学生時代、英語の文章を訳していて、

ある単語の多さに戸惑ったんです。

 

全部を訳に反映すると違和感が出るから

その言葉を省いていたのですが、

実はこれが私たちの無意識に

めっっちゃ影響してるのでは?!と。

 

 

{88794E48-022C-4FFD-A495-17900F442FAC}

 

 

 

 

 

その単語とは、「Iです。

 

主語の"I"。アイ。私。

 

 

 

{D8A1A717-0492-4934-90FA-A8B4A59255EA}

 

 

 

 

 

英語は、毎回毎回、主語をつけます。

 

要するに、

私は~

私は~

私は~

って、ずーっと言い続けて生きています。

 

対して日本語は、かなりの割合で

主語を省略しますよね。

 

 

すると、どうなると思いますか?

 

 

(シンキングターイム💡)

 

 

 

 

 

{D79EDAC4-149A-410F-AF4C-FFF6B9BA28FF}

 

 

 

 

 

答えは

 

 

主語が曖昧になるんです。

 

 

つまり、

自分の意思と役割の意志が混ざってしまう。

 

いつのまにか、

自分の望みではないものを、

あたかも自分の望みのように

勘違いしてしまうんですガーン

 

 

お、恐ろしい!!あせるあせるあせる

 

 

 

たとえば、
 

「(ママという役割の人は、)子供と過ごす時間をなにより大事にしたいんです」

 

「(会社員という役割の人は、)業績を上げていちはやく出世したいんです」

 

「(妻という役割の人は、)毎晩帰りの遅い夫を待って、できたての温かい夕食を出したいんです」

 

 

これらは全部、

「この役割を担う人としての正論とされやすいもの」。

 

自分が共感するかしないかを置き去りにした、

偽りの意思です。

 

 

 

もちろん、

心からそう思っている人もたくさんいるし、

それなOKなのですが。

 

もし、自分の本当の気持ちとは違うのに

そこに気が付けないと、とても苦しい😢

 

私自身、

そのせいで自分はダメなんだと自分を責めて

かなり苦しんできたから…

 

その結果軽度の「鬱」になったからこそ、

同じ想いをしたくないし、してほしくない。

 

 

 

{38603C4E-EA6A-4DBF-9EC6-C6D947CDBA3A}
 

 

 

 

だから今は、

他の誰でもない""(私)の意思を

めちゃめちゃ意識して大事にしています。

 

その結果、

家族の状態も仕事内容も

ほとんど変わっていないのに、

前よりもずっと生きやすくて楽しい。

 

 

 

もし、

これを読んで「もしかして私も…❓」と

思う方がいらっしゃったら、

11回、わざと「私は」と口にしてみて下さい。

 

なにかが変わったら嬉しいです😊