懐かしき思い出
思い出(アルゼンチン共和国-1)
学校を卒業して、社会人になり、夢をみて会社に入社した日を思い出すことがあります。1週間で挫折を味わい、将来に漠然とした不安を抱いていたのは、私だけでは、なかったと思います。当時の就職状況は2年先輩たちのどん底から、やや上向きですが、大手企業への就職は非常に難しいしく、ほどほどのところで手を打つ学生が多い時代いでした。
私の就職した先は掘削会社で、地熱、地質調査、温泉など手がける、中小企業でしたが、全国ドサ周りが多く、アパートには、年に何日いたか?そうゆう生活に絶えられない、同期は殆ど、早いうちにやめて行きました。私もやめようかなと何時も考えてはいたのですが、やめて何をやればいいのかわからないまま、6年が過ぎてしまいました。そんな時に、一つのチャンスがめぐってきました。某財閥系の高山会社がアルゼンチン共和国内(アンデス山中で鉱石の調査)を5ヵ年計画で実施していて、2年次の調査員に欠員が出来たため、会社のほうに要請があり、私が行くように言われました。初めての海外での仕事で、当時は有頂天でした。技術的には、6年間(寝せてもらえないほど、鍛えられた)の国内経験で問題なしですが、語学力がついていかない、英語もままならないのにスペイン語など聞いたこともないので、少し不安でしたが、何とかなるの思い出でした。しかし、後で、語学では非常に苦しむことになりました。
さて、出発がきまり、荷物をまとめるときに、一番役に立ったのは、地球の歩き方とゆう一冊の本でした。電気事情(今はパソコンを持っていくので必要)薬、食料(日本食)、アンデスは寒いので、長袖のシャツと下ズボンなどなど、、、、、、、、、
出発前に、メンバー8名の顔会顔合わせがありましたが、外注は私一人だけでした。ベテラン(平均年齢が高くて)ばかりで驚きました。後の話になりますが、非常にいじめられました。
成田から、バリグブラジル航空(今飛んでいるのかな?)でロス→リオデジャネイロ→ブエノスアイレス(26時間)の長旅でした。機内では暇で、ただボーとしていて記憶があります。この当時の機内所食の豪華(バリグは有名で、お盆が3ツ出てきます)なこと、食べて飲んでいたつけがきました。時差が12時間以上あり、体の時計を調節しなかったため、2週間も時差ぼけがなおりませんでした。(これが、ヨロッパに行くと、不思議と時差ぼけは軽くて済むのです)
ブエノスアイレスの空港に着いた時は、日本の裏側に着いたかと思いました。
また、続編は次回です。
海外作業
今日、初めて、プログを使い出しました。
昨年の8月にエチオピアから戻り、まじめに会社に通勤しています。海外赴任が長く、日本の通勤がなれませんが。そうおそ、昨日は、息子(高校1年) の誕生で、何故か彼女を紹介された。。。。いつの間にか、一丁前になっていたのには驚きでした。これからは、海外に赴任していた時の、エピソードなど書き込みます。
