1984年に魅了されたヒーロー&ヒロイン
1984年、夏休みの間にたくさんのヒーロー、ヒロインが誕生した。体操の森末慎二、具志堅幸司、レスリングの高田裕司、そして柔道の山下泰裕、さらにアメリカ代表のカール・ルイス(陸上)などなど、多くのメダリストに感動させられた。中学に上がったばかりの少年にとって、ロサンゼルスオリンピックが初めて見た世界と言える。もしも、1980年モスクワオリンピックに日本がボイコットしなかったら、テレビで見ることができていれば、ちょうどゴールデンエイジだった筆者の人生も違う道が開けていたかもしれない。アメリカとソ連(現ロシア)による冷戦の被害を間接的に受けていたわけだ。戦争のバカ。
ロサンゼルスオリンピックの3年前からバスケットを始めていた。ミニバス時代の部室にあった月刊バスケットボールにはアフロでダンクするという小学生にとってはとんどもないインパクトある写真が載っていた。一番最初に好きになったNBA選手はダンクの神様"Dr.J"(ジュリアス・アーヴィング)であり、その写真で見た選手だ。
ロサンゼルスオリンピックでのバスケ中継を見る機会は、何も知らない少年にとっては終ぞ訪れなかった。しかし、大会後の月刊バスケットボールを見て、我がバスケ部内にも「ジョーダンという何だかスゴイヤツがいるらしいゾ」という噂は広まった。今であれば、ネットで探したり、動画が見られたりするが、当時は月刊バスケットボールが唯一、そして最大の情報源だった。もちろん動いてる姿は想像するしかない。動いているDr.Jの映像を見ることができたのは、存在を知ってから6年以上経ってからだった。
初JORDANはJODANだった!?
ロサンゼルスオリンピック後、NBAシカゴ・ブルズに入団したジョーダンは、数々の歴史を作っていったことは説明不要。
ジョーダンは思いのほか早くに映像で見ることができた。報道ステーションでおなじみのアナウンサー古舘伊知郎氏が、まだテレビ朝日の局アナだった時代であり、ワールドプロレスリングの実況中継をしていた頃。当時、日曜深夜に「スポーツUSA」というスポーツ番組が放送されていた。全体像はあまり覚えていないが、動くジョーダンを初めて見た時のことは鮮明に覚えている。
日曜日の部活後、友人の家へ遊びに行き、ベータで録画された「スポーツUSA」をみんなで見た。ブラウン管の中で繰り広げられているあの跳躍力とボールを叩きつける破壊力。今となってはトレードマークとも言えるベロを出してプレイするのを初めて見た時は「舌を噛まないのかなぁ」と不思議に思った。全てにおいて目が離せなかった。と同時に、耳を疑った。
今ではアラフォー世代にとっては語り草となっているが、この番組でジョーダンを取り上げる時のBGMは決まって「JODAN JODAN」。武田鉄矢氏のフォークグループ「海援隊」のヒットソング。あまりにも映像とかけ離れたこの曲は思わず笑ってしまう。目だけでなく、耳でもやられた動くジョーダン初体験であった。
履きつぶされたカラフルなエアジョーダンの山
次なる刺激はエアジョーダン。黒いバッシュさえ見かけることが無かった時代に、ブラック×レッドという配色は、逆に嫌煙された。バッシュと言えば、ナイキもアシックスもコンバースも、白ベースに赤か青のマークと相場は決まっていた。正月にオールジャパン女子決勝で見た中村和雄氏率いる共同石油(現JX)の選手たちがチームカラーに合わせてグリーンラインのアシックスを履いているのさえ、スゲーと思っていた。
エアジョーダンは少年たちにとっては全く想像できない配色もまた話題となり、ジョーダンの名前は一気に日本のケイジャーたちに広まった。チームメイトも2人が購入し、一人は無難に白×メタリックブルー、もう一人は白×赤×黒をチョイス。田舎町には似合わないほど派手だった。しかし、1年もすれば当たり前になるもので、新1年生たちはこぞってエアジョーダンを履いていた。数ヶ月後、部室の一角に履きつぶしたバッシュの山があったが、今ではお宝とも言えるほど、様々なカラーリングのエアジョーダンが積み上げられていたっけ。
次世代ジョーダンチルドレン
ブラウン管、雑誌の中だけのヒーローだったジョーダンが、1996年ついに日本を訪れる。
チャールズ・バークレー、ジェイソン・キッド、マイケル・フィンリーとともに「Nike Hoop Heroes」というイベントに参加。ジョーダンと1on1をした松井啓十郎もそこで初めて見たわけだ。NBA引退後の2004年、美竹公園にジョーダンコート寄贈式に、今度はひっそりと来日。たまたま某テレビ局のディレクターからジョーダンの特集番組を作るのでレプリカユニフォームを貸して欲しいと言う連絡をもらい、その御礼として出没する時間と場所を教えてくれた。おかげで2度日本で出会うことができた。
我が愛しのワシントン・ウィザーズのユニフォームを着たジョーダンを本拠地で、フィラデルフィアで、そしてロサンゼルスの3箇所で見ることもできた。アメリカで生観戦した時にはすでにジョーダンの存在を知ってから17年も過ぎていた。
今、バスケ部でがんばっている子供たちはジョーダンを知らない世代へと移っていると聞く。
text by IZUMI
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