<<犬族感覚>>
犬と共生するためには、
その犬の事情を理解する必要がある。
それを理解できなければ真の共生はできない。
理解するには、まず人間特有の固定観念から離れる。
人間特有の固定観念から離れて自然体で犬と向き合う。
固定観念から離れることは、なかなか難しいことだが、
そういう姿勢を心掛けていれば、だんだんそうなっていく。
そうすると、その犬の事情が分かってくるようになる。
理屈抜きで自分の実感で分かってくるようになる。
そして「犬族の感覚」というものも分かってくる。
人間感覚だけで犬達を見ても、
犬達を真に理解することはできない。
自分も犬族感覚を知っておく必要がある。

<<1988:10month:WOLF>>
犬には犬の世界観がある。
犬には犬の価値観がある。
犬には犬の道理がある。
犬には犬の仁義がある。
その犬その犬の事情がある。
その犬その犬の立場がある。
その犬その犬の誇りがある。
その犬その犬の矜持がある。
そして犬にも譲れない部分はある。
ほとんどは譲るが、どうしても譲れない部分はある。
かなりの理不尽でも我慢するが、
限度を超えた理不尽には、犬にも抗議する権利はある。
「犬にも譲れない部分はある」ということを、
「犬にも抗議する権利はある」ということを、
そういうことを理解できる人を、犬はリスペクトする。
そういう人を犬はリスペクトし、そういう人に自ら協調する。
なんでもかんでも人間の都合に合わせようとする人や、
「犬には抗議する権利など無い!」と考えている人を、
犬は本能深くで察知し、そういう人を犬は警戒する。
表面上は服従しても、心深くでは警戒している。
警戒して当然なのだ。命の危険を感じるのだから。
そういう人人は最終的には平気で犬を処分するからだ。
あるいは「馴らしてやる!懐かせてやる!」という下心を、
そういう人間の傲慢な下心を、犬は本能深くで見抜く。
温和温厚な犬は下心を承知しながら受け入れるが、
抵抗精神の強い犬は、下心など容易に認めない。
「馴らしてやる!」ではなく、「懐かせてやる!」ではなく、
それはあくまで「結果」なのだということを知るべきである。
それは自然体で対話を続けた果ての「結果」なのである。
たとえ懐いてもらわなければならない場合だとしても、
それに於いてはいろいろと工夫も必要になるのだが、
しかし心の姿勢に傲慢な下心があってはならない。
犬達の見抜く感覚は、人間の想像以上に鋭いのだ。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:04:23 ≫