** 動 物 対 話 義 **
動物と対話するということは、
動物の心が分かるということである。
動物の心が分かれば、
世界中の悲劇の動物の苦しみが分かる。
どれほど苦しく辛く悲しいかが、ありありと伝わってくる。
まるで我が身のことのように、ダイレクトに伝わってくる。
いてもたってもいられない気持ちになる。
動物と対話できれば、そのようになる。
一刻も早く何とかしなければと思うようになる。
当然に、そのようになるはずなのだ。
それが動物対話者だと思うのだ。
「アニマルコミュニケーション」が流行っているようだが、
コミュニケーターを目指す人たちは、
いったい何を目的とするのだろうか。
動物と対話した果てに、何を目指すというのか?
動物の心を知れば、己に重大な使命が生まれる。
その使命と真正面から向き合う覚悟はあるのか?
その覚悟が無ければ、対話者を目指す意味など無いのだ。
「コミュニケーター養成」などという宣伝を見るたびに、
とても寂しく虚しい気持ちになる。
そもそも「養成」という種類の領域だろうか?
そもそも、どこまでも「心」の領域だと思うのだが。
それとも、人人は「本気」なのだろうか?
もし本気であれば、こんなに嬉しいことはない。
そうであれば、アニマリアの同志である!!
ところで、人間感覚と動物感覚は、相当に違う。
だから動物と対話する時には、
人間感覚を飛び越える必要がある。
人間は人間社会で人間生活をしている。
その人間感覚のままで対話に入ろうとすれば、
それはとんでもなく「誤解対話」を招いてしまうのである。
たとえば動物の「死生観」は、人間とは違うのである。
人間感覚のままだと、それは理解できないのである。
だから「動物との対話」を目指すのなら、
「人間感覚の枠を飛び越える修行」が必要なのである。
まずはそれこそが重大問題なのである。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2011:09:28 ≫