事に苦しんでいる。何ヶ月にもわたり、カナダとの国境が封鎖されたため、彼女達はニールの肉親達にも会えないでいる。「ニールが亡くなってから、私たちの生活はひっくり返ってしまった。」と、クリスマスを娘と2人で過ごしたキャリーは語る。「そして(ニールが亡くなってから)8週間後から、私たちは2人で自宅で過ごした。とても大変だった。私たちは毎日彼のことを思い、語り、そしていないことを悲しんだ。」そんな中でも、オリビアはドラムレッスンを続けた。
ニールの死後、ゲディとアレックスは楽器を演奏する意欲がほとんどなくなってしまった。「演奏することは大好きで、止めることなんて考えたこともなかった。」とアレックスは、ゲディとの感情的な共同ビデオ通話で語った。アレックスは彼のスタジオにいて、背景には数々の輝いたギターがかけられていた。「そして、昔は思ったもんだ、’いつか将来、くそを漏らしたパンツに座る日がきても、俺はまだギターを弾きたいと思ってるだろう、って。’ でもそんな気持ちは、今はなくなってしまった。彼が死んでからは、重要なことには思えなくなった。でも、そのうちまた弾きたくなる日がくると思う。」
「今まで一番長い間、」ゲディは言う、「全く演奏したいと思わないんだ、、、まだ僕の中にも、アレックスの中にも音楽はあると思う、でも、急いでプレイする必要はないんだ。」
彼らの友人を弔うと同時に、ゲディとアレックスはまた、Rushも終わったとの考えを受け入れつつある。「終わったんだよ、ねえ?終わったんだ。」ゲディは言う。「僕は、僕らが成し遂げたことをとても誇りに思っている。僕は音楽で何を再びするのか、分からない。それはアレックスも同じだと思う。一緒にするのか、別々にするのか、また他の形態なのか。でもRushの音楽はいつも僕らの一部分だ。そして、ふさわしい機会があれば、Rushの曲を演奏することに躊躇はない。しかし同時に、ニールを含めた我々3人が共に作った作品に対して、敬意が払われるべきだ。」
Rushの最終公演の後、バイクですぐさま離れる代わりに、ニールは会場に留まった。彼は、一度だけ、バックステージで楽しい時間を過ごした。「彼は活気にあふれていたよ。」ゲディは語る。ニール・パートは彼の仕事を終え、彼の基準を持ち続け、16歳の自分を裏切らなかった。彼は未だに、ピークの状態で演奏をしていた。
「彼は、上出来の仕事だったと感じているようだった。」と、その晩ニールと過ごしたScannellは語る。「誰がそれを否定できるって言うんだい?」
終わり




