初恋の人からの手紙
恋占いです。
面白いのでやってみてください。
初恋の人から章久さんへお手紙が届きました。
--------------------------------------------------------------------------------
章久、ひさしぶり。
今でもデートのたびに水筒を持っていますか?当時、おばちゃんみたいだった章久をなつかしく思います。
少し上からものを言う章久が「スタイルだけは一流だな」などと失言してお別れすることになったあの日から、もう32年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。
あ、そうそう、お手紙を書いたのには特に理由はないんです。ただ部屋の掃除をしていたら章久からの昔の手紙が出てきたから、なつかしくなって。びっくりさせてごめんなさい。
思い返してみると、いつも恋愛の主導権を握っているのは章久のほうでしたね。何を言っても言いくるめられたし、いつも夜に電話して泣かされていたから、寂しくて5人ぐらいキープをつくっていたような記憶があります。そういえば何を勘違いしたのか「おまえにはおれがいないとダメなんだよな」なんて言っていましたね。それを伝え聞いた学校の女子全員が爆笑していたのを覚えています。
そういえば私にとっては9人目の彼氏でも、章久にとっては初恋の相手なんですよね!今思い出した。そうそう、最初のころの章久は「元カノからまだ連絡がくる。めんどくさい」なんて嘘ばっかり言ってて(笑)。妄想もそこまでいくかとこっちが恥ずかしくなったものです。
告白のとき、章久は「おれにはおまえ以外の女はいらない」って言ってくれましたよね。私もあのころ同じ気持ちだったし、とても嬉しい気持ちなりました。その言葉、本当だったらよかったんですけどね。
恋愛を総合的に考えれば、私は章久と付き合えたことを、とても感謝しています。つらいことをつらいと思わなくなったのも、イライラをうまく忘れられるようになったのも、章久のおかげです。
いろいろ書きましたが、私は章久のことがそれでも好きでした。これからも章久らしくいられるよう、そしてたまにはスーパー以外で洋服を買って(笑)、幸せをふりまいてください。
またいつか会いましょう。では。
P.S. 愛と恋の違いを熱く語る病気はもう治りましたか?
最後の言葉
ここ数日の睡眠不足から、珍しく爆睡状態にあったらしい。
「目を覚ましてください。奥様の意識がないんです。今、先生を呼びに行って来ますので」
いつもお世話になっているナースが狼狽の色を隠さずに病室を出て行った。
私の重い瞼は、今の一言でしっかりと見開き、隣のベッドに静かに横たわる妻に顔を近づけた。
「おい! 章子!! どうしたっ! 目を覚ませ! 目を開けてくれ!」
私の必死の叫び声も、もう妻には全く届いていなかった。
「頼むから、お願いだから目を・・・目を開けてくれ」
既に涙声に変わっていた私の声も、空しく病室に響くだけだった。
周囲を見回すと、昨夜私が寝る前に、きちんとベッドの周りに片付けておいたコップやティッシュの箱やフェイスタオルや読んでいた本やテレビのリモコンが、台風が過ぎ去った後のように倒れ、散らばっていた。
これは・・・
もしかしたら・・・・
慌ただしく主治医が飛び込んできて、妻の胸に聴診器を当てる。
「すぐに他のご家族を呼んでください、早く!」
そう私に声を掛けた。
私は廊下に出て、公衆電話に飛びつくと、自分の両親、妻の両親に電話をかけ、最期の別れになることを告げた。
それから数分間、慌ただしい救命活動が多くの医師と看護士によって行われたが、妻は二度と目を開けることはなかった。
彼女と最期まで話していたくて、病室に簡易ベッドまで持ち込ませて貰って、1週間そこで寝泊りしていた。
それなのに、肝心なときに、私は疲れ切って寝てしまい、
おそらく夜中に彼女は、隣で寝息を立てている私を必死で起こしたに違いない。
だから、ベッドがあんなに荒れて乱れていたのだ。
それなのに、私は目覚めなかった。
彼女が力尽きて、私に最後の言葉を残せずに去っていったことを、
きっと恨んでいるに違いない。
そして、傍にいながら、肝心なときに彼女の力になれない不甲斐ない私は、本当に情けないほど、大ばか者だった。
14年前のある朝の出来事なのに、
14年もの歳月が流れているのに、
私はいまだにそのことを引き摺っていて、いまだに悔やんでいて、いまだに自分を責め続けていて、
きっと一生悔やんで、責め続けて、それでもきっと
自分を許すことはないだろうと
思う
パンドラの箱
医療サスペンスドラマとしては最高傑作だと思える。
純粋に人を助けたいと願って開発された「新薬」が、人間の欲望によって様々に変化し、交錯し、そして、純粋だった心にまで、その悪意が忍び寄る。
人間はとても愚かだ。
やはり自分自身が一番可愛い、いや、他人が手にすることができないモノを手に入れた途端、人は豹変する。
手に入れたいと願った瞬間に、人はエゴイストになり得る。
いったい何が「正義」で、何が「悪」なのか。
どうすれば「幸せ」で、どれが「不幸」なのか。
考えさせられる問題作だ。
私は、ここ最近目まぐるしい毎日を送っていた。
「忙しい」という言葉は使いたくなかったが、人に説明するのに最も判り易い言葉なので、何人かの人には「忙しいので」という説明をさせて頂いている。
言葉どおり、1日24時間は「仕事をする」という行為だけで終わる日々が続いている。
それが不快な訳でもなく、苦痛な訳でもなく、体は疲れているものの、充実していると言ってよいかもしれない。
問題は、「仕事に追われている」という現状ではなく、仕事をこなしていた上で、やむを得ずに、
パンドラの箱を開けてしまった
ということに他ならない。
問題は一昨年から判っていた。一昨年に担当していた、私の上司もこのことには気づいていた筈だった。
だからこそ、昨年の8月、株主総会後に、役割を終えたという名目で会社を去った。
私にも会社を去ることを勧められた。それは、この事実を知ったことで、会社に残ると火の粉が降りかかることを知っていたからだ。
だが、私は会社に残った。
それは、上司が気づいた問題に気づかなかった訳ではなく、寧ろ、問題を指摘したのは私の方で、その問題を最後まで避け続けて黙認して会社を去ったのが上司で、
その問題を出来るだけ改善しようと決意して会社に残ったのが私だった、という違いだけだったのだ。
会社はもうすぐ決算期を迎える。
昨年の決算は、何とか問題を回避して決算を済ませることが出来た。被害が軽微だったからだ。
だが、今年は違う。
1年をかけて改善に取り組んできた私は、婉曲に婉曲に改善案を提案してきたが、全く目を向かなかった役員たちに、
先日の役員会で、決定的な言葉を吐いたのだ。
そう「パンドラの箱」を開いてしまったのだ。
覚悟の上だった。
これで私が「クビ」になるのであれば、会社は改善する意志がないということで、それが私にとって最も都合のいい結論になる。
危機感を察して、役員が真剣に問題に取り組めば、まだ間に合うかもしれない、という期待感もあった。
勿論、社長を初め、役員全員が激怒した。私を排除したいと思ったに違いない。それほど彼らにとって、触れて欲しくない問題だったのだ。
ところが、私は排除されなかった。
排除されないどころか、
もっと厄介な役割を私はこなさなければならなくなった。パンドラの箱を開けてしまったばっかりに。
いや「パンドラの箱」の中身を知ってしまった(と役員が認識してしまった)ばかりに。
もしかしたら、私の人生を左右するかもしれない、「パンドラの箱」の中身に、今は、保身の為に闘わなければならないなんて、
でも、この箱の中身を誰かが開けなければ、社員とその家族併せて数十人、いや100人近くが、この不景気な時期に放り出されることになる。
それを避ける為には、不本意だったとしても、私は「もっと厄介な役割」をきちんとこなさなければならないと思った。
箱を開けてしまった責任として。
