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19世紀のある晴れた日、一人の信奉者が一心不乱に険しい崖を登っていた。目指すは激しい修行や偉大な聖者によって今日まで聖別されて来た、神聖なヒマラヤ地域にある人跡未踏の岩棚だった。その熱狂的な信奉者は、時間と死を超越している「至高の聖者」を探し続けていた。見えない力に駆り立てられ、彼はなんとか非常に高い平坦な岩棚にたどり着くことができた。そこで信奉者は、彼が憧れていた25歳の不死の若者を見つけた。その若者は、なめらかな肌をしており、中肉中背で、美しく、たくましく、光輝く肉体の持主だった。髪は長く、つややかな赤銅色をしており、眼は黒く静かなヨーギの輝きを湛え、特徴的な大きな鼻を持ち、手にはダンダ(竹の警棒)を握っていた。端的に言えば、その若者は彼のお気に入りの一番弟子、ラヒリ•マハサヤの若い頃にそっくりだった。

この熱狂的信奉者は帰依者の輪の中に入り込んだ。その中にスワミ•ケバラナンダと二人のアメリカ人の聖人が居た。信奉者は、確信をもってその若者に恭しく話しかけた。 「あなたは偉大なババジに違いありません」  信奉者は、弟子にしてほしいと懇願した。しかし、偉大な大師は、岩のごとく微動だにしなかった。大師はその信奉者を試していたのだ。しかし、アウム、大師のその態度は信奉者にラクダの背骨を折るとどめの一押しとなった。信奉者の忍耐は尽きた。彼は神聖な目標を達成するため、ババジの導きが得られないのであれば、自殺をも辞さない覚悟だった。 「そうなさい」

 と、ババジは落ち着き払った声で言った。熱狂的な信奉者は、それに応じて立ちあがり、死を覚悟して、岩山の裂け目に飛び降りた。  この不幸な展開に、帰依者たちはショックを受け凍りついた。彼らは、サットグル・ババジの意図に気づいていなかった。サットグルは古代の厳格なヨーガの掟を実行しただけなのだ。信奉者がヨーガの瞑想を通じて悟りを開くためには、彼自身の命を捧げる準備ができていなければならないというものである。 「死体を運んで来なさい」  というババジの命令が、神聖な帰依者たちの凍りついた沈黙を破った。数名が、その命令に即座に応じ、ズタズタに傷ついた肉体をババジの足もとに横たえた。 「さあ、彼は受け入れられる資格ができた」

サットグルは落ち着いた口調で述べ、彼の神聖な手で残骸に触れた。不思議中の不思議、驚異の中の驚異、奇跡の中の奇跡! 熱狂的信奉者は息を吹き返し、サットグル•デーヴァの御足にひれ伏した。 「死がおまえに再び訪れることはないであろう」  ババジの神聖な恩寵によって、数時間の内に不死身となったこの息子に、ババジは愛の笑顔を向けた。普通の人々が、そのような最高のレベルに達するためには、サーダナ(修行)を何度も転生して行わなければならない。ババジの行為は残酷なように見えたが、それは親切心からであった