<< 高山寺 明恵沙門 >>
京都栂尾:高山寺は、
華厳沙門の明恵房高弁が、
華厳道場として鎌倉時代に再興した。
<今は真言宗系単立寺院のようだが>
「沙門」とは、束縛されない修行者である。
明恵沙門は、僧位僧官を辞退して沙門を貫いた。
寺領寄進も辞退して、清貧を貫いた。
終生に亘り、求道者の姿勢を貫いたのである。
その高潔な生涯は、今や伝説となっている。
高山寺は、「世界遺産」である。
明恵沙門に対する世界の崇敬が、
遺産選定への原動力となったようである。
この日本では「知る人ぞ知る」の明恵沙門も、
逆に海外では非常に有名らしいのだ。
そしてまた高山寺は、
世界初の「異宗教間兄弟寺院」を成し遂げた。
アッシジの「聖フランチェスコ寺院」と兄弟寺院なのである。
「聖フランチェスコ」といえば、
「ブラザーサン・シスタームーン」の聖者である。
清貧で知られ、動物とも対話できたという。
「大自然の全てが神の栄光である」と称えた聖者である。
そして明恵沙門もまた、そのような世界観であった。
そして明恵沙門もまた、動物と対話できたようである。
かように両者は、非常に似ているのである。
しかもほとんど、同世代に生きたのであった。
<明恵沙門:1173~1232>
<聖フランチェスコ:1182~1226>
明恵沙門の華厳観は、
「あるべきようは」の七文字で表現されている。
「あるべきようは!!」である。
これは「あるがままに」とは異なる。
「あるがまま」を正面から堂堂と受け止めるのは、
それは仏道者として当然のことである。
それは当たり前のことである。
「あるべきようは」は、さらにそこから突き進む。
常に、「目指す!!」のである。
本来の「あるべき姿」を目指し続けるのである。
一瞬一瞬に「あるべき姿」を目指し続けるのである。
「あるがまま」を堂堂と受け止めながら、
「あるべきようは!!」を目指していくのである。
これが華厳スピリットである。
実は大自然も、また然りである。
大自然は、まさにこの通りなのである。
大自然が、「あるがまま」だけだと思ったら大間違いである。
大自然は常に「あるべきようは!!」を突き進んでいるのである。
明恵沙門は、子犬を可愛がっていた。
子犬といっても、木彫りの子犬である。
しかしそれが木彫りであろうとも、
生きている子犬同然に可愛がったという。
私は画像でしか見ていないが、なんとも愛らしい子犬である。
かの志賀直哉も、「そばに置いて可愛がりたい!」と絶賛したようだ。
それもそのはず、なんと大仏師「湛慶」の作のようである。
高山寺には、同じく湛慶の作品の「狛犬」もあるようだ。
やはり画像でしか見てないが、この狛犬も素晴らしく感じる。
実になんというか、湛慶の洞察眼が凄い!!
「大仏師」と尊称される作家の目は凄いものだ。
因みに、はるか狛犬の原型は、
「古代チベッタンマスティフ」がモデルのように感じる。
古代チベッタンは、「獅子と犬の混血」と呼ばれていたのである。
そのくらいに大きく猛猛しい野性的な護衛犬だったようである。
<現代の「T:マスティフ」とは、まるで雰囲気が異なっただろう>
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:09:17 ≫