火事の心労で
休職していた最初の数ヶ月は
TVを見ることも億劫だった。

バラエティー番組は
ただただ煩くて、何がそんなに
笑えるのか、理解できなくなっていたし
ドラマは
ストーリーが全く頭に入って来ない。

何時もは、パワーや
癒やしをくれる音楽さえも最早
耳障りでしかなかった。
ただ時折、NHKの手話放送と
囲碁の中継は見ていた。見ていた、と
云うか、流れていても
邪魔にはならなかった。

勿論日頃、そんな番組を見る趣味は
無かった。
今にして思えば
不思議な変化が起きていたものだ。
まるで性格が真逆になっていた。

そんな経験は出来れば
何度も味わいたくは無いものだし、
私のこれまでの人生は
人と比べても不幸な部類に入るというのに
ここ数年は何事も起こらず
平穏無事だったから
気を抜いていた。もうそろそろ
自分にもそんな順番が来たって良い
そんな風にだって考えてた。
平穏であるなら、孤独であっても
猫達と、大好きが
沢山詰まった小さな部屋で
静かに過ごせたらそれで良かったのに。

あんな事がある度、
毎度、思う。この人生はささやかな
幸せや平穏である事を
許されていないみたい。

様々な不幸を経験させられたって
何の役にも立ちゃしねぇよ!

思えば小学生だった間中、
下校の際に校庭の端を歩いて帰るのに
必ずといって良いほど野球ボールや
バレーボールやバドミントンの羽が
私めがけてぶち当たってきた。
あの頃既に不幸な人生を歩む筋書きは
出来上がっていたのだろう。
なんなら隕石さえも私目掛けて
落ちてくる、
最早、それくらいのレベルで
不幸を引き寄せているのだろうか。

少し前にこういう題名の
映画か何かがなかっただろうか。
それでも私は生きている。
昔から私は、どんなにどん底で
生かされようとも
何か楽しい事がないかな。って
ただそれだけで生きてきた
そげな、しぶとさだけは、持っとるけん。
広島ブログ


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