海の王国~首里城 | 「書く」を仕事に

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オモロくてキビしくて愛しい、ライター生活。
取材・文/有留もと子
お問合せ/moco_moco_moco@hotmail.com

ライターの有留です。
いつもお世話になっております。
 
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屋根の上で「メンソーレ」と言ってたシーサーさん。

 
 
沖縄取材の前日に那覇入りしました。
せっかくだから那覇を歩いてみたいと思ったのです。
 
しかし、直前まで原稿を書いていて、全くのノープラン。
 
那覇空港に降り立ち、しばしボー然とした後、
「そうだ、首里城に行こう!」

と思い立ち、ゆいレールに直行。

 

なぜ首里城だったかといいますと……。

那覇で唯一知っているの観光名所だったからー爆  笑

なんと言っても世界遺産ですし!

 

沖縄の青い空がそうさせたのか、

なぜか無謀にも首里駅から歩くことに。

 

しかし、暑い。
 
そして、急な階段!

 

 

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上ってきた階段を振り返ったら、

ふもとでお姉さんも「上るの、これ?」って感じで佇んでいた(笑)
 
 
ところがー。
 
現在、正殿の正面は修復中。
漆を塗り直しているそうで、透明なシートで覆われていました。
(2018年秋に終了予定)
 
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元気なのは子どもちゃんだけ。
 
 
建物に入ると、気持ちの良い風が吹き抜けていました。
 
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外はカンカン照りでも廊下はひんやり。

 

 

私が一番印象に残ったのは、

「御座床」という間。

儀式などを執り行う部屋で、

琉球国王の玉座が中央にありました。

 

そして窓際にも、もう一台の椅子が。

その椅子に座り、眼下の民に手を振っていたのでしょうか。

 

その窓からは、きっと、遠く海が見えたでしょう。

 

赤い建物。
青い海、青い空。
白い雲。

 

琉球王国は海の王国だったんだ。


日本の本土とは全く別の、独自の文化を持った
ひとつの国だったんだ。

本などを読んで知ったつもりになっていましたが、
現地に立って、初めて実感できました。


500年続いた琉球王国は、
明治時代に日本に併合されて「沖縄県」となりました。

その後第二次世界大戦では戦場となり、
たくさんの人が犠牲となりました。

戦後は米軍に占領され、27年後に日本に復帰。
しかし、先日もアメリカ軍普天間基地所属のヘリコプターが不時着、炎上するといった事故もあるなど、

 

沖縄の人が安心して暮らせる状態にはなっていません。

 


いつも歴史に翻弄されてきた
沖縄という島の数奇な運命を思います。

沖縄の人たちの人懐こい笑顔や
「なんくるないさー」(人として真面目に一生懸命やっていたらなんとかなるよ)という言葉は、
実はただのんびりしているのではなく、
どんな環境にあっても生き抜いていくという、
したたかさの表れなのかもしれません。


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